2022年度共通テスト国語(評論)を解いてみる話

この文章について


・国語(現代文)の選択問題を解く際の思考の言語化を試みる
・共通テストに限らず文章を論理的に読むテクニックとして使える
・筆者の現役時代はセンター国語満点
・脳が終わる前に備忘録として残したい
・以下の記事から読んでいただくのがおすすめ


解いた問題

2022年度大学入学共通テスト 国語 大問1


実践

本文の要約

文章Ⅰについて
・別な文章を引用しつつ自分の考えを述べるタイプ。引用元の文章と筆者の文章を混同しないよう注意。
・引用元は宮沢賢治の『よだかの星』。わりと丁寧に紹介してくれていて,原作を読んだことがなくても問題を解くだけなら問題なさそう。
・筆者が最終的に言いたいことは最後の段落に書いてあり,要するに「食べる」ということについて,よだかの話から我々人間にも適用していえることがあるらしい。
・ややこしいポイントは,『よだかの星』に書いてないことまで筆者が補完してあらすじ説明しているところ。『よだかの星』そのものの内容に加え,筆者がそれを読んでどう感じたのかを記述から正確に理解する必要がある。筆者の解釈に「ん?」と思っても,とりあえず文意に沿って読み進める。

文章Ⅰの構造
「食べることと生」の議論においては動物が主題となり,そこでは人間も動物とみなして議論がなされる。(ただの導入)

『よだかの星』を引用し,「食べることと生」にまつわるエピソードを紹介。筆者の解釈による解説付き。

筆者が考える,『よだかの星』から得られるメッセージ

文章Ⅱについて
・前半と後半で雰囲気が変わる。前半部分は比喩を用いながら「あなた」が人間の口に入って排泄されるまでの過程を説明。後半部分では「食べもの」と「食べる」ことについて2つの見方を示してこちら側に疑問を投げかける形で終了している。前半いるか?
・後半部分の2つの見方について,それぞれの内容と相違点,類似点が整理できればいいのかなと。

文章Ⅱの構造
人間の口に入った「食べもの」が排泄されるまでの経緯。食べものは連続的に(明確な境目なく)便(食べものではない)に変わっていく。

どこまでが食べもので,どこから食べものでないのか(問題提起)

見方1:人間は「食べて」いない(=食べものなど無い)。生命の死骸が次の生命に生まれ変わるプロセスの一部であり,人間の身体を通過することは生命の循環の通過点である。
見方2:全ては食べものである。(見方①と正反対)人間の食べものである植物や動物は,人間が排泄したものから循環したプロセスによって成長し,再び人間の口に入る状態になる。どんなものでもやがては食べものになるプロセスの一部なのだから,全てを食べものとみなせる。


解説

問2 正解:①

 まずは題意の確認。「筆者はよだかの思考の展開をどのように捉えているか」が問われているので,筆者の考えが述べられている部分から根拠を探すこと。具体的にはp5中央付近から始まる段落内の「それにそもそもこの話は,」から始まる文に端的に述べられている。
 よだかは生のどこかに困難を抱えている(我々人と同じように)
 ⇒他の生き物を殺して食べている(これでいいのか)という問い
 ⇒やがて自分も鷹に食べられるならば,絶食し,彼方へ消えてしまおう
これが筆者が述べているよだかの思考の展開である。
 ちなみに傍線部Aの直後は『よだかの星』の引用部分であるが,これを根拠にするのは誤り(筆者の考えではないため)。傍線部Aはあくまで「思考の展開」というワードを拾うために設定されており,「つぎのように」に釣られて安易に直後の文を根拠にすると間違える。

以下,各選択肢の削りの根拠
①:正解。上記でまとめた思考の展開に沿った選択肢。
②:「鷹に殺されてしまう境遇を悲観して(中略)旅立とうと考え」あたりが①に比べて要素が不足。傍線部Aの直後(引用文)を読んで答えると選んでしまいがち。
③:「不条理な世界」が誤り。不条理とは「道理に反する」という意味だが,よだかが虫を食べ,鷹がよだかを食べる弱肉強食の構図はまさに自然の道理である。
④:「他者を犠牲にして~疑わしいものになり」が誤り。そういった記述はない。強いていえばp4後半に,よだかが鷹に名前を変えろと脅されて自分の存在そのものを否定されたかのように感じるシーンがあるが,選択肢では「他者を犠牲にする⇒自分の存在が疑わしくなる」という順番のため,逆である。
⑤:「遠くの世界で再生しよう」が誤り。該当する記述はない。

問3 正解:②

 題意は,傍線部Bを言い換えた選択肢を選ぶこと。すなわち傍線部Bの内容を理解する必要がある。
 まずは主語が無いので探す。傍線部Bの直前の「それ」が主語であるが,「それ」が指す内容は「(なぜ自分は生きているのかと思っている)よだかが無意識に羽虫を食べ(殺して)ていることに気がつき,ぞっとした」ことである。つまり,「なぜ生きているのか自分でもわかっていないくせに,生きるために無意識に他の生を奪っている,そのことに気が付いて恐ろしくなった」ということ。それが人間にも当てはまるというのである。これにもっとも該当する選択肢が正解となる。

削りの根拠

①:「無力さに落胆」が誤り。よだかが自分の無力さに落ち込んでいる記述はない。
②:正解。「生きることに疑念を抱いていた」の部分が誤りのようにも思える(実際,人間誰もが生に疑念を抱いているわけではない)が,p4やや後半,「ある意味では,多かれ少なかれ~」の記述によって「誰しも一度は自分の生に疑問を感じたことがある」という前提が共有されている。
③:「自己を変えようと覚悟」が誤り。彼方に飛んでいくことはむしろ世界(周りの環境)を変えようとする行為。
④:「理不尽な扱いに打ちのめされていた」ことは傍線部Bで言いたいこととは関係がない。
⑤:「惨めさから逃れたいともがいていた」が傍線部Bの説明としては誤り。惨めさを自覚しているがもがいてはいない。

問4 正解:②
 見方1と見方2は「どこからどこまでを食べものと呼ぶか」については全く異なる意見だが,共通点も存在する。

削りの根拠
①:「微生物の活動と生物の排泄行為から生命の再生産を捉えている」が誤り。見方1に微生物に関連する記述はない。
②:正解。見方1と見方2の共通点は,食べることを生命の循環(プロセス)の一部=命の受け渡しと捉えている点。前半部分にも誤りはない。
③:「消化と排泄の重要性を捉えている」が誤り。
④:「地球環境の保護」の話はしていない。
⑤:消化の話はしていない。

問5 正解:④
内容理解というよりも選択肢で使用されている言葉の意味を正確に知っているかが問われる。こういう問題はたくさん本を読んで辞書を引いて正確な語彙を身につけるしかない。

削りの根拠
①:「心情を印象的に表現」心情は書かれていない。
②:「消化器官の働きを厳密に」厳密ではない。あと,比喩的な表現であることと厳密であることに因果関係はない。
③:擬態語を用いて表現することと筋道立てて説明していることの因果関係は成立しない。本文中で登場する擬態語はたとえば「くねくね」とかであるが,このおかげで「筋道立てて説明」されているわけではない。
④:誤りはない。
⑤:誇張していないので誤り。ちなみにT進では「生きものは口に入れる段階で既に物質」と解説しているが,どのタイミングで生きものが物質になるかという点は本文に記述されていないので根拠にはならない。

問6 (ⅰ)② (ⅱ)③

(ⅰ)について
文章Ⅰにおいて「食べる」ことと生命の関係をどう捉えているか問われている。簡潔に言えば,「食べることは,無意識に他の生を奪うこと」である。

削りの根拠
①:食べることで「弱者(=虫)の生命の尊さ」を意識しているわけではない。
②:正解。「否応なく」とは「承知する,しないにかかわらず」という意。自分の意思とは関係なく,食べることで自己の生命は存続する。
③:「意図的に」が誤り。意図しようがしまいが,食べることは他者の生命を奪う行為である。
④:むしろ食べることは食物連鎖を成り立たせる行為である。

(ⅱ)について
長めの選択肢から誤っている箇所を見つけ,削る作業。

削りの根拠
①:「自他の生を昇華させる行為は,地球全体の生命活動を円滑に動かすために欠かせない要素である」が誤り。文章ⅠとⅡを通して考えれば,生命活動を動かすために欠かせない要素は「食べる」こと。よだかが自己の生を昇華しようとした行為は,生命活動の循環プロセスからの脱却を意図した行為であり逆である。
②:「よだかが飢えて死のうとすることは,生命が本質的には食べていないという指摘に通じる」が誤り。文章Ⅱにおける「人間は「食べて」などいないという見方」は,生命の循環の一部として食べさせられているという考えであり,よだかが飢えて死のうとすることに関係がない。
③:正解。「生きることへの衝動」は「食べる」ことに繋がり,生命を循環させることになる。
④:「食物連鎖の関係は,命のバトンリレーのなかで解消されるものである」が誤り。食物連鎖は命のバトンリレーとほぼ同じ意味。

おわりに

疲れた。




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