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【連載小説】「北風のリュート」第46話

前話

第46話:全住民避難(2)
【6月25日】
 結局、自主脱出は3割ほどに留まった。
 一斉避難は25日から28日までの4日間。29日を予備日とした。

 25日朝7時。鏡原基地にはJAL4機、ANA4機が待機していた。
 15分刻みで関空へ2機、羽田へ2機飛行する。鏡原からの離陸と同時刻に両空港からからの機体が飛び立つ。常に4機が基地に待機し、搭乗を行うことになっていた。
 基地の開門は7時と告知していたが、6時過ぎから列ができ、開門時間を30分早めた。門から受付までロープを張って4列に分け搭乗機ごとに待機場所へ誘導する。航空祭に匹敵する混雑ぶりで、親とはぐれて泣き叫ぶ迷子、係員に詰め寄る怒声が響く。皆、酸素ボンベを背負ったり、キャリーで引いている。それがストレスと混乱に輪をかけていた。離陸10分前になって駆け込む家族もいる。15時の便なのに朝から並ぶ者など不測の事態が続出し、誘導と整理が混迷を極めた。
 池上副司令は「ぎりぎりに駆け込んでくるもんは、次の便に回せ。早く来たもんは、余裕があれば乗せろ。羽田か関空か、送り先の帳尻さえ合ってればいいわ。定刻どおりに飛ばせ」と叱咤した。
 
 陸路は、臨時ダイヤが組まれた。
 混乱を避けるため、通常便は鏡原を通過する。8本の臨時便をねじ込むため、通常ダイヤの本数を減らしての対応だ。
 乗車は、名古屋寄りの鏡原駅と1駅向こうの三留野みどの駅の2駅に分けた。鏡原駅発の列車が発車すると、その15分後に三留野駅発が出発し、ノンストップで中部国際空港駅を目指す。三留野駅の先にある引き込み線に車両を待機させ、先発の2台発車後すみやかにそれぞれの駅に向かい、次の時間帯の乗車を行うという段取りだ。
 駅前のロータリーには長蛇の列ができた。乗車駅を間違える住民もいたが、そのまま乗車させた。普段は乗降客もまばらな三留野駅がごった返した。通常は5両編成の路線だが、航空祭用にホームを長く造っていたのが幸いしたと、N鉄関係者が漏らしていた。
 列車が龍ケ洞トンネルを抜けると、車内には歓声が沸き起こった。窓を開け、酸素マスクを外し、乗客どうしが抱き合う。明るい空に涙を流した。
 
 避難住民の移動手段として、市バスは全線臨時運行に切り替わった。
 各路線がすべて鏡原駅、三留野駅、基地を巡回するよう臨時ダイヤを作成し増便した。
 市役所職員が、自衛隊員が、交通機動隊員が、警察が、それぞれのテリトリーで、それぞれの力を尽くした。
 
【6月27日】
 小羽田家の避難は最終日の28日、三留野駅10時発の列車だ。
「レイ、残るつもりなんだろう」
 前夜の夕食時に父の雅史に尋ねられ、レイは箸を落とした。
「龍穴を探すんだろう。お母さんに聞いたよ。今日行った3カ所も違ったらしいね」

 『龍秘伝』の解読を終えた翌日の25日に郷土資料室で調べ、龍と関係がありそうな洞は8カ所あると目星をつけた。龍源神社、龍が淵、龍泉峡、龍ケ洞、龍ノ口、辰見堂の6カ所に、名称に龍はついていない風門洞と素戔嗚すさのお神社も念のため加えた。
 避難が28日の10時だから、実質動けるのは26日と27日の2日しかない。とにかく遠方から周ろう。
「お母さん、龍穴を探したいの。車で連れて行ってもらえる?」
 母にお願いすると、もちろんよ、と二つ返事で了承し「お母さんも、龍人の血を引く娘なのよ、魚は見えないけどね」と笑顔を返された。
 初日は市の北端に位置する辰見堂と龍が淵、それに南の龍ケ洞を周る予定を組んだ。辰見堂も龍が淵も山奥にあるため車では麓までしか行けず、その先は徒歩だ。
「ここにも魚はいるの?」
 葉が落ちてすけすけの山道で立ち止まり、母が空を見上げる。
「少しだけど。そこを、すーって通った」
「そう。お母さんも見たいわ。どうして見えないのかしら」
 先を急ぎましょう、と微笑む母の息があがる。すぐに酸素マスクを口に戻していた。酸素ボンベと風琴のケースを背負い山道を登るのは、レイもかなりきつかった。母の背が前を行く。幼い頃、母と手をつないで夕暮れ時を散歩したのを思い出した。「お魚」と空を指さすと、「お魚みたいな雲ね」と母は笑った。空の魚のことを母と話せる日が来るなんて思いもしなかった。歩きながら『龍秘伝』の内容を話した。2頭の龍と龍人の悲劇。日本は南龍の上にできた国で、太古の昔には人も空の魚が見えていたけれど、悲劇を繰り返さないためにその姿が秘されたことを。
 辰見堂は山の中腹にある古びたお堂だった。堂の裏を枯れ葉を掻き分けて進むと、人の背丈ほどに岩が割けた洞があった。『龍秘伝』には、「我の力借りたき時、龍穴にて風琴を弾き、口伝を唱えよ。さすれば我に至る道開かむ」とあった。洞の前に白布を敷き、銀に光る『龍秘伝』を置く。風琴を弾きながら口伝を口ずさんだ。
 静かに謳い終えたが、洞には何の変化もない。風琴の中央の弦も鳴らなかった。
 レイは細くため息をついて背後を振り返る。母が手を合わせ祈っていた。「ここじゃないみたい」声をかけると、「そう、じゃあ、龍が淵に行きましょう」と目を開けた。
 龍が淵も違った。下山すると16時前で龍ケ洞に行くのは諦めた。
 今朝は昨日よりも早く家を出た。それでも龍ケ洞と龍泉峡、龍ノ口の3カ所周るのがやっとだった。トンネルの名前の元になった龍ケ洞は、トンネルとは別の山中にある洞窟で「龍の寝床」の異名をもつ。洞の入り口では何も起こらなかったので、奥まで進んで風琴を奏でてみたが結果は同じだった。かなり期待していただけに、がっくりした。龍ノ口でも龍泉峡でも、風琴の真ん中の弦は鳴らなかった。
 
あといくつ残ってるんだ」
 夕食を終えた父が訊く。母が食後のコーヒーを運んでくる。
「龍源神社と風門洞、素戔嗚神社の三つ。自転車で行けるところを後回しにしたの。やっぱり龍源神社なのかなあ」
 そうか、と父が母と顔を見合わせる。
 母が「あのね、レイちゃん」とレイを見つめる。「親としては、娘を危険に晒すことはしたくない。赤い瘡蓋は政府に任せたらいい。それが本音よ。でもこの二日、一緒に周ってレイちゃんがどれだけ真剣か、わかった」
 だから、とコーヒーカップを置き、「お母さんも残るわ」と母がいう。どうやら父と母の間では話がついているようだ。
「もちろん、心配だからよ」
 レイがとまどっていると、母が付け加える。
「お母さんがいれば、車で動けるでしょ」
 それは、確かにそうで、とても助かるのだけど、でも。
「……私は無力な高校生で、流斗や迅と同じ土俵で肩を並べることができない。だから、これだけは自分の力でやり遂げたいの。私にしかできない唯一だから。それに……」
 母の瞳に焦点を合わせ、膝の上で手を握りしめる。
「龍穴に私しか入れなかったら。今の鏡原にお母さんを残して行くなんてできない」
 そう、そうね。母は何かを踏ん切るように数度うなずく。
「わかった。まめに連絡をちょうだい」
 母が覚悟を決めたのを認めると父が、「診療所に酸素ボンベと酸素缶の在庫を保管している。全部使ったらいい」と医師としての助言をする。
「お惣菜を作って小分けして冷凍しているの。食品庫に携帯食とミネラルウォーターもあるわ。世界を救いたければ、体力勝負よ」
「姉ちゃん、ゲームソフト置いてくから、好きに使って」
「無理はしないと約束して」母が明るく迫る。
「撤退も勇気ある選択肢だぞ」父が笑う。
 家族の想いが熱くて優しくてありがたかった。
 
【6月28日】
 両親と弟を見送りガレージから自転車を出していると、「やっぱりいた」と驚きとも諦めともいえる声が聞こえて振り向くと、迅が立っていた。
 あ、とレイは立ちつくす。「ごめんなさい、見逃して」と拝む。
 迅は、ふうっとため息をつき「残留者捜索の任務じゃないよ」と笑う。
「龍穴を探すんだろ。送ってくよ」
 レイは、でも、と一瞬ためらったが、そうねと前髪をかきあげる。
「じゃあ、お願いしよっかな。風門洞に行くバス便がなくて困ってた」
 避難期間中、観光地に行く路線がすべて運休している。
 迅はすばやくレイの自転車を担ぎ上げる。え、とレイが目を丸くすると、
「訓練があるから帰りは送れないんだ。帰りは自転車で、ごめん」
 ガレージ前に見慣れたモスグリーンの四駆が横付けされていた。後部座席を倒してレイの自転車を積む。
「明日も手伝ってあげたいけど、明日はおそらく訓練と打ち合わせで抜け出せないかも、ごめん」と迅がまた詫びる。
「何かあったら遠慮せず連絡して。訓練中は俺のスマホ、池上副司令に預けとくから」
 心配してくれるのはありがたいけど、池上副司令と話すなど自分には絶対無理だ、とレイは思った。

 
「やあ、美沙ちゃん」
 三留野駅の改札受付の列に並んでいると、鷹揚な声に呼び止められた。
「あら、邦和叔父様。叔父様も列車ですか」
「後期高齢者だから飛行機だったけどね。恭一に役所勤めの権力を使わせて、小羽田家と同じ便にしろ、と捻じ込ませた」
 ははは、と笑い、声を潜める。「レイちゃんは、残ったのか」
 ええ、と美沙が目で答える。
「龍源神社の宮司に、洞を閉じてる板を外すように言っておいた」
 美沙が目を瞠る。
 龍源神社の洞は数年前、夜中に若者がもぐりこんで火を使いボヤ騒ぎになった。以来、板を打ち付けて入れないようにしてある。それをレイのために外すよう指示してくれたらしい。
「ありがとうございます」
 美沙は深く頭を下げ、しばらく顔をあげなかった。

続く


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