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【連載小説】「北風のリュート」第18話

前話

第18話:糸口(5)
「結婚式の前日に母に呼ばれてね。座敷に桐の箱が一つ置かれてたの」
 美沙の実家は岡崎にあるという。
「庭のハナミズキが満開で、空に捧げられた薄紅の花束のようだったわ」
 記憶をたどるように美沙は目を閉じる。
「桐箱には、銀に光る弦楽器が一棹入っていて。娘が生まれたら必ず嫁入りのときに持たせなさいといわれた。もらったのは、それだけ。他には何もなかったはず」
 美沙は静かに目を開けた。流斗は美沙から目を離さずに聞いていた。
「龍秘伝なんて巻物、渡されなかったと思う。箱に入ってなかったなら、わからない……」と言いかけて、はっとする。
「そうだわ。そのとき呪文みたいな口伝を教えられたの。忘れちゃいけないと書き留めた。取ってくるわね」
 すぐに文箱を手に戻ってきた。黒い革のノートを取り出し、紐の挟まれた頁を開く。失くしてはいけないと、わざと厚くて立派なノートを用意したのだという。

風龍幽谷に隠れ 龍人風徒秘す
三密鳴動すれば 風穴道を啓く
風花天地を鎮め 虹龍鏡に消ゆ

 流斗の方に向けてテーブルに置き、美沙が読みあげる。

 ふうりゅうゆうこくにかくれ りゅうとふうとひす 
 さんみつめいどうすれば ふうけつみちをひらく
 ふうかてんちをしずめ こうりゅうかがみにきゆ

「ね、なんだか呪文かお経みたいでしょ」と苦笑する。
「さっぱりわからないと思っていたけど、同じ言葉があるのね」
 タブレットを指さす。
「じつに興味深いですね」
 流斗はさっそくスマホで撮影する。
「岡崎の母なら何か知ってるかも。渡し忘れてる可能性も。うっかりしているところがあるから」
 美沙は、レイにどうする、と尋ねる。
「岡崎に行ってみる。久しぶりにおばあちゃんに会ってくる」
 レイがためらいなく答える。
「ゴールデンウイーク中はこっちに滞在するつもりなんで、ぼくも一緒に行きます。いや、行かせてください」
 流斗はすぐさま随行を申し出る。
「俺……あ、ぼくも演習がなければ同行します。車も出しますよ」
 イーグルドライバーとドライブか、とおどけると、イーグルは飛ばしませんよと迅に釘をさされた。
「すっかり長居してしまいました」と流斗が腰をあげると、
「あら、お夕飯も食べていってください」と美沙が申し出る。
「恩師と会食の約束をしていて。残念です」と頭を下げた。
 
「宿泊は、どちらに?」
 上がり框に腰かけ靴紐を結んでいると、雅史が声をかけてきた。
「名古屋のホテルです。明日からは鏡原のビジネスにかえます」
「でしたら、うちはどうです? 無理強いはしませんが」
「いいんですか。それは助かります」
 慌てて立ち上がり、コンコンとつま先を土間で調整しながら上り框の方に向き直る。
「食事は適当にするんで、おかまいなく。なんなら布団もいらないくらいです。床でもどこでも寝れますから」
 流斗は早口で申し添える。
「はははは、布団くらいは用意しますよ。食事は、気が向いたら食べてください。特別なものはこしらえませんから。なあ」と雅史が妻を振り返ると、「ええ」と美沙も微笑む。
 
「天馬さん、すごいっすね」
 小羽田家の門を出たとたん、迅がなぜか昂奮している。
 何がすごいのか、さっぱりわからない。
 駅へと続く県道は午後三時を回ったところなのに、すでに夕暮れ時のようにどんよりしている。レイが空を見上げている。
「魚はいるの?」と訊くと、こくんとうなずく。
「ご両親に魚のこと、認めてもらえて良かったね」というと、また、こくんとうなずいて照れくさそうに笑う。空は曇ったままだが、レイの心が少しは晴れたなら良かった。
 ぼくも空の魚が見えるようになれたらいいのに、とレイを真似て空を見上げてみるけれど、曇っている空では風の動きすらわからない。迅も立ち止まって空を見上げる。
「二時の方向からイーグルの編隊が演習から帰ってきましたよ」
 ギュイイイイイイィイン。
 曇り空を切り裂いて轟音が基地へと降りていく。


続く


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