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03 洗濯と才能

朝ごはんを食べ終えた。
10時40分。
起きたのが10時ぴったりだったから、朝ごはんだけで、もう40分も経っている。

慌てて洗面所へ向かう。
このあと早急な用事があるわけではないが、うっかりしていると、あっという間に1時間も2時間も時間が経ってしまいそうで、少し焦った。
なぜ朝というものは、こう性急な気持ちにさせるのだろうか。

さて、洗濯機を回そう。
昨日はタオルを洗ったから、今日は衣類を纏めて洗う。
タオル、衣類、靴下、バスマット、その他デリケート洗いというように、それぞれ分けて洗うようにしている。
タオルと衣類は3日に一度。靴下、バスマットは9日に一度。デリケート衣類はたまにしか出ないので、都度である。
分類して洗うのは面倒なようだが、同じ種類の物のみのほうが、干すのも畳むのも単純作業になるから簡単になる。仕分けカゴをそれぞれ用意しておけば、分類の手間もない。

それでもなお、洗濯自体は面倒だ。
毎日毎日同じようで、終わりがない。
洗濯だけではない。
掃除も、炊事も、家事全般は面倒くさい。
家事だけではない。
顔を洗うのも、服を着るのも、お風呂に入るのも面倒である。

世の中の誰もがそう思うのか。
そんなことはないだろう。
世の中には、こういう事を何でもないことのように出来る人々もいるのだ。
きっとポテンシャルが違うのだろう。
持って生まれた才能である。

しかしまた、こうも思う。
こんなにも全てを面倒に思う、ポテンシャルの低い私であるが、何とか生きている。
決して裕福なわけではないけれど、人並みの生活である。
ポテンシャルの割には、良い生活な気もする。
費用対効果的に、コスパよすぎ、である。

人生上々。

謎のポジティブに駆られながら、洗濯機のスイッチを押した。
洗濯機の操作パネルの表示が、45、35と交互に点滅し、洗濯量と所要時間を教えてくれる。

川で洗濯をすることを思えば、かなり楽だ。

昔話に出てくるような牧歌的なおばあさんを思いながら、便利で文化的な文明に感謝した。

第3話

朝の習慣を全10回を目指して書いています。
情景や心情を書く練習です。
スキやご感想、アドバイスなど頂けたら嬉しいです。

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