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ドヤドヤされてフムフムする。特別支援学級/学校で働くことについて。

今回は特別支援学校で教員をされているhanaさん(@no_smile_nolife
のお話をフムフムした。
中学校教員として23年勤め(うち7年は特別支援学級担任)、後に特別支援学校へ転勤し高等部で担任をされている。

もう情報がパンクしそうになった。小学校や中学の頃、確かに特別支援学級はあったな…と記憶しつつも、わからないことだらけだ。

・特別支援学級の担任は、異動の一つの範疇なのか。(資格とかは…?)
・「特別支援学校へ転勤」とあるが、仕組み的にどうなってるのか。
・そもそも特別支援学級、学校はどう違うのか。

ということで、このあたりを中心にフムフム聞かせてもらった。

特別支援学級について

特別支援学級は、小学校や中学校、高校の中に設置される、以下に該当する児童・制度のために置かれるクラスのことを指す。
一 知的障害者
二 肢体不自由者
三 身体虚弱者
四 弱視者
五 難聴者
六 その他障害のある者で、特別支援学級において教育を行うことが適当なもの
(ここは学校教育法代八十一条を参照)

一つの学校がすべてを対象とできている…わけではなく、学校によっては例えば知的障害のクラスを持たない…というところもある。(そのため対象の生徒は別の学区へ、ということもある)それだけでなく、移動学級のようになっていたり、通級指導になっていたり、先生が持ち回りで動く仕組みもあるようだ。このあたりは自治体によって違うらしい。
また、特別支援学級は常設ではなく、必要がある子が入学する際に設定したり…ということもある。そのニーズと運営体制に合わせて設定しているのかな。

また、長く入院しているような子に対して病院内に敷設している院内学級を持つ学校もあるようだ。
このあたりは柔軟な対応…というか、それぞれの障害と状況に合わせた教育を行うために、様々な取り組みがあるのだとわかる。

一般的な学校・クラスは(これを普通級と呼んでいたのも初耳だった)40人程度で1クラスとするが、特別支援学級は8人が上限となっている。これも初耳。様々な状態、症状があるのでより細やかな対応が必要になるので、考えみれば当然だ。

私が通っていた学校での特別支援学級のクラスについては、あまり記憶がないのだが…すべてがすべて特別支援学級で過ごすのではなく、この授業は普通級といっしょ、この授業は特別支援学級で…と柔軟に対応することもあるらしい。

特別支援学校について

特別支援学校、一番大きな違いは「入るのに障害者手帳が必要」ということだ。つまり、該当する障害の重さが決まっている。(※決まっているからといって、その重さの子は特別支援学校に行かねばならない、ということではない)

少人数編成なのは同じだが、担任が複数名体制となり、一定以上の障害を持つ子たちをフォローできる体制を築いている。先生と生徒の数は概ねどっこい。

特別支援学級/特別支援学校の違いについて、伺った話とあとから調べたことを合わせるとこうなる。
特別支援学級は、学習をするにあたっての教育上の支援を行うことを目的としており、特別支援学校は障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的としている。

高等部の担任をされているhanaさんの話では、国語や数学も教えるし、学年隔てなく作業(農業や芸術、体育)をやることもあるし、子によっては「給食」だって立派な授業の時間となる。肢体の不自由等により、咀嚼や飲み込む力を自ら考えて食事をする…ということ自体が勉強になる子もいるからだ。

国語や数学でも教えるものが違う。その子に合わせた指導を行う。ただし、これも指導要領やカリキュラムをトレースするのではない。
方程式ができる子に、次は平方根を教える…といったようなことではなく、「2,3年後卒業する時にどこまでできていることを目指すのか」に合わせて逆算していく。この子達が卒業したあとどうあるのか、どこまでできるようになるのか。その先の生活、その先の就職と結びつけながらの教育。

就職という話でいうと、現場実習も行っているらしい。普通級でも行う、職場体験のようなイメージだろう。これを複数回行い、その経験を通じて就職先を決める子が多いとも話していた。

特別支援学級/学校の先生とは

特別支援学級の担任は、一般の教員が担う。つまり、特別な資格が必要というわけではないようだ。hanaさんも異動の一つとして経験をされた。これも自治体によって運用は異なるようで、例えば大阪市では「特別支援学級の担任」として募集を出している。異動の一貫で担うこともあったり、特別支援学級を専属でやる人もいたり、と様々だ。(いずれにせよ資格は普通の教員免許だけで足りる。別途研修や教育の機会はあるのだと思う)

一方で、特別支援学校においては、通常の教員免許+特別支援教育の免許が必要となる。(文科省のページを見ると「原則」となっているのが気になる。気になって調べると、詳細があった。)

○特別支援学校の教員は、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校の教諭免許状のほか、特別支援学校教諭免許状を有していなければならない(法第3条第3項)。
ただし、専ら「自立教科等」の教授を担任する教員は、「自立教科等」について授与された特別支援学校教諭免許状を有していればよい(同条同項)。
○法第3条の規定にかかわらず、幼・小・中・高の教諭免許状を有する者は、「当分の間」特別支援学校の相当する部の教諭等となることができる(法附則第16項)。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1312981.htm

実はこんなところにも違いがある

それぞれの症状や状況が違うということは、緊急時に必要になるものも異なる。聞いていておもしろかったのが非常食の話だ。学校ではいわゆる備蓄品を備えておくが、hanaさんの勤める特別支援学校では、緊急時の非常食を「各自で2食分」用意させているらしい。これは、(物理的に)食べられる物などが異なるからだそうだ。非常食一つとっても視点が異なってくる。言われてみたらそうだけど、あまり気が付かないことだなぁと思わされた。

そして、「特別支援学校の朝は遅い。」
hanaさんのところでは9時半朝の会、14時半で終了らしい。とはいえ、一人ひとりの障害、症状と向き合いながらの濃密な時間を過ごしているため、緊張しっぱなしらしい。どうしても落ち着きが持てない子、暴れだしてしまう子、寝たきりでベッドのような車椅子に乗る子、飲み込む力がなくて、うっかりすると喉につまらせて命の危機に陥る子…様々であり、そしてここは教育する現場だということに思いを馳せる。

「その子たち一人ひとりの生活の質を上げるために、何ができるのか。」hanaさんが語っていた言葉は、教育の根底にあるものだと感じた。

教師でもあり、子の親でもあるhanaさん。自閉症でもある娘さんは、行動をパターン化させる傾向にあるそうだ。これは自閉症の特徴の一つでもあるらしい。
買い物のルートで違う道を行こうとすれば拒否反応を示すようなことがある。また、音に過敏な反応を示すようだ。パターン化&音に過敏が合わさり、耳コピの精度が非常に高いそうだ。ただ、過敏は過敏。音を和らげるためにイヤーマフを装着しているらしい。

普段通っている学校に、イヤーマフの装着を認めさせるのに随分な時間がかかったと話していた。「前例がない」、「音楽を聞いてると思われて、周りにひやかされるのでは」という思い込みの懸念などを挙げられ、学校側に中々認めらなかったらしい。
イヤーマフにより騒音を和らげることができれば、苦痛なく授業を受けられる。○○さえクリアできれば、パフォーマンスを発揮できる。これは障害の話だけでなく、人の得手不得手、個性にまで落とし込んで話せることだ。

岸田さんのこの記事のことを思い出した。障害を抱えるスタッフを多く雇用している、ポップコーンパパというお店の話だ。

精神障害があって、うつ病を患っていたスタッフさんも、今は重要な配達ルートの配送を任され、どんどんルート任されることが増えていき、楽しくて仕方がないらしい。精神障害のある人は、ストレスが苦手だ。仕事が楽しいというのは、ストレスを減らす一番の方法かもしれない。
「どうして障害のある人を積極的に受け入れてるんですか」とポップコーンパパの番頭さんに聞いたら「特別なことは何もしてません。お互いに苦手なことを補いあうのは、障害があってもなくても、当たり前なので」と言われた。
痺れた。ここでは、障害は特別ではない。
障害者も健常者も関係なく、工夫していることをあげるなら
3S(整理・整頓・掃除)を徹底すること。これは特に発達障害のある人が、使う器具や順番を間違えないようにするためだ。でも結局、みんなにとって気持ちのよい環境になっている。

先程のパターン化の習慣もそうだ。パターン化させるようなタスクであれば、唯一無二のパフォーマンスを出せるようになる。
例えばマルチタスクが心底苦手で、それがあると思考が止まってしまう。みたいな心や脳の作用が働くなら、マルチタスクを避けるような環境や業務フローを作るようにしてみればいい。

障害を持った子たちへ教育を行う…ということは、そういった「自分にできる何か」を見つけるため、それを伸ばすためのものでもあるのかもしれないと思った。そしてそれは、その子たちの先の生活、仕事へ繋げるために行われている。

ということは、その先にある職場、社会もその視点を持つべきなんだ。
岸田さんの記事にもある。繰り返して引用する。

3S(整理・整頓・掃除)を徹底すること。これは特に発達障害のある人が、使う器具や順番を間違えないようにするためだ。でも結局、みんなにとって気持ちのよい環境になっている。

この言葉に表されるとおりだ。「誰もが働きやすい職場」「誰もが過ごしやすい社会」ってこういうことだ。バリアフリーという言葉は、「特定の方にバリアになってる事象」があるからバリアなのだ。それを整えたとき、その環境は特定の方だけでなく、他の人達にとっても快適な環境になる。

自分の身近なところに置き換えることもできる。例えば、現在急速に広まった在宅勤務。今まではオフィス大前提で業務が整えられていたが、在宅になって様々な不具合が起きていることと思う。
これらの課題をクリアにし、在宅勤務でも働きやすい環境や体制をつくることによって、オフィスで実際に働く人にもなんだか働きやすい環境が生まれる。少なくとも私はそう思っている。
なぜなら、在宅になって困っていることの細部に目を向けていくと、「それってオフィスワーク時代から課題だった気がする!」ということが多い。在宅で顕在化した課題をクリアにすることは、オフィスで働く場合にも快適に作用するはずだ。

今ある環境が当たり前で、それが合わない人が工夫をしなきゃあいけない…ではなく、それが合わない人がいる環境のほうにこそ、変えるべき要素がある。

……ん?フムフムしてたらこんな話に派生していた。知らない世界を垣間見て、知らない目線を手に入れたら、自分のものの見方がアップデートされたという、いい例だ。

hanaさん、お話ありがとうございました。
(hanaさんのnoteはこちら。

余談

鉄道好きだというhanaさんのおかげで、鉄道ログブックなるものの存在を知りました。これはこれでめっちゃおもしろいな…!(新駅出る度に作り変えたりしてるのかな…)


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