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「おかえり」という場を創るという妄想

自分の家でもないし、育った場所でもないのに「おかえり」と言われた。
わたしは「おかえり」と言われるとうれしい、非常にうれしい。そのうれしさとは、『ここはあなたがいつでも帰ってきていい場だよ』と受け入れられている感。そしてその『いつでも』は本当にいつでもいい。たとえそれが10年ぶりだったとしても。

東京のイタリアンレストランの「おかえり」

北海道から長年暮らした東京(厳密には埼玉なのだけど、起きている時間のほとんどは東京にいた)に帰ると、必ず食べたくなる店がある。目黒駅から徒歩5分のビルの地下にあるその店に行くと、まず「おかえり~」と迎えられる。年に数回しか行っていなかったけど、オープンから10年以上、ずっと通い続けているからね。なんなら前の店からシェフを追っかけて通ってるからね(笑)この店のすごさはいつかnoteに・・・と思っているので、またいずれ。シェフもソムリエもパティシエもみんな「いらっしゃいませ」ではなくて「おかえり」。わたしはと言えば「おかえり」にご満悦で「ただいま」となるのである。

檜原村のおじちゃんたちの「おかえり」

時はさかのぼって10年ほど前。わたしは東京の唯一の村である(島しょ部を除く)檜原村に毎週末のように通っていた。古民家をゲストハウスにリノベするという変わった若者に出会い、意気投合&共感して手伝いに・・・どちらかというと宴会目当てに通っていた。宴会の成果もあって(?)、ゲストハウスができるまでにその古民家の大家さんや近所のおっちゃんたちとは飲み友達として認識されるようになり(呑んべえ🙌笑)、その後もちょこちょこと遊びに行っていた。それでも通う頻度はだんだんと減り、年に数回行くか行かないか。桜がきれいな季節、数年ぶりに訪れたら、「おぉ~、帰ってきたかー。ひっさしぶりやないかよー」と迎えてもらった。やはりなんかうれしい。

山小屋のおかみさんのおかえり

そこは北アルプスの奥の奥、歩いて10時間の場所にある山小屋はわたしを「おかえりなさい」と迎えてくれる。夫がなんども通っていて、ときにはお手伝いをしていたその山小屋にわたしも何度かお邪魔した。厨房の食卓に呼んでくれて、いつもの小屋の皆さんの食事に入れてくれる。行くタイミングがいつもお客さんの物資がヘリで運ばれてくる前(小屋の営業前)や秋の営業終了間近なこともあり、小屋にはたくさんの食料がない。つまり食べ物に限りがある中で、わたしたち2人にも分けてくれるのである。ときには足りない分は食べるだけの野草を摘んできたりも。小屋を出て山をおりるとき、小屋のテラスから「いってらっしゃーーーーーーーーい」とずっと手を振ってくれる。

宮城県にいる両親・親戚の「おかえり」

宮城県栗原市。両親が18歳まで暮らしたその場所は、私にとっては大好きな祖父母がいた場所。子どもの頃の夏休み・冬休み・春休みはほぼすべてここで過ごした。高校・大学生になって行くことも少なくなり、社会人になると数年に1回チラッと行くか行かないか・・・。昨年、両親が長い長い都会生活(と言っても埼玉)を経て、生まれ故郷に戻る決断をした。わたしが人生のほとんどを過ごした埼玉の実家はあっさりとなくなった。帰る場所がなくなったのだ。両親がよく考えて夫婦2人で決めた(もちろん事前に相談はされた)ことなので、反対することもなかった。でもわたしには帰る場所がなくなったと思っていた。実際父にも相談を切り出されたとき、「2人(私と妹)には実家がなくなってしまって、申し訳ないんだけど・・・」と言われて正直さみしかった。
両親に会うために、今は北海道から宮城に行く。実際に行くとそこはわたしが育った家でもないのに当然のように「おかえり」と言われる。祖父の27回忌以来5年以上も会っていなかった従姉にLINEしたら「おかえり~」と返ってきた。うれしかった。なんかすごくうれしかった。「ただいま~」と返した。順番逆だけど(笑)そのときからわたしは「宮城に行く」ではなく「宮城に帰る」と自然に言葉が出るようになった。

「おかえり」を言う側を妄想する

そう、わたしは「おかえり」と言われたい人なんだ。「おかえり」と言われると幸せを感じる人なんだ。自分の「幸せのものさし」もうひとつ見つけましたよ。めでたく「おかえり」と言われたい症候群であると気づいたわたし。「おかえり」と自分も言いたいと思うようになった。「おかえり」という場を自分が創ればいいのだと。どうやって??まだよくわからないですけど何か?はい、これから考えますけど、とりあえずやりたいことは言っておくこと。妄想は自由!むしろおススメ!人生は意外と妄想の通りになる論!
妄想のススメ|sono (note.com)

妄想し始めたら楽しくて仕方なくなりました。老若男女、ご近所、遠征、旅人だれでもふら~っと気軽に立ち寄ってお茶でも飲んで、ハンモックにでも揺られて、ウクレレでも奏でて、本でも読んで、絵でも描いて、そこにいる人と何気なーい話をして、畑でもいじって、焚火でもして、ボーっとして、気が済んだら帰ればいいし、そのままごはんを食べて行ってもいいし、泊ってもいい。

一度だけでもいいけど、できればまた来てほしいかな。その「また」は明日でもいいし、1か月後でも、10年後でもいつでもいいよ。なぜなら「おかえり」と言いたいから、わたしが(笑)。

わたしのかわいい甥姪よ。(家族ができて甥×3、姪×5となりました!)
きみたちの叔父と叔母はいつでも待っています。どこか特別な場所に連れて行ったりはしませんが、いつもの暮らしでよければどうぞどうぞ。「おかえり~」と言いたいだけの料理が不得意な叔母が待っています(笑)。
そして「普通」や「常識」という誰か・・・もしかしたら親や私たちが決めた「幸せ」、顔も見えないネットかなんかで誰かが言っていた「幸せ」なんて気にせずに、自分のものさしを持った人になったら叔母は大変喜びます。

作品を綴りながら、わたしには「おかえり」と言ってくれる場が結構あるなぁとじんわりシアワセな気分になりました。北海道に来て2年ちょっと。実は道内にも「ただいま~」と言う場所がありました。「おかえり」を言ってもらいたいから、先にわたしが言うんですけど(笑)あっという間の2,500文字超え。最後までお読みいただきありがとうございます。またこちらでお会いできたら嬉しいです。


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