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【連載小説】「北風のリュート」第45話

前話

第45話:全住民避難(1)
【6月20日】
 会見翌日の20日にロックダウンが解除され、他市に通じる道路の封鎖が解かれた。名古屋に通じる濃尾自動車道龍ケ洞インターに車が殺到すると予測され、迅も朝から龍ケ洞インターで警備にあたっていた。
 会見では、自家用車による自主避難を禁止も奨励もしなかった。一斉避難も強制しない。一斉避難では、政府が責任をもって移送し、避難先も用意すると明言しただけだ。どちらを選ぶかは個人に委ねられた。ずるいけど、しかたないよね、と流斗が自らを責めるように漏らしていた。ただし、一人の遺漏もなく全員が掃討作戦決行までに避難することは絶対だ。自主避難者の把握のため、他市に通じる4カ所に検問が設けられた。
 梅雨だが鏡原に雨は降っていない。朝から重たく空が陰っているだけだ。
動かないヘッドライトの列が連なる。渋滞は検問のためといえ、ライトを消している車も目立つ。白バイの報告によると車列は2キロほど。ゴールデンウイークの渋滞では30キロもざらにあることを考えると拍子抜けするほどの短さだ。そういえば流斗が、一日目に殺到するか、様子見で少ないか、どっちかだろうねと言っていた。
 検問では同乗者全員の氏名と住所を確認する。マイナンバーカードをカードリーダーで読み取ってタブレットに入力し、いくつかの項目にチェックをするだけなのだが、1台につき5分以上かかっていた。タブレットの数を増やし1車線につき5人で手分けすれば、2車線だから一度に10台を流せるのに、と迅が考えていたときだ。
 ギュイイイィイイィイン。
 タイヤがアスファルトを擦る摩擦音が轟いた。
 ブルーのスポーツセダンが車列から飛び出し、大きく湾曲しながら側道を爆走してくる。検問を突っ切るつもりか。緊張が走る。機動隊員がライフルを構えタイヤを狙う。だが、下手に撃って車がスピンすると大惨事に――。
 と、そのとき、白い軽自動車が検問所と暴走車の間に音もなく滑り込んで止まった。車体には鏡原の市章、役所の車か?
 キ、キキィイイイ。
 暴走車がブレーキ音を軋ませ、寸前で止まった。
 セダンの運転席から飛び出した男が、近くにいた迅の胸倉を掴む。
「いつまで待たせるんじゃあ」怒鳴り声を張り上げたとたん、「お待たせしてすみませんね」と、アンパンマンそっくりの顔がぬっと立っていた。
 紺の作業着姿だが、ひと目で市長とわかる。
 男はぎょっとして迅を掴んでいた手を放す。
 まさか市長が軽自動車で。それもあんな無茶な所に止まるなんて。こいつが急ブレーキを踏まなければ、と考えるとぞっとして迅は身を震わせた。
 機動隊員が男の身柄を取り押さえようとするのを、市長は「その必要はありませんよ」と手で制す。「いや、公務執行妨害……」と機動隊員が言い募ると、「何もされていませんよね」と市長は迅に目で同意を迫る。愛嬌のある丸顔はふだんどおりだが目の奥に気魄があった。迅は思わず肯定する。
「車が暴走して、気が動転したのですね」と、口を半開きにして立つ男を市長が気遣う。
 男は目をぱちぱちさせ、「早くから並んでんのに、ちっとも進まねえから、どうなってんのかって文句を……」と言いかけるのを制し、「不安の募る中お待たせして申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げる。
 いや、あの、と男はしどろもどろだ。
「お腹はすいていませんか?」
 はっ?と男は目を白黒させる。
「飲み物とパンを持ってきました。アンパンとジャムパンとメロンパン。どれがいいですか? お腹がすくと、いらいらするでしょう。お届けするのが遅れてすみません」
 市長は、さあ、どれでもと男に勧める。緊迫感にそぐわない提案に一同が唖然とした。
「市長、一つお願いがあるのですが」迅が割って入る。
「なんでしょう」
「タブレットの台数を増やせませんか? 10台あれば、1車線につき5台ずつ処理できます」
「ナイスアイデアです」
 ちょうど市章のついた白いミニバンが、軽自動車の後ろに滑るように止まった。市長と同じ紺の作業着の男性職員が降りてくると、「市長、勝手に行かないでください。探しましたよ」と責める。
「坂下さん、いいところに。私の乗って来た車で役所に戻って、タブレットをあるだけ搔き集めて来てください。バーコードリーダーも忘れずに」
 きょとんとしている職員に迅が説明する。
 市長は機動隊員からスピーカーを借り、車列に向いて声を張り上げる。
「私は、一人の犠牲も出さずに、この難局を乗り切りたいんです。皆さん、全員で、晴れた空の鏡原に生還しましょう」
 拍手が沸き起こる。
 気づくと多くの人が車から出て、事態を見守っていたようだ。
 拍手の鳴り止まぬ中、アンパンマン市長は、ミニバンに積んであるパンと飲み物を自ら配って回る。迅たちも手伝う。受け取る側にも、手渡す側にも、涙が滲んでいた。
 
 迅は酸素ボンベの配給も手伝っていた。小羽田家のある中町を担当させてもらっている。おかげで毎日、夕方には短い時間だがレイと話せた。『龍秘伝』解読や互いの状況を報告するだけだが、顔を見るだけで良かった。
 ボンベ配給時に住民から話を聞いてくれと流斗から頼まれている。
 鏡原から脱出したいけど、自称ポリスの暴動が記憶に新しく、何をされるかわからないから脱出をためらっているという声は多かった。「石を投げられてハンドル操作誤って事故になったらって。悪い方に悪い方に考えちゃうの」と半泣きで訴えられ、迅は拳を握りしめるしかなかった。
 ママ友情報なんだけど、と教えてくれた人もいた。ご主人の実家に身を寄せたママは、近所のてまえ家から出るなってお姑さんに言われるんだって。次男が活発な子だから、外遊びをさせてあげれんのが辛いって。鏡原を出てもキツイなら、一斉避難で集団隔離してもらったほうが、親に迷惑かけんでいいんかな。私らなんも悪くないのに。
 迅は話を聞くばかりで、返す言葉が浮かばなかった。
 
 
 鏡原中央病院看護師の朝倉凪は、記者会見の映像をスマホで繰り返し見ていた。
「また、それ見てんの」
 お疲れ、と休憩室に入ってきた同僚の飛田真幸が背後から凪の手もとをのぞきこんで、ソファの隣に座る。
「山根さんけっこう重症だったのに、小牧に着いたとたん呼吸が正常に戻って、付き添った有田看護師長もびっくりしたんだって」
 昨日の記者会見の映像のおかげで、患者受け入れを申し出る病院が増えている。まずは、アリーナの仮設病床患者から移送することになるだろう。良かった、と凪は安堵すると同時に、こんな状況を招いたのは、自分の不用意な投稿のせいだと考えずにはいられない。ずっと目をそらしてきたけれど、自らの過ちに看護師としてどう決着を付けたらいいんだろう。
「あのね……」凪は膝をそろえて真幸に体を向ける。
 しばらく膝を両手で掴んでうつむいていたが、意を決して顔をあげる。
「今月初めにSNSがバズッたじゃない。あれで鏡原クライシスが広がって、ロックダウンされて……」凪は唇を噛んで、言葉を切る。「あれ、私なの。私が捨てアカで投稿したの」と吐き出した。
「うん。知ってたよ」
 えっと凪は固まる。
「みんな知ってるよ」
 翌日の月曜にね、と真幸がいう。凪と水田さんは夜勤明けで遅出だったでしょ。有田師長が朝のカンファで、おそらくうちの病院関係者だと思われるが犯人捜しをしないようにって通達した。土曜の夜勤者の誰かだろうけど、他科じゃなくて呼吸器だって想像つくよね。結果はどうあれ、みんなが思ってたことを代弁してくれたでしょ。凪がつぶやかなかったら、あたしがつぶやいてた。あれで胸がすっきりした。みんなそう思ってるよ。
 真幸が凪の両肩に手を置く。ぽとぽとと涙がこぼれるのを抑えられない。
「でも、感染症だと誤解生んで……ロックダウンされて、苦しい状況に……」
「それは、そうだけど。しかたないよ。気象災害なんて、誰も想像もしなかったんだから」
 凪はぐいっと腕で涙をぬぐう。
「匿名じゃなくて、ちゃんと名乗って、感染症じゃないことを伝えようと思う。じゃないと、私、看護師でいられない」
「気持ちはわかるよ。でも、SNSは怖い。有田師長に相談してみなよ。それに、素性を曝すなら病院の許可もいるんじゃない?」
 有田師長からも、真幸と同じことを言われた。他科の看護師の可能性もあったけど、おそらく朝倉さんか水田さんだと思っていたと。だって、前線でがんばっていたのは呼吸器科の私たちでしょ。あれは、私たちみんなの叫びだった。だから、私たちの手で間違いを正しましょう。病院として発信しましょう。よく勇気を出して打ち明けてくれたわね。
 凪は有田の胸にすがって泣いた。


続く

 
 

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