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「闇に咲く花」観劇記

 本当に久しぶりの観劇でした。コロナよりも、もっと前かも。
こまつ座の「闇に咲く花」
「作:井上ひさし」「こまつ座」「演出:栗山民也」というキーワードだけ見て、即、申し込みました。内容も調べずに。



久しぶりの舞台観劇


行ってみると、ビックリ。12列、しかもほぼ真ん中という良席でした。

 1幕の幕が上がった瞬間に、舞台の世界に引き込まれました。
舞台装置が美しい。神社のたたずまい。俳優の表情までよく見えます。

 舞台って、こんなに面白かったっけ。
セリフのテンポ。自然な動き。計算された動き。時々笑わせてくれて。


戯曲に込めたもの


「闇に咲く花」について、少し紹介します。ここからメチャクチャ内容に触れます。
 初演は1987年。昭和庶民伝三部作のひとつ。11年ぶり7回目の再演だそうです。

舞台は昭和22年夏。焼け野原になった東京の、とある神社。
宮司の牛木公磨は、お面工場で働く戦争未亡人5人と、闇市作戦を仕掛けたり、戦後の生活をなんとか生き抜いていた。そこに、戦死していたと聞いていた息子の健太郎が帰ってくる・・・。


 底抜けに明るい、いや、それぞれ問題を抱えながら明るく振る舞う未亡人たちの姿、鈴木巡査のコミカルな役まわりに泣き笑いしてしまいました。

 

帰ってきた健太郎


 
 そこからの舞台の展開を見ながら、ふと私は「健太郎は、生きているんだろうか」という思いが頭をよぎりました。なんとなく。
 

 それは、この前、同じ井上ひさし作「父と暮らせば」を見たからかもわかりません。「父と暮らせば」では、亡くなった父が現われます。愛する家族を思い、大事なことを伝えて帰っていきます。


 このことについては、パンフレットに、こまつ座代表取締役の井上麻央さんと、関西学院大学の金菱先生の対談にその話が載っていました。井上麻央さんは、井上ひさしさんの娘さんです。

 金微先生は、東日本大震災で亡くなった方が、夢の中や幽霊となって現われたという体験を聞き取りされています。それに通じるのではないか、というのです。



 井上ひさしさんの戯曲は、あの世の人間と現世の人間との対話劇が多いのだそうです。その時間だけ同じ舞台上に現われて、今はいない人たちの声なき声を、生きるものに伝える。それは能のワキとシテと同じということです。
「何かを伝えようと魂となって現われたのではないか」

 劇中fでも、「健ぼうは、本当に帰ってきてくれていたのかな」という稲垣のセリフがあります。
そのあと、「帰ってくれていたんですね」とはっきり言っています。

 

 ①帰ってきていないかもしれない。でも、確かに帰ってきていた。
 私はとても納得がいきました。だからこそ舞台の余韻が感じられました。

 一方、帰ってきたけど、また行ってしまったというのでもいいと思います。(戦犯として連れていかれたという理由も大事)

忘れちゃいけない


健太郎のセリフです。

「忘れちゃだめだ、忘れたふりはなおいけない」


 戦時中のことを話すシーンです。
神社も、兵を送り出す場になっていた・・・。
 演出の栗山さんは、「日本人は忘れる。だから、この戯曲はその役割を終えるまで、上演は続けなければならない」と言っています。

終わりに


俳優さんたちの演技が素晴らしかった。
セリフは膨大です。それを間違わず、タイミングも動きも合わないといけない。少しでもとちったら、流れが止まってしまいます。この緊張感。

どれだけ稽古するのでしょうね。

 健太郎が投げたボールを、親友の稲垣が受け取るシーンがあります。受け損ねたら芝居にならないよね、と思いました。そんな心配いらないか。

 健太郎役の松下洸平さん。初めてでしたが、かっこ良かった!走るの、速い!その他の方たちも、セリフ、動き、表情などさすがでした。(まとめてしまってごめんなさい)

 舞台袖でずっとギターを弾き続ける加藤さんも良かった。

 最後の場面の青空が美しかった。

カーテンコールが続き、みんな座って挨拶してくれるなか、松下洸平さんはずっと真剣な表情を崩しませんでした。笑顔ではなく。

 ああ、舞台っていいなと思いました。

 こまつ座、これからも注目します。


新歌舞伎座

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