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映画「津島」~語る力

今日が、東日本大震災の当日だ。あちこちで報道されているから、しんどくなるかもしれないが、やはりこの時期に伝えたい。長くなるのを覚悟で書いてみる。


映画「津島」


昨日見にいってきた。行って良かったと思った。途中で10分間の休憩があったが、3時間は全然長く感じなかった。


福島県浪江町津島地区。1,400人が暮らしていた。福島第一原発の事故後、原発から30キロも離れているのに、風向きから大量の放射性物質が降り注ぎ、住民は避難を余儀なくされた。

2023年、面積の1.6%で避難解除されたが、残りは自由に立ち入り出来ないままだ。住民の半数が原状復帰と完全補償を求めて裁判を起こした。

土井敏邦監督は、原告の住民を訪ね歩いてインタビューを行なった。語られたのは家族の歴史、この10年間のこと、失われた故郷への思い、今の気持ち、葛藤・・・。そして、監督は3時間の映画にした。

自然の美しさ

まず出てくるのが、津島の美しい自然だ。気持ちのよいせせらぎ、紅葉、桜、鳥の声。四季それぞれの本当に気持ちのよい風景だ。

「しろ掻きが終わって水を張った田んぼに写る月が美しかった。ホタルも飛んでいた」と言っておられた。のどかな田園風景だ。

そのなかに、朽ちかけた家も写る。

紡いできた歴史を断ち切られる


18人の方の話はさまざまだ。

・開拓の村である。電気はなくランプ生活。苦労をして開墾して、受け継いできた土地や田畑。
・お嫁に来て40年たち「ここが自分のいる場所だ」と思えた。ここにずっと住むと思っていた。
・夫は失踪。極貧の中で必死に働き、子どもを育てた。助けてくれたのは地域の人。
・診療所で看護師をしていた。患者さんとの和やかな関わりが楽しかった。

昔から紡いできた歴史、家族の穏やかな生活が、突然、断ち切られる。バッサリと。全てを置いて、時間の猶予もなく追い立てられた。

語りの力


私は「語りの力」を感じた。18人の方たちの語りが良かった。時に監督の質問に答え、ゆっくりとじっくりと話をされていた。ごく自然な語り口で、時に涙を流しながら。

そこにはご自分自身の飾らない言葉があった。

土井監督が舞台挨拶で、「この記録は何十年と残ると思う」と言っておられたが、そう思う。映像の力は大きい。語る人、語る内容、語られ方。どれもが秀逸だった。

「津島では生きている実感があった」「(避難先には)それがない」

映画より

伝統芸能・田植え踊り

津島には代々受け継がれてきた「田植え踊り」という伝統芸能がある。女装した田植え娘が踊り、人々の平安と豊作を祈る。

田植え踊りを担った男性。

地域に伝わる長い歴史の一部になった。そういう思いが、体中から突き上げてきて、嬉しかった。(略)それができないっていうのは非常に悔しい。

パンフレットより)

歴史が断ち切られる。元に戻る可能性は全くないとは言えないが。

子どもの傷

これは書いておかないといけないと思った。避難先で子どもたちが「ばい菌」とか「放射能が移る」といじめられたというのだ。学校に行けなくなったり、自ら命を絶つんじゃないかと、家族が心配したという。

そんなことあるんか!と憤りを感じた。あの頃、放射能に敏感な社会情勢ではあった。それにしても、である。大人の責任だ。

住民が失ったもの

地域住民の起こした裁判は、2021年地裁で一部勝訴の判決が出たが、控訴している。


津島は住民の命は直接には奪われていない。(避難先で亡くなる方はいた)家も流されていない。
しかし、原発事故の放射性物質によって、故郷やなりわいや住み慣れた自宅を奪われたのだ。明らかに事故だ。責任はどこだ。

私は思った。その喪失は、食べ物や安全な生活が保障されたとしても満たされないもの。人間の本質や根源に関わるものを失ったということではないだろうか。
地震や津波とは、また違った喪失感や苦しみや無念さだと思う。

土井監督の舞台挨拶がとてもよかった。
ここにも大事なことがあるのだけど、長くなったので、次にします。

パンジレット
下が田植え踊り





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