realism、culture、technique
『私の人生観』という課題を与えられた小林秀雄は、その「観」という言葉ひとつから思い浮かんだことを、次から次へと挙げては自分の考えや見方を述べていく。
仏教思想の「観」から多彩な発想をひろげたあと、明治時代の「短歌革新」を先導した正岡子規の「写生」や斎藤茂吉の「実相観入」へ話がおよび、これらも禅の観法と通じていると考察する。どうしても自分というものを含めがちな歌について、それを打ち消しつつも、心の眼で「見る」ことと「考える」ことの同一化を図るものだと説く。
さらに小林秀雄はrealismとobservationという二つの英単語をとりあげる。
リアリズム。小林秀雄にとっては、因縁浅からぬ響きがある。というのも、1929(昭和4)年に『様々なる意匠』で論壇デビューをして以来、文芸批評・時評をつうじてリアリズム文学と向き合ってきたからだ。フランス文学を中心とした「世界」に眼をむけた写実主義に対して、個人的な内面に目を向けた我が国の「自然主義」、とくに田山花袋に代表されるような私小説に対して、小林秀雄はつねに厳しい眼を向けてきた。
小林秀雄は「観察という言葉は見抜くという伝統的な語感を持っている。observeという言葉は、もともと規則などを守るという意味である」と指摘しているが、ob(…の方を)serve(保つ)という語源から考えると、注意を保つ、じっと見る、観察するという意味でよいと思う。
それに対し、realismの基をなすrealは、re(物体・実物)al(…の)というつくりから、「(想像ではなく)実際の」「(うそではなく)本当の」という意味を含む。realismの対義語が観念的であるidealism、理想主義であることからも分かるように、想像、空想ではなく、現実をありのままに描こうとする考えがリアリズム、写実主義である。
それなのにわが国において、眼を向けたのは人間の精神、個人的な内面であり、それをありのままに白日の眼にさらすことがリアリズムだと受け止めた者たちがいた。胸に秘めた欲望や邪念をも赤裸々に顕し、私生活を文学にしてこそ純文学。そんな私小説の代表作が『蒲団』であり、その作者が田山花袋。『私の人生観』本文中で「非難の声が高い」(p160)と指摘されている徳田秋声も私小説の作家である。
そんな写実主義の取り違えが、小林秀雄には堪え難かったようだ。1935(昭和10)年の『私小説論』や、その2年後の『リアリズム』でも、かなり辛辣な言葉を吐いている。ここでは、先に触れたように、もともと民を武力を用いずに教化するという意味だった「文化」という言葉をcultureの訳語にしてしまったのが間違いのもとだ、果樹を栽培し、いい実を結ばせるのがcultureの意味であり、そのものの素質や個性を育て、発揮させることのはずなのに、個性を無視した加工であるtechniqueと混同しているという指摘を踏まえて、次のように述べる。
cultureであるはずのrealismが、わが国ではただのtechniqueになってしまった。それは結局、「見抜く」すなわち「観る」ことに欠けていたからではないか。
こうして、一つの講演録が三分載された一つめが締めくくられる。
(つづく)
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