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アンノウン・デスティニィ 第7話「喪失(1)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第7話:喪失(1)

【2035年5月7日、つくば市・山際調査事務所】
 「とおる」と胸のうちで三文字をつぶやくとうっすらと涙がにじむ。
 日向透の研究室が爆発炎上してから4日が経っていた。
 5月3日午前6時13分、D大学湘南キャンパス第3棟5階日向研究室が、ボムという鈍い爆発音をあげて炎上した。ゴールデンウイークの早朝で警備員以外だれもいなかったのと消防への通報が早かったため、被害者は同大学准教授の日向透(28歳)だけ。建物の被害も焼けたのは日向研究室の事務室と実験室のみで類焼はなかった。
 「天才科学者の不慮の死」とメディアは、透の小学生のころの映像まで引っ張り出して騒ぎ立てた。
 山際が昔のつてを使って神奈川県警の捜査本部に尋ねてくれたが、原因もまだ明らかでなく、実験中の暴発事故の線が濃厚だが、他殺による事件性も自殺も否定できず、捜査は混乱を極めているということだった。なにしろ遺体がほぼ黒焦げで損傷が激しく、それが人体なのか木材なのか区別がつかないほど炭化していたらしい。わずかに残っていた皮膚片らしきもののDNA鑑定で遺体が日向透であると判明したくらいだ。それすら、そこが透の研究室であったため、遺体のものなのか、ふだんから落ちていたものなのか区別も難しいという。ただし5月3日から日向が行方不明であることから、状況証拠的に遺体が日向透のものであるとされているにすぎない。
 実験の失敗による事故などあの透にかぎってありえない、とアスカは唇を噛む。
 一瞬、閃光のように強烈な光をみたという目撃情報もある。光があたりすぎる人生は、闇を招くのだろうか。透は「日なたの人生」を嘆息していた。光は影も生むと言っていた。透は光にのまれてしまったのだろうか。
 付きあっていたのか、愛していたのかもわからない。「透」「アスカ」と名前で呼び合うようになってはいた、その程度だ。でも。ボスやシンちゃんに対するのとは異なる感情が育ちつつあったことはたしかだ。この感情を世間では愛とか恋とか呼ぶのだろうか。わからない。わからない。知らないからわからない。ただ、涙よりももっとさらさらした液体が目尻からこぼれてコントロールできないだけ。喪失感だけが胸から広がって、末端のシナプスまで支配している感じがする。
 
「温室を見せてもらえるかな」
 昨年の9月にアスカが透の研究室を訪れると、その翌週には透が山際調査事務所にやって来た。アスカが育てる薬草とその効能への好奇心が押さえられなかったという。アスカは透に傷痕をうすくする塗り薬を処方して渡した。以来、薬がなくなったことを口実に月に二度ほど訪れるようになった。日向透の経歴に憧れと尊敬を抱いていたシンは、ふだんは人嫌いなくせに透には子犬のようになついた。彼には人の心の警戒をとくなにかがあった。痛みと怯えを経験してきた人だから、他人のそれもわかるのかもしれない。
 シンも透の研究室の爆発からずっと事務所のパソコンの前で虚ろな目をして座っている。飼い主の行方がわからなくなって、濡れそぼっている子犬みたいに。
 山際はデスクに両足をのせ後ろで組んだ手に頭をあずけて、太い天井の梁の木目をながめていた。煙草に手を伸ばしかけてやめた。わずかであっても煙は火事を思い起こさせる。
 透の事故死にだれもが沈んだまま浮上できずにいるさなか、山際のスマホが鳴った。山際がスマホに手を伸ばしかけて体勢を崩し、派手に椅子からずり落ちていた。
 こんなときに仕事の依頼か、とアスカは嘆息する。もちろん、こんなときでも、どんなときでも仕事は容赦なくやって来る。気分をかえようとウッドデッキに出ようとしたときだ。
「また、鳴海を名指しですか。情報官といえど、そうそううちのエースを勝手に駒みたいに使ってもらっちゃ困るんだ」
 アスカが戸口の柱を持って立ち止まる。山際はスピーカーをオンにする。
「スピーカーをオンにしてるのですか?」
 上田の抑揚のない声が響いた。
「もちろんです」
 堂々とした即答に、電話の向こうが苦笑する。
「盗まれた。そういえば、鳴海君にはわかるでしょう」
 アスカが両手で口を押さえて目をみひらく。
「盗まれたって、受精卵がですか」
 山際がたずねる。
「なぜ君が受精卵のことを知っている。鳴海君が話したのか」
 上田の声がとがる。
「日向透から聞いた」
「なに?」
「むこうさんから接触してきた。鳴海の顔を拝みにな」
 アスカが口を開けるのを山際が手で制する。(嘘もな、上手に利用すりゃいいんだよ)と山際は常づねいっている。
「あいつには教えたそうですね、卵子の情報を。うちの鳴海には機密情報だから教えられないといいながら」
「……」
「そういうことすっから、信用ならねえんだ。上田さん、あんたはいつもそうだ」
 山際が吐き捨てる。
「それで、いつ盗まれたんですか」
「おそらく5月3日」
「珍しいな、歯でも痛むんですか。なんで日付がおそらくなんです」
「ゴールデンウィークでラボには警備員とひと握りの研究者しかいなかった」
「警報が鳴ったのはいつ?」
「切られていた」
 上田が苦々しげに吐き捨てる。
「警報が切られてるのに気づいて、慌てて受精卵の確認をしたら盗まれていた。判明したのはGW明けの6日ですか」
「そのとおりだ」
「なんでおそらく3日なんです? 4月29日から5月5日まで、可能性は等しくあるでしょ」
「3日の監視カメラに不審な映像が残っていた」
「ふうん。それで、うちの鳴海にいまさらなんの用ですか。相手の日向透は死んだってのに」
「それは……」
「おおかた鳴海をまた、第2候補者の相手にって考えてんでしょ」
「……そうだ」
 ちっとつぶやいて、山際は爪を噛む。
「夫が死んだから、新しい男に嫁げっていうのと同じだってわかってます?」
「……」
「少子化阻止特別措置法でしたっけ? あれもそうだ。こんなくだらねえことを誰が思いついたのか知んねえけど、あんたらは命を頭数とかDNAとかでしか考えてねえ」
 山際が激してべらんめえ調になる。
「アスカ、どうしたい。嫌なら断れ」
「勝手に返事を誘導しないでくれないか」
 上田の声に困惑がまざる。
「上田情報官、鳴海です」
 アスカの声が震える。右手で左手をぎゅっと握りしめる。
「条件があります」
「うかがいましょう」
 山際に対するよりソフトな口調でうながす。
「3日の監視カメラの不審映像を見せてください」
「それは……さすがに」
「私は当事者です。受精卵の卵子は私のものです。自分のものが盗まれたのですから、確認するぐらいはかまいませんよね」
 上田はしばし口をつぐむ。
「わかりました。いいでしょう。日時は追って連絡します」
「俺は保護者としてついていきます」
「ぼ、ぼくも」
 シンが慌てて声をあげる。
「ぼくも情報処理のプロとして同席させてください」
「……山際事務所は強引なかたばかりですね」
 電話の向こうでため息をつくのがわかった。
「いいでしょう。鳴海さんを筆頭に3名で手配しておきます」
 
「アスカ、ひとつ確認しておく」
 電話が終わると、山際がアスカに視線を据えた。
「受精卵をとり戻せたら、おまえはそれをどうしたい」
「ラボに返すのか、おまえの手で育てたいのか」
 アスカは自分が捨て子だったから、子を産むのが怖かった。でも、今は。
 鳶色の明るい瞳が山際をまっすぐに見返す。
「透との卵だから……あたしが育てたい」
「よし、わかった。卵をおまえの子宮に戻してもらえる産婦人科医を探しておく」

(to be continued)

第8話に続く。

 

 


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