私が観劇する理由

私はミュージカル観劇が好きです。

理由は2つ。

1つは音楽が好きだから。音楽を通して発信されるメッセージ、その背景を探求するのが昔から好きだった。音楽の授業のクラシック鑑賞は大好物。作品が作られた時代背景、作曲者の性格…旋律の表現するシーンを想像するのがたまらなく好きだ。ミュージカルはそれをよりわかりやすくアウトプットしているから、魅了されてしまったのだと思う。

2つめは、元気をもらえるから。観劇したあと(作品にもよるが)「さぁ明日からがんばろう!」とやる気がみなぎる。しかし、なぜ元気が出るのだろうか。いまいち自分の中でかみ砕き切れておらず、他人にうまく説明できないことがもやもやしていた。(だって素晴らしいと思うもののプレゼンができないってことじゃん!)

言語化したい…なぜ元気がでるのだろう…その答えが、ある作品、もとい俳優の生きざまを目の当たりにしたことで見出せました。

宝塚雪組公演「fff」「シルクロード」が教えてくれたこと

2021年2~4月の公演で、トップスター望海風斗・トップ娘役真彩希帆の退団公演。詳細は公式HPをご覧ください(投げ)。

一般的には、演目におけるトップ娘役のポジションは主人公(トップスター)の恋人役となる。この公演も例に漏れずこの建付けを踏襲しているのだが、名前が「運命」なのだ。主人公の人生における「運命」が恋人なのだ。加えてこの運命、人生における不幸を背負っている。いわば人間の「負」の部分なのだ。それを主人公は愛したのである。

とても難しい。とても複雑だ。正直自分が物語の全てを理解している自信はない。

しかし、この物語、この二人の関係性を通じ、私は自分の人生を前向きに考えることができた。生きていると不幸なことは沢山ある。なんで報われないんだろう、なんでこんな境遇なんだろうと、「今」を否定する感情が沸き起こることがある。でも、そんな状況すらも愛し、受け入れてあげた先にはもっと素晴らしいことがあるのかもしれない。人生なんて受け止め方次第なんじゃないか。

特にこの未曾有の事態によって計画していたこと、やりたいことが実現できないもどかしさが募り鬱憤が溜まっていたからこそ、作品のメッセージが強烈に刺さったのかもしれない。

望海風斗・真彩希帆が教えてくれたこと

また、この演目に触れ私はトップコンビのファンになった。

(私は2019年初観劇、2020年春からの宝塚ファンということでだいぶ新参者ゆえ「いまさらおせえよ」というツッコミは甘受します。)

特に真彩希帆。年下だが理想の女性像だ。

高い目標を設定し、努力を惜しまず芸の道を突き進む。ファンの前ではそんな姿を感じさせず笑顔を絶やさないその姿勢に、強いプロ意識を感じる。そしてその努力がしっかり歌・芝居・ダンスに出ている。

彼女は入団初期から「ファントム」のクリスティーヌを演じたい、と明言していた。これって結構すごいことだと思う。新入社員が「社長になりたい」と言っているのと同じだと思う。そして彼女は有言実行した。

真彩希帆のA4ポスターに書かれたメッセージは「きっと叶うはずよ 夢は」という「ファントム」の曲の一節だ。彼女は努力を積み重ね夢を実現させたのだ。

退団公演、彼女はその実力を余すことなく発揮していた。とても険しい道だったと思う。誰でもできることではない。しかし、彼女が舞台の真ん中で輝いている姿を見ると、「私も、目標に向かって歩まねば」そんな気持ちに自然となる。

観劇は”仮想・切磋琢磨の「場」”

人が成長するためには、「場」への参加が望ましい、と私は考えている。

「場」に参加することによって、刺激を受ける。新たな知識、いままでにない価値観との出会いなどといった他者との化学反応により人は成長する。

(ちなみにここでいう「成長」とは、”頭がよくなる”という類ではなく”人としての深み”といった意味合いで使用している。)

この「場」というのは、職場のチームだったり、趣味のコミュニティのような人の集まる場所を指すのが一般的だ。「場」の中で様々な知識を得、目標に向かって行動をしている他のメンバーを見て自分のモチベーションを高める。

私は観劇によって仮想の「場」を得ているように思う。観劇することによって、人生の捉え方の多様性を学び、俳優の背景にあるキャリアに共感し、励ましてもらっている。全く異なる世界で生きているとはいえ同じ人間が絶えず努力し夢を実現させている姿を見ると、自分も努力すれば夢に届くのではないか、そう思わせてくれる。拡大解釈ではあるが、舞台から発せられる「エール」を受けとめに、私は劇場に行っているんだと思う。


だから私は、これからも劇場に行く。生きるうえで、必要なものがそこにはあるから。


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