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「自由」とは自分で決め続けること

私は「自由」だ。思えばずっと「自由」だった。

大学までエスカレーターで進める中高一貫の女子中学校に入学したのに、大学受験して失敗して浪人したことも、大学に入ったらアルバイトしてはバックパック一つで海外を放浪したことも、就職した会社を1年ちょっとで辞めてまたまた放浪の旅に出たことも、しばらく落ち着いたかと思えば30歳を目前に退職してケニアに1年行ったことも、帰国したと思ったら1か月で今度は1年オーストラリアに行ったことも、40歳になっても結婚する気もなく山に登ってばっかりだったことも、47歳になって、大好きだった会社を辞めて急にパートナーと共に北海道に移り住むことにしたことも全部「わたしが」決めた。まぁ、他にどうしようもないしね・・・と流された時期もなくはないけれど、それも含めてわたしの選択。

日本で勤めた会社のうち最初の会社以外の2つはいわゆるそれなりの大企業。退職を決めた時、『もったいない』という人が周りに少なからずいたけれど、わたしはその感覚を全く持ち合わせておらず、その時のわたしにとってはむしろ辞めない方がもったいないと本気で思っていた。

そして今振り返るとビックリなんだけど、わたしは家族の誰にも相談していない。全部決めてから報告だけ。そして家族は誰も大賛成!はしないけど反対も一切されなかった。まぁ、今さら反対したところで・・・というが大きいのだろうけど。

親、特に母親からしたら理想の娘と真逆だったはず。「こうあってほしい」という娘像と程遠いんだろうな。思っていたように子は育たない(笑)。

そしてわたしは今、しあわせである。

こうありたいというビジョンがあって、それに少しずつ近づいていて、お金はないけど自分を飾るだけのようなモノは不要だと腑に落ちてわかっているし、畑の土や森からたくさんのことを教わり、信頼できる家族と友人が存在する。

わたしは子がいない(これもわたしが選択したこと)のだけど、もし親だったら、わが子がこんな風にしあわせなことが、親としてはこの上なくしあわせなんじゃないかなって。描いていた理想の娘とは程遠いとしても。

わたしはたぶん「自己肯定感」高めです。そもそもそんなこと意識したことなかった。「自己肯定感が低い人が多い」みたいなことをよく耳にするようになって考えると、自分のこと嫌いじゃない。ナルシスト?自信過剰?いろいろ言う人はいるかもしれないけど、シンプルに「自分好き」。これ、もしかしてこれまで何かを決めた時に家族・・・特に母親に賛成もされなかったけど、「いっさい反対されなかった」からなのかなって最近思って。子どもの頃から、わたしは決めたことを否定されることなく、育ったからなのかもしれないなって。

母とわたしは特別仲がいいわけでもないし、イマドキのように友達みたいな親子でもない、いたって普通の親子関係。今でも相いれない考え方や価値観も多い。でも母親だって、わたしと同じようにパーフェクトではないひとりの人だとこの歳になって思えるようになった。そして、わたしの決断にいっさい反対してこなかったとてもウツワの大きな人だと気づいた今。

わたしが生まれた時の写真がたくさん貼ってあるアルバムには「ママをたくさん困らせていいよ」と母の言葉が綴ってある。今のわたしよりずっと若い27歳の母が0歳のわたしにくれたことばだ。ウツワはるかにでかい。

わたしのかわいい姪×3と甥へ。こうるさいくて、ウザいと思うこともあるかもしれないけれど、きみたちのばぁばは偉大です。わたしはきみたちの親ではないけれど、シアワセであってほしいと心から願っております。シアワセのものさしは自分で持っていた方がよさそうです。そのものさしを頼りにこの先いろんなことを、自分で決めてください。自分で決めるって究極の自由だと思うので。迷ったり、つらかったり、悲しかったりしたときは、変わった叔母のところへどうぞお越しください(笑)。「叔母を困らせていいよ」とは言えないけど、生きてるかぎりわたしはいつでもきみたちを応援します。

ずっと書きたかったけど、とりとめなくてうまくまとめられずにいたことを久しぶりにしたためました。ずっと読みたかった坂口恭平さんの『自分の薬をつくる』によると、酸素を吸ったら二酸化炭素を吐き出すように、食べ物を食べたら排泄するように、人はインプットしたらアウトプットしたほうがいいそうです。その形に美しさやすばらしさは関係なく、つまり下手でもなんでもいいから出すことが大事ということだったので、まとまらないけどまぁいいやという気持ちでスルッと出してみました。最後までお付き合いありがとうございます。またこちらでお会いできたら嬉しいです。




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