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【連載小説】「北風のリュート」第47話

前話

第47話:赤い瘡蓋掃討作戦(1)
 
鏡原の空は朝から、夕暮れのように暗い。明けない夜がはびこる。
 池上は副司令室の窓辺でジッポーのフリントホイールを何度も回転させる。酸素が少ないため、なかなか着火しない。ようやく着いた細い炎に煙草の先を押し付け、肺胞を広げて煙を染み渡らせ、ゆっくりと紫煙をひとつ吐き出す。この酸素状況で煙草がよくないのはわかっている。だが、朝の一本は譲れない。 
「赤い瘡蓋掃討作戦のファーストミッションは、鏡池の水を抜くこと」
 陸自の猛将鷺池を前にして、ぬけぬけと言ってのける天馬流斗の茫洋とした顔を脳裡に浮かべ、また煙を吐く。あいつには、空を救うことしか頭にない。陸将の肩書も威圧感も、けろりと気に懸けぬ。鷺池だけではない。俺のことも顎で使いやがる。くそ忌々しいが、痛快な男だ。
 いよいよだな、と池上は煙草を揉み消し、酸素マスクを装着する。
 いよいよ、作戦の前哨が動き出す。
 昨日の記者会見を受け、今朝から鷺池配下の陸自第十師団が鏡池の水抜きを始めている。
 池の周囲は五キロ、小さな湖ほどの大きさを誇る。その水を抜くのがどれほど難儀か。ざっと二十億トンもの水を抜かねばならん。今は暗渠の小川の水門を開いても何日かかるか予測もつかん。それを。
「十分に乾かしたいので、できるだけ早く抜いてください」と天下の陸将に指示しよった。呆気にとられる鷺池など、初めてみたわ。
 『空の赤潮対策本部』発足に向け、ロックダウン開始直後から榊原、天馬とは綿密な打ち合わせを重ねた。鷺池には作戦の概要が固まった段階で参画を要請した。「池の水を抜くなら、陸自ですかね」と天馬がほざくからだ。蕎麦の薬味にはネギが欲しいぐらいの感覚で、陸自にも参加してもらいましょう、という。
 初対面の鷺池に「陸自にやってもらいたいのは、鏡池の水抜きです」とプライドを蹴散らすことを言い放つ。鷺池は唇をひん曲げ睨んどった。その眼光に臆せず、いや気にも懸けずか。「作戦の要は、鏡池にあります」と胸を張る。あれが効いた。鷺池の目がぎろりと動いたからな。やつ特有の無言の了承だ。陸将を手玉に取るとはな。
 『赤い瘡蓋掃討作戦』は、鏡池上空の瘡蓋に穴を開け、瞬間的にメガトン級の下降気流を生じさせる。その威力を減衰させずに上昇気流に転じ瘡蓋を吹き飛ばす。災害級のダウンバーストの受け皿となるのが鏡池だ。ゆえに天馬にとって「鏡池の水抜きが重要な任務」なのはごく自然なこと。水抜きを貶める気持ちなど、もとよりない。それだけだ。
 それにしても、と池上は唸る。気流の力を利用しようという発想は、自衛官にはない。自衛隊にはミサイルや戦闘機がある。それらをどう配置し、どう使うか。それがすべてだ。自然の力の活用など思いもつかなかった。
 鏡池の利用天馬が言い出した。
 地面を直撃した下降気流を上昇気流に転じる方法に頭を悩ませていた。「鋼板で周囲を囲むか」「一週間あればコンクリは固まるんじゃないか」
 榊原と俺のアイデアは人工物でどう対処するかばかりだ。
「スケボの坂道みたいなのがあるといいんですけど」
 天馬がまた愚にもつかないことを言い出したと思っていた。
「スケボの競技場は鏡原にありませんかね」
「無いな」
 天馬が副司令室を歩き回り、壁の地図に眼鏡を外して顔を近づける。
「ここ、この鏡池はどうですか」
 は、池?
「きれいな真円で十分に大きい。池なら掘る必要もない。それに見てください。ちょうど鏡原盆地の中心にあるじゃないですか」
 満面の笑みを浮かべていた。
 鏡池は人工池ではない。昔から鏡原にあり、龍が流した涙が溜まって池となったという伝説もある。丸くて水面が鏡のようだから「鏡池」と呼ばれ、鏡原の地名の由来になったとも聞く。鏡の森緑地公園は鏡池の環境を整備し、市民の憩いの場とするために造成された。市の西を南北に流れる竜野川の五百メートルほど東、盆地の中心に位置する。
 鷺池率いる陸自第十師団は、ありとあらゆる手段を使い、総力をあげて鏡池の水抜きに取り組んだ。
 竜野川に注ぐ小川の水門を開き、同時に排水用パイプや消防ホースも駆使して竜野川に水を流す。タンクローリーやコンテナを民間業者から借り受け、水を積んで人海戦術で竜野川へと運び捨てる。酸素ボンベを背負いながらの作業。完全に水を抜くのに五日かかった。
 陸自が池の水抜きに総力をかけている間、空自は瘡蓋に穴を開ける作戦を詰めた。
 ペトリオットミサイルを使うことに異論はない。
 ペトリオットを扱う高射隊長の梨木三佐および飛行部隊を統括する音無三佐も加わってもらい議論を重ねた。
 通常の防衛と異なるのは、ターゲットが航空機や弾道ミサイルでなく、微生物ということだ。硬度もよくわからん。滞留している物体を狙うから、レーダーを駆使して追撃する必要はない。そういう意味では容易なミッションといえたが。
「最も効果的な下降気流を生じさせるには、真下から垂直に狙う必要があります」
 天馬がまた難題をさらりとぶち込む。
 通常、発射したミサイルは斜めに高度を上げながら飛来するターゲットをロックオンし迎撃する。直下から狙うことなどない。
「四方八方から斜めに狙うのではだめなのか」
「ペトリオットを八基も配備できますか」
 池上は、ぐっと詰まる。
「上昇気流の影響で八基とも損壊する可能性もあります。高額なペトリオットを八基もごみにできますか」
 池上が天馬を睨みあげて黙ると、高射隊長の梨木三佐が
「発射の仰角をできるだけ低くし、鏡池上空に達したら真上に向かうようプログラムします。なおかつレーダーでも誘導させましょう」と助けてくれた。ペトリオットミサイルは事前にプログラムしたコースを飛行し、レーザーの指示に従って誘導される。
「そのためには、池から距離をとる必要があります」
「どのくらいだ」
「池の半径がおよそ八百メートルなので」と梨木は言い淀み「三百は欲しいですね」という。
「三百メートルか。そのくらい距離がある方が、気流の影響も受けにくい。簡単にひっくり返るとは思わんが、アンテナマストは折れるかもしれん」
 ミサイルの照準をどこにするか、一点に集中させるか、波状にずらすか。螺旋を描くように穴を広げるか。一基につき最大で十六発。効果的なダウンバーストを生み出す穴の大きさは? 様々なシュミレーションを試みた。
 さらに、ペトリオットでどのくらい確実に穴を開けられるかが未知数なため、戦闘機によるミサイル攻撃も追加することになった。
 鏡原基地に配備されている戦闘機は、F2バイパーゼロ、F15イーグル、F35ライトニングⅡの三機種。F2は対艦攻撃に優れている。F35はステルス機。F15が最も機動力がある。ドッグファイトをするわけじゃない。滞空しているものを狙うため戦闘の機動力は必要ないが、上昇に転じた気流が瘡蓋に到達するまでの一瞬で、鏡原空域から脱出せねばならん。隊員の犠牲はもってのほかだ。そのための機動力は必要。F15イーグルが適任か。
 ペトリオットミサイルシステムは、発射機、フェーズドアレイレーダー、射撃管制装置、アンテナ・マスト・グループ、電源車の五台で構成される。これを二ユニット、鏡池の東方三百メートルの地点に南北百メートルの間隔をとって配備する。F15イーグル飛行隊は、四機編隊を三個隊展開する。
 最終的な作戦が決定したのは、作戦決行日の六月三十日の二日前だった。

続く

 
 

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