スプラウト

太陽を模した環状の隙間から人工の光エネルギーを受けて育つ萌芽たち。幼年期を共にした僕の兄弟たちは、2cm四方に区分けされたカプセルの揺藍で無音の寝息を立てていた。撹拌された黄土色の液体が区画ごとに注がれていく。192分毎に給される彼らの食事だ。核酸レベルから合成されたオーダーメイドの栄養は、兄弟たちの才幹を一層、特異な水準へと引き上げてくれるだろう。

世代を越え進化し続ける戦いのパラダイムシフトを生き延びるために、僕は肉体を螺旋塔と融合させる道を選んだ。あの学びの園の日々は、もはや遥か時の後方に思われた。かつての兄弟たちは今の僕を、彼らの末弟と地続きのものとして認識してくれるだろうか。視界の果てまで埋め尽くされた兄弟、兄弟、兄弟たち。この不気味な人工畑の光景は、果たして兄弟達の大望の結実なのか、それとも聖なる文字列の魅せた泡沫の夢なのか。僕はこの戸惑いの降着点を【紫珠】に委ねると、やがて神経金属を通じて僕の意識に、時空自在を映す湖の幻影が流れ込んでくる。

水面の向こうに、木陰で佇む彼女の姿が見えた。


かつて僕ら兄弟は、姫君を囲んで中庭の大樹の下に集い、無垢なる願いを語り合った。間もなく僕らがこの学びの園を離れ、散り散りとなっても己の理想を信じ続けられるように、だ。姫君はただただ言葉を静かに聴き届けた。姫君の澄んだ紫色の眼には、万人をひざまずかせる気品が備わっていた。

姫君は、兄弟たちに気後れして黙している僕を見つけると、僕の額に中指と薬指を優しく当ててこう言った。あなたには見出すものの芽が眠っている。まだ誰よりも小さな少年は、やがて空を埋め尽くす知の巨木となる。智慧の鉱脈に向けて根を張り、好奇心の光に向けて葉を開きなさい。

彼女の深紫色の虹彩に、僕の神経が接続するのを感じて身震いした。試練を乗り越えねばならない。言葉は印となって心に刻まれた。僕ら兄弟は円陣を組み手にした小枝を互いに交えて、大願成就の誓いを立てた。

天の使いのトランペットが鳴り響き、空が割れて黒い大穴が開いた。僕と兄弟たちは、それぞれ個別の脱出ポッドに乗せられ、学びの庭の人工重力圏を離脱できる十分な速度で宙空に射ち出された。兄弟と分かたれる心細さや、まだ見ぬ母星への期待よりも、一人ひとりを載せたポッドが暗闇に撒かれる光の種の如く見えた光景が、ただただ美しく心を占有した。

地上に降り、学府都市に近い異人街に流れ着いた僕は、貪欲に知識を身につけ始めた。慣れ親しんだ言葉とは程遠い統聖言語を通して学ばざるをえない体験に心が傷つけられても、姫君の刻印が僕を怯まさせず前へと進めさせた。理解を拒む難解な数式、大脳皮質に蓄えられる情報量の限界、出自に関する謂れのない迫害、それら万難を排して好奇心の表面積を広げ果てた。物珍しい異人の学徒に過ぎなかった少年は、果て知らずの神童とまで噂されるまでになった。


やがて僕が青年となって後のある夜のこと、異人街への帰り道で見知らぬ老人が僕にこう尋ねた。貴殿は何を求める者か、と。僕はしばらく迷った後に、芽が出るのを待っているのです、と答えた。老人は学府都市地下の深淵にある鉱脈へと僕を導いた。

フラクタル模様の石畳からなる足元の細道が、膨大な半径を持つ下りの螺旋階段だと気づく。ここはかつて、陽の恵みを受ける権利の与えられなかった階級層の居住区、統聖言語の使用を拒んだ故に遺棄された人々の墓場であった。大小無数の浮遊運搬機械が、鋭角と曲線を織り交ぜた軌道を描いて地底から湧き出て来る。機械は皆、幾十の指に神経の如き紋様を持つ水晶を抱えていた。

ここに智慧があるのですか。老人にそう尋ねようとしたのだが、どうしても声が出ず立ちすくんだ。だが、僕の前をもうひとりの僕が歩いていた。それは遺棄された異人たちの代表として立つ、空の器としての自分だった。君は抜けきったね、老人はそう言って、もうひとりの僕に深紫色の金属球を手渡した。その球体は、敬愛する姫君の眼球と同一の存在であると、僕の全身の神経が昂ぶり警告していた。


かくして十七代前の学府総長の幻影から、隠れたる夜の螺旋塔と【紫珠】を受け継いだ僕は、世の様々な兆候を拡大した意識で受信できるようになった。

「ある」若い軍人が有人移動兵器のコクピット内で圧死した。名と尊厳を失わされた民族たちへの大質量飛翔体による虐殺行為を止めた末の悲劇であった。これを引き金に「ある」新進気鋭の連続起業家が、政府軍事関連企業に数万件もの敵対的買収を仕掛けた。金融技術を駆使して財を築き上げ、行政に没収されることを三度繰り返した彼が、隠し積んだ四度めの財を用いての大立ち回りであった。百戦錬磨の貨幣管理機構も利潤を無視した蛮行に対応できず、通常二ミリ秒以内に補正されるべき貨幣信頼度は、回復に一日半もの時間を要した。この僅か三十余時間の隙を縫って、また「ある」才気煥発な外交官が、周辺属国六カ国に対し同時多発的な独立蜂起をけしかけた。彼は諸国の暗部深くに根を張った人脈を介し、人間不信の連鎖反応を仕込んでおり、一通の密告書を起爆剤に諸国の穏健派と過激派の均衡を一気に崩してみせた。こうした外乱を陽動に、禁教の巫女とその従者たちが直轄支配区からの亡命を図っていた。巫女の教えは、統聖思想の中核たる『聖なる文字列』に政府と異なる解釈を提示していたため、言葉にすれば舌を焼かれ、文字にすれば腕を落とされるほどの弾圧を受けていた。巫女たちを乗せた武装飛行船が、慌てふためき投入された政府軍の無人飛翔攻撃体の群れに、無惨に撃墜される様は国内外に中継された。あらゆる情報網から隔離されてきた支配区の様子を五〇年ぶりに顕にできた裏には「ある」ソーシャルハッカーの暗躍があった。彼はあたかも目の前の情報こそが、自分の求める唯一の情報であると視聴者に信じ込ませることができた。巫女の死は、先の若き軍人の死と結びつけられ、扇情的に大衆の元に届けられた。この報道は、いつかこの悲劇を終わらせなければならないと、人を深く決意させるのに十分な熱量を持っていた。

だが、彼ら優駿たちは三年の内に例外なく拿捕され処刑された。同調した全ての人も聖なる文字列の名の下に不具にされた。人々に深い傷を残したこの出来事ですら、悠久の世界史の文脈においては、遺棄された世代の地層がまた薄皮一枚重ねられた程度に過ぎなかった。

僕の神経は【紫珠】を通して涙を流した。彼ら「ある」無名の者たちに、かつて小枝の剣を空で交えた兄弟たちの輪郭をはっきりと感じ取れた。彼らが各々十数年かけ鍛え研ぎ磨き上げた剣刃を、屈託なく信念に捧げられるのは、学びの庭での誓いがあったからこそだ。

僕は、眠らぬ螺旋塔を通じて、学府中枢から政府機関に伸びる情報網の裏口に侵入し、信念に殉じた兄弟たちや、彼らと同じ理想の持ち主たちを探し当てた。地層の奥深く遡って収集した断片化した記録を、螺旋塔の持てる計算資源を潤沢に投入して丹念に神経細胞のネットワークグラフを編み上げる。死の瞬間の脳神経を保ったまま亡き人を現世に呼び戻す、反魂の外法だ。坑道で採取できる神経水晶の基盤に、彼ら魂の情報を刻印すると、小指大の蠱惑的な人工生物ができあがった。

僕はこれをスプラウトと呼んだ。

産まれて間もなくゼリー状の人工肉に埋め込まれ培養されたスプラウトたちは、成長期を迎えると次々と【紫珠】に埋葬されていった。彼らは紫珠の内側の園で姫君と会い、深紫の瞳に導かれて自らの宿命を知る。やがて、天の使いのトランペットが鳴れば、彼らは学びの園を後にし、自律兵器の肉体を得て現世に降り立つ。こうして螺旋塔から産み落とされ第二の誕生を迎えた何百何万何億の兄弟たちは、今生こそ誓いを果たさんと、統聖政府との戦いに身を投じていった。

やがて、この星の環境が劇的に悪化し、幾度の人口激減を経てもなお、聖なる階層社会の幻想は醒めることはなかった。地上には、支配者層が贅と冷凍睡眠を繰り返すための摩天楼と、放射性物質に汚染されたガラスの砂漠だけが残された。

スプラウトたちは【紫珠】を核とする人工彗星となって、この星を遠ざかりつつあった。数千年の後、あらゆる聖なるものが滅んで、大地が清浄となる頃合に、彼らは再びこの星を訪れる。だが、僕と螺旋塔はもはや不可分であった。螺旋塔はこの星の命と深く結びついていた。僕は【紫珠】や兄弟たちと別れて、地上に残る他なかった。


螺旋塔に数世紀ぶりに人が訪れる。客人を迎え入れるため、僕も人間の装いで彼の前に姿を表す。僕に銃口を向けた彼は【僕】だった。【僕】も僕の姿を見て戸惑っているのがよく分かった。僕らはあまりにも同一であった。末弟よ、優しい心の持ち主よ。【僕】は僕の別の側面であり、道を外れた僕を浄化するために遣わされたのだろう。死を告げる天からの使者よ、今度は【僕】が、別離のトランペットを吹くのか。

わずかな逡巡の後に、しかし固い決意で【僕】は僕を撃った。聖なる熱線が苛烈に僕を、螺旋塔を焼き滅ぼす。そう、僕は帰るのだ。僕は情報量を一切失って灰となる。灰は塵となり、塵は名もなき草の養分となり、枯れ草は新たな芽が根付くための土となるだろう。灰、塵、草、土、僕は何度でも輪廻し流転して彗星の再訪を待つ。君たちは囲いのない草原の上に撒かれ、世界中を覆い尽くして樹海となるだろう。その植物は神経水晶の枝葉を持ち、華氏451度でも焼き尽くされることはない。そして、我らが姫君は世界樹となり、紫色に染まった天の果てから、僕たち一人ひとりに固有のかけがえのない木陰を与えて慈しむのだ。この現実から醒めてなお、この理想の叶う日まで、僕の刻印は決して消えることがない。

最後の摩天楼が潰える。
灰は、空へと散った。

まだ見ぬ大樹に、創世の夢を誓いながら――

(3990字)

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