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【連載小説】「北風のリュート」第37話
第37話:龍秘伝(2)
出迎えてくれたのは大叔父の邦和だった。藍絣の作務衣が似合う恰幅のいい老人で、物腰に旧家の当主の鷹揚さがある。岡崎の綾子おばあちゃんの兄で、龍源神社の宮司とは同い歳だという。
「房江おばあ様の件では、ご苦労をおかけしました」
レイは消え入りそうな声で頭を下げた。
「あれは、わしも悔しうてな」
縁側をコの字に曲がる。築山と池のある庭は、本来なら梅雨に緑を滴らせているだろうに、茶色い地肌ばかりが目立っていた。それでも池の上の空に魚たちがいるのが見えた。
奥の十二畳の和室の中央に床がのべられ曾祖母の琴乃が臥せっていた。
「すまんなあ、狭いとこで」
ベッドじゃないんですね、と母が小声で訊く。ばあ様がベッドを嫌うんやわ、と邦和が苦笑する。縁側のガラス窓が細く開けられていて、エアコンの効いた部屋に時折ぬるい風がまざる。空の魚たちが出入りしていた。
布団から半間ほど離れた所に白木の長台があり、細長い円筒形のものが乗っている。
「ばあ様は眠っとるから」と邦和がレイを台に招く。
あれが、と思うと、心臓が喉にせり上がりそうになる。
三十センチほどの丈しかない銀の筒だった。歳月を沈めいぶし銀の輝きをひそめている。中央に黒い漆の板が嵌まっていて、白字で『龍秘伝』と記されている。それ以外は、銀の鱗のようなもので覆われていた。
レイは、あっと思った。風琴のボディと似ている?
楽器ケースから風琴を取り出す。
手触りも銀の輝きもそっくりだ。風琴は大きな鱗が二枚合わさったようにもみえる。こんな大きな鱗があるとは思えないけど。
「ほお、同じ材か」邦和も見比べ「ほんまにリュートみたいな形をしとるんやなあ」と感心する。
「龍秘伝はどこにあったんですか?」母も近寄る。
「神社に宝物として保管されとった」
「奉納してたんですか?」レイは風琴を脇に置く。
「いや、戦後のごたごたで行き違いがあってな」
邦和は足を胡坐に組み、まあ、楽にしてや、とレイたちにも膝を崩すように勧める。
「房江おばあ様が、預けたのを忘れてはったんや」
うろ覚えの話になるんは堪忍してや、と断って邦和は経緯を語った。
わしが小学生の時分やった。房江ばあ様が龍源神社にだいじなもんを預けたきりになってるから取りに行くいうんで、付いてったんや。道々、おばあ様が話してくれてな。鏡原は軍の飛行場があったから空襲がひどかった。B29の爆撃でよその蔵が吹っ飛んだのには、びっくりしたらしい。龍源神社でも宝物を裏山の洞に避難させるいう噂を聞いて、嫁入りに持ってきたもんを預かってくれと頼んだ。代々受け継いできたもんを守る方法を、それしか思いつかんかったそうや。せやけど、戦後は農地改革のごたごたやらで忘れてた。琴乃が一人娘で聟をとったから、思い出す機会もなかったいうて、大きなため息をつかはったんが、子ども心に残ってな。そんときに持って帰ったのが、確か琵琶みたいな楽器やったと、一昨日の晩に思い出した。ほんで宮司に尋ねてみたんや。うちの古いばあ様が戦時中に神社に物を預けとったけど、龍秘伝いうんが残ってないやろか、と。
龍の字がついていたので、神社の宝物と誤解され宝物庫に保管されていたのだという。
「灯台下暗しとは、こういうことやな」
邦和が目尻の皺を深くして笑う。
「せやけど、これが開かんのや」
邦和がレイに龍秘伝を手渡す。
通常の筒とは異なり、竹を半分に割って合わせたような造りで、側面に蝶番が二つ付いている。そこを支点にして開くと思われる。
レイは反対側の側面を確かめる。鍵はない。貝の口のようにぴたりと閉じているだけだ。壊してはいけないので台に置いたまま、継ぎ目に親指を掛け左右に引っ張ってみるが、びくともしない。長い歳月で油やごみが付着して剥がれなくなってしまったのだろうか。
「何か噛ませて、こじ開けるか?」邦和が提案する。
壊れてしまったら、とレイはためらう。でも、中身がわからなければ、前に進めない。
「それを弾きなせ」
風がこすれたような声が背後から聞こえた。
「おばあちゃま、なんて?」
曾祖母の枕辺にレイは耳を寄せる。
「目ぇ覚めたんか。起こそか」
邦和が布団に手を入れるが、琴乃は首を振る。
「綾ちゃん、それを弾きなせ」
手をわずかにあげて、レイの傍らの風琴を指す。
「この娘は綾子やのうて、綾子の孫のレイちゃんや」
邦和の訂正には頓着せず、「見つかったんやね」と銀筒に視線を伸ばす。
「母さん、これが何か知っとるんか」邦和が尋ねる。
「りゅうひでん、と魚がいうてます」
レイは、はっと、息を呑む。
「おばあちゃま、魚の声が聞こえるの?」
「弾いたら、開く、いうてます」
骨まで透けそうな白い顔を童女のようにほころばせる。
皺が脈をなす琴乃の手にレイはすがる。
「どうしたら魚はしゃべりかけてくれるの?」
琴乃は、ふふふ、と笑う。
布団の上を魚が一匹ゆらりと回遊している。きっと、あれが話しかけているのだ。
「弾きなせ」
琴乃がレイの手を微かに握り返す。レイはうなずいて風琴を膝に抱える。
竜野川の堤で弾くうちに、魚たちが喜ぶ旋律があるのがわかってきた。
あの旋律に口伝をのせてみよう。レイは弦をはじく。
最後の一節の「虹龍鏡に消ゆ」を口ずさむと――。
さああっと風が吹き、龍秘伝から光の筋が四方八方にほとばしる。光の束が蓋を押しあげ、ぱかりと開いた。
レイは口を閉じるのも忘れ、さんざめく銀の光に呆然と見入る。
母がレイの肩を後ろから抱く。邦和が膝立ちになっている。
琴乃だけが穏やかな笑みを浮かべていた。
「開きましたやろ」
レイは光に手を伸ばしかけて、琴乃の上を泳ぐ魚を探す。
魚はすうっと降りてきて、レイを促すように龍秘伝の蓋をつつく。
レイは巻物を両手で押し戴くように取り出し、巻緒を解いた。
そのとたんだ。
広げた巻物からまばゆい光が立ちあがり、光の中に次々に文字が浮き出る。レイは慌てて、巻物を台の上に広げ置く。ひとしきり輝いた文字は、真っ白な料紙の上に砂がこぼれるように落ち、墨痕あざやかな墨文字となって印字されていく。すべての文字の配列が終わると、光は消えた。
一連の不思議に、レイも母も邦和も言葉を失う。
レイは畳に尻を深く落とし、後ろ手をつきのけぞった。
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