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【8/2】岡本裕一朗『フランス現代思想史』(中公新書)を読む#9(基礎力向上ゼミレポート@ソトのガクエン)

今回のゼミは、かなり勉強になりました。
昔から、熱心にデリダを読んで来られたM氏による、中期デリダの解説が行なわれました。

まず、デリダ『ユリシーズ・グラモフォン』とポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』を参照しながら、中期デリダの主要概念である「散種(dissémination)」を解説いただきました。


ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』に"he war"というエクリチュールが出てきます。この"war"は英語では戦争、ドイツ語ではseinの過去形を意味します。この"war"という綴り字を発音してしまうと、英語かドイツ語のいずれか一方に決定されてしまいますが、エクリチュールの段階では、同時にふたつの言語に属しています。デリダは、前者(パロールの水準)は、還元(翻訳)可能性の理念のもとに、異なる言語間のあいだに生じる多様性であるのに対し、後者は、それに先立ち、パロールの水準では消失してしまう、意味を確定する翻訳という行為自体に反する還元不可能な多様性であり、前者を多義性(polysémie)、後者を散種(dissémination)と呼びます。
そして、この多犠牲と散種があらゆるテキスト、あらゆる言語に原理的に宿る特性であるとデリダは考えます。

ここでのデリダの議論のポイントは、多義性と散種をあらゆる言語に見出すことで、デリダの立場として誤解されている「パロールに対するエクリチュールの優位を説いた」という見解を排除している点にあるとM氏は言います。すなわち、"he war"という綴りを見たとき、そこにはパロールとエクリチュール二つの特性が同時にあるはずであり、発話(ないし、内的発話)をした瞬間、意味は確定され、その瞬間にパロールとエクリチュールという両特性の共存は抑圧されると同時に、両特性の共存としての散種が存在するということが、事後的に確定することになります。

あれほど分からなかったデリダの思想が、これだけの短時間でクリアに理解でき、とても充実した回となりました。M氏が作成してくれたレジュメがまだ残っているので、次週も引き続き、M氏にリーダー(leader)をお願いすることになりました。

次週、8月9日(火)22時からは今回の続きと、東浩紀『存在論的、郵便的』の解説をしていただきます。※その次の週、8月16日(火)はお盆休みとなり、23日(火)から再開されます。

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