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【連載小説】「北風のリュート」第33話

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第33話:鏡原クライシス(3)
「空の赤潮、だ、と?」高塚の語尾が迷走する。
「鏡原は現在、赤色の積層雲に覆われ昼でも暗い」
「あれは不気味だ。瘴気で空が曇ったとアニメまがいの説やら、陰陽師をネタに空の異変は不吉の前兆だと、特集を組んで煽る局もあったぞ」
「へええ、それは興味深い」
 馬鹿にしているのか。高塚はむっとする。
「その二説、あながち間違っていないかもしれませんよ」
 天馬が別のファイルを開く。
「鏡原の気象データです。異常な気温上昇と連続曇り日の更新。雨が降らずに曇りだけが続いています。残りの二市も、鏡原ほどではないが似たような気象で、しかも呼吸困難者が増えている。気象と謎の病の発生がぴたりと一致します。ところが最高気温トップの才谷市から呼吸困難の報告はない。才谷市には海からの風が入るからです」
 何だと? 高塚は画面に目を近づける。
「鏡原では植物の枯れが目立っています。水没しているわけでもないのに立ち枯れがひどい。こんなの感染症で、どう説明します?」
 植物の枯れと感染症の因果関係……高塚は絶句する。
「ペットの突然死も、空の赤潮で説明がつきます」
「それは人からの感染だろう」
「所長も案外、頭が固いんですね」
 高塚は下から睨みあげる。
「彼らの死因は、空の赤潮による酸欠です。海の赤潮でも海中の酸素濃度が薄くなる。よく似た現象が鏡原の大気中で起こっています」
「それが、植物を枯らし、ペットを殺したと?」
「日照不足で光合成が不十分になり、二酸化炭素の排出が上回って植物が枯れ、さらに酸素の生産量が落ちる。悪循環です。赤潮の範囲が広がるにつれ、外部からの酸素流入も減る。二酸化炭素は酸素より重く下に溜まりやすい。人よりも地面に近い動物ほど先に影響を受けます。ゴールデンウィーク中、鏡原に滞在していましたが、鳥の鳴き声が消えていた。鳥たちはすでに鏡原から脱出していたんですよ。空の異変が不吉の前兆、まさにそのとおり。野生動物はとっくに逃げ出している。人に飼われているペットは逃走ができない。結果的に彼らが相次いで犠牲になりました」
 ひと息にまくしたてると、水をいただけませんかと言う。高塚はしかたなく立ちあがり、冷蔵庫からペットボトルを取り出し渡す。
「これを見てください」と新たな画像をモニターに映し出す。
 微生物の画像だ。ゾウリムシか?
「ゾウリムシに似ていますが、違います。ゾウリムシは水生プランクトンですが、こいつらは大気中を漂っていて、風蟲ワームといいます」
「バイオエアロゾルか」
「その一種でしょう」
「これがどうした?」
「この風蟲が気温上昇に伴う富栄養化で」と次の画像に切り替える。
「赤く変異します。大きさはおよそ十倍、毒化します」
 何だこれは。高塚は腰を浮かせる。
 透明なゾウリムシの隣に、赤いラグビーボール状の微生物が並べられている。スケールが示す長さはおよそ十ミリ。微生物とは言い難い巨大さだ。
「これが空の赤潮の正体。赤毒風蟲せきどくワームです」
 高塚が目を剥きモニターを凝視していると、動画に切り替わった。
「こいつらは集合してテニスボール大の球体を形成し、積層雲の底にたまり球体どうしがくっつきあう。最初は鎖状に、やがてランダムにくっつき複雑な立体を形成する。大量に卵を孵化させ増殖するため構造がより複雑になる。これが現在、鏡原の上空を瘡蓋かさぶたのように覆っています」
 もはや高塚は言葉を失う。これは現実か?
「瘡蓋は傷を治すものですが、これは盆地にぴたりとかぶさった死の蓋です。取り除かない限り、鏡原に生物は住めなくなり、死の盆地になり果てるでしょう」
「毒化していると言ったな」
「今のところ人体に影響はない、との分析結果を得ています」
「犬には?」
「さあ、それはどうでしょう。毒の影響を受けているのは……」と言いかけて天馬が急にトーンダウンする。
 何かをためらうように、高塚の背後の窓を眺めている。高塚も半身を向ける。梅雨のあいまの青空が広がっている。
「空の魚です」
 まるで重要機密でも打ち明けるように、天馬が顔を近づけてくる。
「空の魚? それは何だ?」
「空を泳ぐ魚、です」
 は? 馬鹿馬鹿しすぎて話にならない。

続く


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