ケーキ

いちごのショートケーキ

「デートでケーキを食べるときは、ショートケーキを選ぶんだよ」

 あれは夕方のことだっただろうか。図書室には夕日が差し込んでいた。「貸出受付」と札の立てられたカウンターの前に、まるで専門店のように美しく並べられたしおりたちを物色するわたしに、先生は突然そう声をかけた。

「なんで?先生」

わたしは、先生の唐突な発言に相槌を打った。

 先生は、いつも(司書なのだから、当然なのだが)図書室にいて、わたしが借りようとする本を「えー、これ読むの?あんまり好きじゃないと思うよ」と勝手に批評したり、こういう他愛もないおしゃべりをしてくれたりした。本の整理が大変なときは、いっしょに手伝ったりもした。仕事を手伝ったときは、決まってしおり(紙のではなくて、かわいいチャームのついたブックマーカー)をプレゼントしてくれた。私が、読んだ本に登場した素敵な男性の話をすると、「でも、そんな人現実にはいないんだよ、残念なことに」と言って、夢見がちな中学生を現実に連れ戻してくれたりもした。わたしは、本を読みたいときも、用のないときも、しょっちゅう図書室に顔を出した。

 放課後の図書室は、人もほとんどいないうえに、マットのような生地のふかふかした床がこの部屋の音を全部吸い込んで、とても静かだった。聞こえてくるのは、外でいつもの練習メニューをこなす野球部の元気な掛け声と、教室でパート練習をしている吹奏楽部のロングトーンだけだ。

 わたしの打ったぼんやりした相槌に、先生は淡々と言葉を次いだ。

「だって、そうでしょ。デートだから、ケーキ屋さんとか喫茶店とか行くんだけど、ケーキって食べにくいものが多いから。タルトは下のクッキー生地が固くてボロボロになるし、ミルフィーユなんて大変だよ。パイ生地が何層にも重なってるもんだから、フォークを刺すたびにパイが崩れて、しかも上から刺すしかないのに、うまく刺さらなくてケーキ全体がひしゃげて。彼の前なのに、ケーキがきれいに食べられないって、いやでしょ」

 先生の話に次々出てくる美味しそうな名前を、思い浮かべながら想像してみた。たしかに、その通りだ。先生ははじめてのデートのとき、ミルフィーユを食べて失敗したのだろうか。すこし怒るそぶりをしてみせた。

 同じクラスの、好きな人の顔を思い浮かべる。彼と、いっしょにケーキを食べられる日が、いつか来るのだろうか。毎日教室で話すことだけで精一杯のわたしには想像もできない。

「だから、もしあなたに彼氏ができて、デートでケーキを食べることになったら、間違えないでちゃんとショートケーキを選ぶんだよ」

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 先生の念押しのおかげで、わたしは今でもこの教えを覚えている。今の彼とはじめてケーキを食べたときは、ショートケーキをちゃんと、選んだ。しかし、食べることが大好きなわたしをよく知っている彼は、わたしがミルフィーユをぐちゃぐちゃにして食べても、タルトをボロボロ崩して食べても、いつもにっこりわたしを見守ってくれる。わたしはこの人のこういうところが好きなのだ。
 先生、わたし、この人とならショートケーキ以外も食べられるよ、と心の中で先生にそっと報告した。

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