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アンノウン・デスティニィ 第8話「喪失(2)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第8話:喪失(2)

【2035年5月8日、つくば市・国立基礎応用科学研究所】
 山際調査事務所の3人が通されたのは、基礎応用科学研究所のA棟最上階にある所長室隣の特別室だった。絨毯が敷かれた室内に簡易机が並べられ、パソコンとモニターがそれぞれ3台ずつ用意されていた。本来は部屋の中央にあるはずのアールデコ調の机は隅に片づけられている。
 内調ないちょうの上田情報官ともう一人、同じくらいの歳かっこうの男性が待っていた。ラボの所長だろう。面長で骨ばっていて頬が必要以上にこけてみえた。銀縁眼鏡の奥の小さな目が落ち着きない。研究者あがりにも見えなかった。どこかの省庁からの天下り役人といったところか。上田はあいかわらず表面上はにこやかだ。
基応研きおうけん所長の岡島です」
「山際調査事務所の山際です。こちらは職員の鳴海と三谷。本日は当方の無理をご快諾いただきありがとうございます」
 山際が嫌みを適度にまぶしながら紹介した。
「警備室じゃないんですね」アスカがぼそりともらすと、
「最高機密ですからね。部外者がひしめく場所で確認などできませんよ」
 上田が呆れをオブラートにくるんで答える。
「コンピュータのエキスパートが参加されるということでしたので、これ以上の情報漏洩を防ぐ観点から、パソコンを操作する技術者は呼んでいません」
「前置きはいい。さっそくはじめようぜ」
 山際がいうまでもなく、シンはもう大画面モニターとパソコンをつなげるケーブルの確認をしていた。ケースにSDカードが10枚ほど収まっている。上田はその中から3枚を抜き取る。
「不審な映像が録画されていたのは、この3枚です」
「立ち入り禁止エリアから出てきたところからの足取りを追えるように、当該人物が通った廊下のカメラ画像も用意しています。どうします、この3枚だけ見ますか」
「いや、はじめから順を追って確認したい」
 山際がいうと、わかりました、と上田は手にしてい3枚のカードをもとに戻し、手前1枚を抜き取りシンに渡す。
「受精卵はD棟の地下3階に保管していました。通常、エボラウイルスやマールブルグウイルスなどのバイオハザードレベル4のウイルスのための独立保管庫です」
「だから地下なのか」山際が納得すると、「どういうことですか」とアスカが尋ねる。
「地下なら、万が一危険なウイルスに汚染されることがあっても、地上にウイルスを出すことなく隔離できる。地下と地上の間を鋼鉄の扉でガシャンだ。おそらく地下と結んでいるのはエレベーター1機だけさ。研究棟をそれぞれ独立させて建てているのも、そういうことじゃないか。渡り廊下さえ遮断すれば、その棟だけを隔離できる。違いますか」
 山際が岡島に顔を向ける。
「まあ、そういうことです」
 スポンジを噛んでいるような芯のない声で答える。
「ボス、準備できました。映します」
 シンが声をかけると、岡島がほっとした表情を浮かべた。わかりやすい人だな。
「これは5月3日の立ち入り禁止エリア前の映像です」
 上田が説明する。
「男が出てきた。うつむいてるから顔まではわからんな」
 山際が頭部を拡大するよう指示する。
「立ち入り禁止区域内の映像はないんですか?」
 アスカが上田を振り返る。
「ありません」
「どうして?」
「最大の理由は機密保持のため。カメラの映像は警備員なら誰でもチェックできます。そうでなければ監視カメラの意味がありませんからね。もう一点は、映しても意味がないからです」
「は?」
「不審者が侵入した場合、警報が鳴る。その時点ですべての鋼鉄のセキュリティ扉が閉じられる。脱出は不可能です」
「それが今回は作動しなかった」
 山際が上田をにらむ。
「そうです」
 上田の顔から笑みが消える。
「また仮に内部にカメラがあったとしても、役に立ちません」
「なぜです」
「防護スーツを着用しているからです」
「あの宇宙服みたいな」
 アスカと上田が問答している間に、シンがSDカードを入れ替えていた。3台のモニターを効率よく見られるようにカードを順に操作していく。映画を観るように犯人のようすを追えた。
 男は廊下を抜けエレベーターに乗る。エレベーター内でもうつむいたままだ。小さな立方体のジュラルミンケースを持っている。あの中に、あたしと透の受精卵が入っているのか。アスカは唇を噛む。エレベーターは3階で止まった。
 男はエレベーターを降りると迷うことなく廊下を進む。
 どこに行くつもりだろう。外部に持ち出すなら、なぜ1階で降りなかったのか。疑問が雪崩となって押し寄せる。
 白く無機質な壁に挟まれた廊下を進む男がモニターに映し出されていた。カメラを意識してなのか、癖なのかはわからないが、前のめりにうつむきながら歩む。D棟とC棟を結ぶ空中回廊が廊下の向こうに見えた。
 男は回廊の手前でしばし佇むと、まっすぐに陽光が降り注ぐ回廊へ歩みだす。ジュラルミンケースに光が反射してゆれる。光のなかを進んでいるようだ、と思った瞬間だった。
「消えた!」
 アスカとシンの叫び声がシンクロする。
「どういうことだ!」
 山際が机を両手で叩いて立ちあがる。パイプ椅子が倒れた。
 シンが慌てて画像を巻き戻す。やはり、白衣の男は渡り廊下の中ほどあたりで姿を消す。
「それはD棟側からの映像です。これも映してください」
 上田が別のSDカードを渡す。シンがパソコンにセットする。モニターに映し出されたのは、男が前のめりに近づいて来る映像だった。
「これは向かいのC棟側からの映像です」
 男のウエーブのかかったぼさぼさの前髪がゆれていた。こちら側からでも眼鏡をかけていることくらいしかわからない。
 男が顔をあげかけた瞬間、鋭い光が射して、男の姿が光の中に消えた。続く映像には男の姿はかけらも映っていない。
 全員が沈黙する。
 山際は立ったまま画面を見つめて腕組みしていた。アスカは山際を下から見あげる。
「ボス……、犯人はどこに行ったんですか」
「わからん」山際が憮然とする。
「ワープしたってことでしょ」
 シンが簡単な四則計算の問題に答えるようにいう。
「ワープ?」
「そう。あそこにあの瞬間、時空のひずみができて、犯人はそこにのまれた。映像を改竄していないとしたら、それしか考えられない」
「ワープなんて映画とか空想の世界の話でしょ」
「そうでもないんですよ。トンネル効果っていって。量子力学の分野ではすでに分子レベルでは立証されてます。まだ分子レベルだけど」
 何かに気づいたのだろう、「そういえば」とつぶやいてシンがパソコンを操作しだした。「やはり、そうか」とうなずくと、「これ、見てください」とモニターの画面を切り替えた。
 空中回廊手前のD棟廊下に設置されたカメラの映像だった。
「犯人はここでしばらく立ち止まります。それまでは迷うことなく速足で歩いていたのに」
 シンが画面を拡大する。
「ここを見てください。男は腕時計を確認しています」
「あ、たしかに」
 アスカが声をあげる。
「おそらくタイミングを計ってたんだと思います。つまり犯人は、あそこであの時間に時空のひずみが起きることを知っていた人物ということになります」

(to be continued)

9話に続く。

 



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