唯一つ、唯一つだけ_2023/5/14



5日間の平日の疲れを2日間の休日で回復させようとすると、とても『よーし、今日は休日だから、いっちょ羽を伸ばしてどっか行こっかなァ〜!』という気分にはならないのが悲しいところだ。“羽を伸ば”していると思い込んでいるその『外出』という行動は、実際には羽をバタバタ羽ばたかせることである。外出の遂行には、莫大なエネルギーを要する。莫大なエネルギーが要るのに、外出先というのは大抵同じような考えを持つ外出人間で溢れかえり、酸素濃度が薄いためエネルギー効率が悪い。これでは悪循環である。


やはり、休日はぐうたらするのが最善である。


でもそうすると、日記に書くことがない。


ではどうするか
___既存の日本文化に頼ろうではないか。




本日は母の日だそうです。Twitterのトレンドで知ったので、私の日本文化に対する興味関心などその程度である。母の日だろうが、誕生日だろうが、なんでもない一日だろうが、一日は一日でしょうが。差別、ダメ、ゼッタイ。どんな日も噛み締めろ。


母の日特集!みたいな雑誌の一記事ではしばしば、傀儡のようなインタビュアーが芸能人に「皆様のお母さんはどんな方ですか?」などというおもろくない質問をしてなんとか文字数を稼ぎ、一記事として仕上げようとする。この記事がおもろくなり得ない根本的な理由は、

文字や写真で書き表せるような特徴しかない母(に限らず人間)は、
所詮文字や写真で書き表せる面白さしか持ち合わせていない
(あるいは母の面白さを文字や写真のみで表せると思い込むほど
子の側の表現の幅が狭い)ため

である。


この世のあらゆる事物は、捉えようによっては、何でも面白い。


なので「〇〇さんってめっちゃ面白いっスよね〜」という話題は、実は野暮なのである。

林檎を指し「これ、めっちゃ赤いっスよね〜」と言うようなものである。わかりきっている。


人生をオモロで豊かにするために必要なことは、誰かを「面白い」と評価することでも、他人が評価する「面白い人」論を真面目に聞くことでもなく、自分が特に興味を持ったヒトやモノに対して、自分から積極的にコンタクトしに動くことだと思う。興味関心に自分の気持ちを浸してみて、心地よいか、或いは有意義だと思えるか、を確かめること。自分の思う面白さに、自分以外を一切介在させないこと。


自分の母の特徴を文字にして、一体何になるのだろう。母という“全体”のうちの“一部”を、文字というとてつもなく制限のある表現ツールによって表して、そして、一体何になるんだろう。あなたを産んだ母の姿、生まれてから聞き続けた母の声、母と過ごした時間、それはあなたの中にしかなく、同じ経験を他人にさせることは不可能である。その『あなたの中の“母”全体』を、どうしてわざわざ一部のみ切り取り、他人に共有する必要があるのだろう。そのままにしておけば良いのに。母だけに。




母への感情に限らず、自分の思うことおよびそう思う理由を、濫りに表現する必要はないと思う。アタシのどこが好きなのヨと訊かれても、答えなくたっていいのである。ただそのせいで機嫌悪くされたりめんどくさくなる場合には適当にテキトーに答えるのが良いのではないでしょうか。コミュニケーションは完全な論理の上に成り立っているわけではない。


泣き虫の子供に対して「どうしたの〜?」とあたかも理由を催促するような声がけをするのは、今考えれば適切ではないのかもしれない。子供なりに色々と頭の中で考えて、その結果表出してきたものが「涙」と「言葉にならない声」だけなのだとしたら、受け取る側はその涙と声のみを信じるしかないのかもしれない。理由を催促することで、受け取る側の都合の良いような歪曲された理由が引き出されてしまうかもしれない。子供は、意外と空気を読むものである。


子供に限った話ではない。誰しも、実体としての姿をもち、我々はそれを感じることができる。誰かを感覚するとき、その正確性を高めるためには、感覚する側の都合が介在することを避けねばならない。鼻が詰まっていては、匂いを焼き付けられない。視力が弱くては、はっきりと見ることができない。地肌でなくては、触感や温度を仔細に捉えられない。知りたいからといって本心を明かすことを催促しては、真の本心ではない、都合に合わせた歪んだ本心しか得られない。


たとえ鰐だったとしても、涙の理由は、涙以外の因子から推し量るしかないのである。




「お前は何考えてるかわかんねえよ」という言葉を、いろんな人がいろんな人に対してぶつけている場面を目にしますが、安心してください、それは興味の萌芽かもしれません。あなたが今不満をぶつけたその人は、漫然とした観測じゃ全貌を推し量れないほど、大きく複雑なものかもしれません。その不満、その興味、大事にしてください。あなたの推量の技術を向上させる、良いきっかけになってくれることでしょう___特定の人物や事物に対してこういった不満を抱えている人に、そう伝えたい。ただ「何考えてるかわかんねえ」と実際に声に出していってしまうと、その意見によって、対象が行動を自らの意に反するように、空気を読んで変更してしまう恐れがあるので、それは避けた方が良いと思う。


他人からの過干渉を避け、また自らの他人への過干渉も抑える。



欲望を限りなく孤独にさせることで、悪循環が避けられ、大きく健やかに育つ。


欲望の傍らに咲く、酸素を吐き出す赤い花ひとつ。


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