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アンノウン・デスティニィ 第3話「通常任務(2)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第3話:通常任務(2)

【2034年6月11日、東京・日比谷Tホテル】 
 壇上では長塚大臣が『少子化阻止特別措置法』の意義を朗々と語っていた。賛同する拍手が湧きおこる。ホテルの外の声はここには届かない。ホテルでもっとも広い宴会場はかなりの人だ。デモへの警戒もあるが、法案に対する批判が根強いため出入りは厳重にチェックされ、SPや警備の要員も会場のいたるところに配されている。抑止力も計算されているのだろう、耳にインカムを装着した、いかにもSPとわかる黒服がうろうろしていた。
 やりにくいな、とアスカは内心で舌をうつ。
 チャンスは一回きりだ。失敗はできない。覚悟が美貌に生気を与える。
 長塚が演説を終えると万雷の拍手が会場をゆらした。壇上を降りた長塚が客のあいだを回遊しだすと、たちまち取り囲まれる。二重三重の人の輪に割って入り、至近距離で近づくのは至難の技か。なんとかして大臣の注意を引かなければ。だが、その必要はなかった。メディアで人気の森山の周囲にも人溜まりができていた。適当にあしらっていると、長塚が気づき、向こうから近づいて来る。それを視界の端でとらえアスカも動いた、ごく自然に。政界の大物が近づいてくることに興奮し慌てふためくように。腕も足も大きく動かして長塚のもとへと歩み寄る。
「大臣、すばらしい演説でした」
 言いながら、わざとけつまずきよろめいて大きく体勢を崩す。制御不能になった機体のように、どしんと長塚の上半身に体当たりする。長塚の肩をつかみ「1502号室でお待ちしてます」と耳もとで囁きながら、首の後ろに細い針を突き刺す。強くもたれかかった女体に気をとられ、蚊が刺したほどの痛みすら感じていないだろう。その証拠に大臣はにやりと下品な笑みを浮かべる。駆け寄ったSPが森山を抱え起こす。
「森山先生は、見かけによらずそそっかしいね」。
「も、申し訳ございません」森山に扮したアスカが、何度も頭をさげる。
「失礼いたしました。お怪我はありませんか……」おずおずと尋ねると
「いやあ、美人に抱きつかれてうれしいよ」
 豪快な笑い声をあげる。傍にいた後援会長も「羨ましい限りですな」と同意する。
「紹介するから、ついてきなさい」
 身のほどをわきまえた遠慮を装い、後援会長の後ろからついていく。長塚の背に視線を据えアスカは静かに息を吐く。それから小一時間、適当に愛想笑いをふりまき大名行列の一員となった。定刻が近づいていた。秘書が閉会のあいさつを長塚にうながす。そのタイミングでアスカはそっと化粧室へ向かった。

(そろそろプレゼントを贈らなくっちゃ)
 化粧室は廊下の向かい奥にある。列席者のたいはんが男性だけあって、女性用は無人だった。個室に鍵をかける。流水音を流しながらラペルにつけていたカルティエのパンテールを模造したブローチをはずす。豹の目の部分に小型カメラが内蔵されている。それをスマホとつなげ画像を確認する。連射で撮った画像から3枚選んだ。
 長塚とぶつかる寸前の画像。
 ぶつかった瞬間の長塚とアスカの頬がふれあう画像。
 長塚大臣の首に針を刺している画像。
 森山たか子のベッドに置いてきたタブレット宛てに3枚を送信する。森山の犯行を裏付ける証拠として。そろそろ彼女もお目覚めだろう。
(メディアでいつも自信たっぷりな女はどんな顔をするかしら)
 それにしてもわからない。いくらハニートラップとはいえ、頬がだらしなく垂れさがり老人斑の浮かんだ大臣とあの森山たか子が寝たのかしら。
 ベッドにばらまいてきたのは、長塚大臣と森山たか子の密会写真だった。
 
 閉会は午後3時。客があらかた散会するのが3時半ごろ。大臣はSPの付き添いを断って1502号室に向かうはず。下卑た笑みを浮かべながらね。毒はそのころ発症する。SPがまだ周りを固めているなかで倒れてくれれば、最も効果がのぞめる。「長塚大臣倒れる」のニュース速報は、早ければ午後4時にはネットに流れるだろう。投票日の7月10日までほぼひと月、昏睡状態が続く。眠りからお目覚めになったら選挙結果が出ている。マスコミがどんなふうに騒ぎ立てるかはわからないけど。日本の将来のため法案成立に奔走したおれたとか、掌を返したような美談に仕立てるかも。会場に戻りながら、眠り姫はくすっと笑む。
 
「任務完了よ、ボス」
 ホテルの大きく湾曲したスロープを下りながら報告する。ストレートロングの金髪が初夏の風になびく。黒のミニタイトワンピースが長い美脚を誇示する。色素の薄い鳶色の瞳。美しい金髪とともに、アスカがハーフであることを遺伝子が表現している。任務で日本人に扮するときは黒のカラーコンタクトを装着する。手にはホテルのロゴの入った大きな四角い紙袋。結婚式の引き出物でも入っていそうだ。さっと吹いた風が袋にかぶせているショールを巻き上げそうになり、慌てて押さえる。その下から、ちらりとクロコのバッグとオレンジのスーツの端が見え隠れする。
「おつかれさん。お色気ばっちりミッション、楽しかったかい」
 まのびした声が返ってくる。それにちょっとイラつき、「一石二鳥ミッション」と言い直し「やり遂げたんで、あすから一週間有休とります」
 アスカは言い放つと、スマホの電源を切る。
 紙袋のなかをちらりと覗く。
(ああ、あ。このディオールのスーツを燃やさなきゃいけないのか。ちょっと残念)
 静けさをとり戻した日比谷公園の噴水前を通る。まだ陽は高く、緑が目にまぶしかった。

(to be continued)

第4話に続く。

 


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