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武田忠(1998)『学ぶ力をうばう教育』 2023読書記録⑦

物語の単元は、初発の感想・疑問をもとに問いを立て、公開読書会のような形式で話し合って解決するのが私の定番で、けっこう気に入っている。
でも「説明文の単元づくりってどうしたらいいんだろう」と思っていた。
そんな中で出会ったのがこの本だ。

武田忠『学ぶ力をうばう教育ー考えない学生がなぜ生まれるのか』1998年、新曜社

この本を読んだきっかけは渡辺貴裕先生のnote「説明文をどう読むか」

この記事もすごく刺激的だった。

『学ぶ力をうばう教育』の著者は宮城教育大学で教員志望の学生や現職の教員を相手に授業をしてきた方。その授業をもとにしたのがこの本だ。
主な内容は、小学校国語科の説明文教材・授業の問題点を指摘して、副題のとおり「考えない学生がなぜ生まれるのか」について述べるというもの。

以下の文章に、著者の考えが端的に示されている。

よく覚えていても、また、知っていても、その「意味」を理解していないことが少なくないが、「意味」がわかるためには、その覚えたこと、知ったことを、あらためて自分の知識につないで、自分の知識の中での意味理解を作っていくことができなければならない。そうして初めて、その人なりのわかり方が成立していくということである。
(中略)その理解の可能性を探っていくために不可欠なことは、あえて自分自身に「問い」かけ、自分自身で答えていく「自問自答」の思考、追求の学習過程である。
p.4〜5

物語の単元で「問い」を重視しているのに、私はなぜ説明文ではそうしてこなかったのか。考えてみると、自分に次のような「説明文についての思い込み」があることに気づいた。

①教科書に載っている説明文には正しい内容がわかりやすく書かれているはずだ。だから、ツッコミどころはない。

②生徒たちは物語ほどには説明文をおもしろがって読まない。だから感想・疑問を聞いてもあまり出てこないだろう。

しかし、(私は中学校の国語科だけど、この本で扱っているのは小学校国語の説明文だし、刊行は1998年ということはあるが)この本によれば、例えば

・内容の誤り
(4年生「キョウリュウの話」「火の話」)

・内容、表現の不適切さ
(5年生「大陸は動く」)

・重要な「こと」「わけ」の説明の欠如
(5年生「魚の感覚」)

・一般的、抽象的な記述の問題点
(5年生「動物の体」)

など、説明文にも問題点があるとわかる。

これまでは「説明文に書いてあることは正しいはず、わかりやすいはず」と思い込んでいたから見えなかったこともあるのではないか。「あれ?よくわからない」「おかしいな」と思っても、それは自分や生徒の読む力のなさだと思ってしまっていたのではないか。

また、教材には書いてあるのに読めていない、わからないということもある。自分も生徒も、そのわからなさをもっと大事にしてもいいのではないか。そう思うようになったのは次の言葉を読んだからだ。

「問い」を大切にするということは、子どもたちのわからないことを大切にするということである。別の言い方をすれば、何がわかったかだけを中心に授業をしないということである。わからないことがはっきり自覚できていること、またそれを安心して教師に話すことができるということは、すべての子どもたちが授業に参加していくことができるための基本的な前提である。そしてまたそれは、より深く学び、よくわかっていくために欠かすことのできない授業の前提でもある。
p.202

4月からは、この本に学んで、生徒の感想や疑問を生かした説明文の授業をしていこう。もし生徒から感想や疑問が出ない場合には、演劇的な手法を取り入れるのもいいかも、と思うようになった。それは、これまで、演劇的手法は「何が、どう書いてあるか」を理解するための手法だと考えていたが、この本を読んで「何が、どう書かれていないか」に気づくためにも有効な読み方だと気づいたからだ。

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