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アンノウン・デスティニィ 第15話「アンノウン・ベイビー(3)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第15話:アンノウン・ベイビー(3)

【世界も、日時も不明。場所はつくば市か?】 
 ざりっ。また痛みが走った。
 目のまえで閃光が炸裂しあたりが白く輝きなにも見えない。運転席のキョウカも確認できない。音もない。つかんでいるはずの助手席のシートも網膜でとらえられない。自分の存在すら危うくなりそうだ、と思った瞬間、視界が戻った。
 世界が色を取り戻し、輪郭がよみがえる。先ほどと同じ光景が目のまえにある。違いといえば、すぐ前にシルバーのセダンの尾部が迫っていたことだ。さっきまでは前方に車はなかった。
「あっぶなあ。もうちょっとでぶつかるところだった」
 ハンドルを握るキョウカが安堵をもらしたときだ。

 キキーーーーッツ、ドン! ガシャン!
 後方から急ブレーキが高音の断末魔を軋ませ、地響きのような衝突音とクラッシュ音が轟いた。と、間髪をあけずに。
 ボンッ!
 鈍く大きな爆発音がした。
 驚いて後方を振り返ると、大型トラックに黒塗り車が激突し炎上していた。
 クラッシュしているのは黒龍会の車だ。
 アスカたちを追って鏡を越えたのだろう。ワープした先にトラックがいた。わずか数秒の違いであたしたちも、ああなっていた。躰の芯がぶるっと震える。前を走るシルバーのセダンとトラックの間に二台ぶんくらいの車間距離があったのがさいわいした。アスカたちは運よくそこにワープすることができただけ。目のまえに突然、アスカたちの車が現れたものだから、驚いたトラックの運転手が急ブレーキを踏んだ。そのタイミングで黒龍会の車が越鏡してクラッシュした。
「犯人は?」
 キョウカがハンドルにしがみつきながら叫ぶ。さすがのキョウカの顔も真っ青だ。
「あ、あそこ」
 炎上騒ぎに振り返ることもなく、白衣の男は悠然と200メートルほど先を歩いていた。その先になにかの施設の入り口がある。そこに入っていく。歩道にはすでにスマホをかまえた野次馬がひしめきはじめていた。
「追うわよ」キョウカがアクセルを踏む。
 消火器をもって走ったのか、守衛室は無人で難なく門を通過できた。
 正面にブロンズのモニュメントがそびえたっている。中央に浮く球体の周囲を細い銅線が幾本も楕円の軌道を描いて取り囲み、それを両手が支えている、そんなモニュメントだった。足もとには『卵子・精子バンクラボ』の看板があった。球体が卵子で、周囲の銅線は精子を表しているのだろうか。車路はモニュメントのある植え込みをぐるりと迂回し、エントランスに向けてゆるく上る坂道になっている。

 ――卵子・精子バンクラボがもうできてるの? たしかまだ法案が衆議院を通過しただけのはず。いつのまに? ここはどっちの世界? 

 ストッキングの上から左脚をさぐる。傷がひとつ増えている。一度めの越鏡でついた傷は足首あたり。その少し上に新しい傷がある。できたばかりである証拠に触れた指先に血がついた。鏡を越えたのはまちがいない。もとの世界に帰ってきたのだろうか。
 視線は白衣を追いながら、脳は忙しく回転する。たくさんの疑問符がばらばらに点在していて線で結べない。混乱だけが増幅していく。
「降りて」
 キョウカの鋭い指示が飛ぶ。アスカは反射的に車から降り白衣をはおる。
 エントランス前に車体の長い大型リムジンが横付けされ、人だかりができている。カメラやマイクをかまえた撮影クルーでごったがえしていて、車はこれ以上進めそうにない。
「すみません」スタッフの一人が駆け寄る。キョウカがウインドウを下げる。「左の駐車場に停めてもらえませんか」
 カメラをもったスタッフが数名ばたばたと駆けおりてくる。事故現場の映像を押さえにいくのだろう。消防車のサイレンが北からも南からも響く。リムジンに乗っているのが誰かはわからないが、どこぞのお偉いさんの視察か。主役の到着と、至近距離での事故の発生に各社のカメラマンや撮影クルーも右往左往していた。絶妙のタイミングで白衣の犯人が混乱の渦中をすり抜け建物に入るのを、アスカの視線がとらえた。アスカも人波をかきわける。扉まであと数メートルで「すみません、下がってください」撮影スタッフに押しとどめられた。(こんな大勢の前でスタンガンは使えない。毒針で倒れさせ、その混乱に乗じる?)算段したときだった。
 どさっ。
 アスカから2人ほど離れた場所に立っていたスタッフが倒れた。5月にしては暑かった。熱中症かと、アスカを押しとどめていたスタッフもそちらに駆け寄る。「いまのうちに早く」ピアス型インカムからキョウカの声がする。あたりに視線を走らすと、倒れたスタッフを介抱する人の輪にいた。アスカに向かって、早くいけとあごをふる。キョウカのしわざか。同じことを考えるんだな、とおかしくなる。
 建物に入る寸前にリムジンから降り立った人物を横目でとらえ、アスカはぎょっとした。長塚厚生労働大臣が腹をゆらしながら周囲を睥睨へいげいしている。SPが大臣の前後につこうとすると「撮影の邪魔になることがわからんのか」と一喝していた。サイレンが鳴りやまず、報道ヘリか消防ヘリか、ヘリコプターの爆音が轟いていた。
「大臣の声がひろえません。話はなかで、エントランスホールでお願いします」
 急遽の変更にスタッフがばたばたと走る。その混乱に乗じてアスカもホールに入る。
 ホールは吹き抜けで、2階にあがるエスカレーターが左手の壁にそって設置されている。ホール奥はかなり大きな光庭で建物はロの字型に配されているようだ。庭の中央にエレベーター塔があり、それを結ぶようにガラスの空中回廊が十字に渡されている。隣の基礎応用科学研究所とよく似たデザインだ。同じ設計士によるものだろうか。廊下は光庭の手前で3方向に分かれている。エレベーター塔へと向かうガラスの回廊に人影はなかった。左右の廊下にも目を凝らしたが、それらしき人物をとらえることはできなかった。すでに廊下の先で進路を変えているか、どこかの部屋に入ったか。まだエスカレーターの先をたしかめていない。いったんホールに戻る。ちょうどカメラのフラッシュを浴びながら大臣が入って来た。撮影クルーの人垣の背後をすり抜け、研究員をよそおってファイルを小脇にかかえエスカレーターに乗る。駆け上がりたいがめだつ行動は極力避けなければ。報道カメラの向きを横目で確認する。大臣は『卵子・精子バンクラボ』と記されている壁を背にエスカレーターに向かって立つ。撮影クルーはエスカレーターに背を向け、大臣を半円に取り囲む。こちら側を向いているのはSPだけ。不審な動きさえしなければだいじょうぶだろう。
 ホールのようすを確認してから階上に視線を走らせ、アスカの胸がはねあがった。
 エスカレーターをあがった先はテラスになって一部がホールを見下ろす形で張り出している。そのテラスの端の壁際でジュラルミンケースを持った白衣が大臣のようすを上からのぞいていた。アスカの全身に緊張がみなぎる。走り出したい衝動をかろうじて押さえ、視線を一点に集中する。
「見つけた。2階のテラス」キョウカのインカムに短く伝える。
 アスカが2階に到着する直前で、犯人はテラスから続く廊下へと軽快な足取りで歩み出した。どんどん距離があく。速足で急ぐが、まだ1階ホールから丸見えのこの場所で走り出すことはできない。ましてや銃で狙うことも。

「受精卵から育つ子どもたち『アンノウン・ベイビー』こそ、少子化に歯止めをかけ、日本の国力を……」大臣の演説が吹き抜けのホールに反響する。

 ――アンノウン・ベイビーって何?
 疑問がよぎったところで、ようやくテラスがとぎれ、アスカのつま先が廊下を蹴って跳びだす。廊下の左は全面ガラス張りで、走りながらアスカの目が広角で室内のようすもとらえていた。
 規則正しく並べられた無数のシャーレ。それらが順に作業レーンを流れていく。レーン上に一定数のシャーレがセッティングされると、シャーレの数だけロボットアームが降りてきて何かを注入する。蓋を閉めると、動き出し保管庫に詰められていく。隣の部屋ではシャーレのなかみが培地ごとテニスボール大の透明な球体に詰め替えられていた。整然とした狂いのない作業。おそらくここで人為的な受精が行われている。受精が成功した卵は保管され、一定の胚分割に達したものが球体にセットされるのだろう。セッティングが完了すると球体は透明の円筒状のパイプに吸い上げられていく。パイプは天井近くで垂直に折れ曲がり、部屋の外へと続いているようだ。
 男が廊下の角を左に曲がる。アスカはトップギアで駆けだす。
 角を曲がると斜め右に鋼鉄の扉がみえた。男が扉の前で生体認証装置に手をかざしている。左の壁の天井から先ほどみえたアクリルチューブのパイプが何本も伸び、廊下をはさんだ向かいの壁を貫通し内部へと続いている。パイプの中を球体がゆっくりと漂うように流れていた。
 男を追ってアスカは閉まりかけた扉に体を滑りこませる。

(to be continued)

第16話に続く。


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