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コトダマ

 「言霊」。この言葉を聞いて、この記事を読んでいるあなたはどのような印象を浮かべたり、どのようなものとして考えるだろうか。そんなものは存在しないと思う人もいれば、肯定的に捉える人もいると思う。実際、言霊というものは透明で、観測した人もいなければ、あると証明されたものではないのだから、様々な意見があって当然である。しかし、私自身、言霊はあると思っている。今記事は、私の中の今年の流行語である「言霊」について書いていこうと思う。


「言霊」とは

まず、今記事を書くにあたってこの言葉の意味を定義づけておこう。

ことだま【言霊】
ことばに宿る霊の意。古代の日本人は,ことばに霊が宿っており,その霊のもつ力がはたらいて,ことばにあらわすことを現実に実現する,と考えていた。

これは世界大百科事典第二版からの引用である。つまり、放った言葉が現実になるという意味だと私は捉え、また、その放った言葉が現実に実現するまでの過程の中で、その言葉に「現実に実現する力」が宿るとも同時に考えた。


普通の言葉と言霊が宿った言葉

それでは、普通に発する言葉と、言霊付きの言葉の違いは何なのか。例えば、友達と話している時に適当な冗談を言っただけなのに、その冗談に言霊が宿ってしまい、冗談が現実になってしまった、なんてこともありえなくは無いのである。

その言葉を誰かに向けて言った場合、その言葉に言霊を宿らせるか宿らせないかの選択は、その言葉を受け取った人に委ねられるのだと思う。どんなに話し手の人が一生懸命その言葉に言霊を宿らせようとしても、聞き手側が言霊の存在に気付かないのであれば、元も子もないのである。また逆を言えば、不要な言霊が乗った言葉を受け取ってしまった場合には、自分の中に入れる前に普通の言葉として受け取ることもできるのだと思う。そうは言っても、簡単に、言霊が宿った言葉を普通の言葉として受け取ることはできないと思うのもまた本音である。例えその言霊が宿った言葉が現実に実現せずとも、その言葉にはもともと言霊であった程には力が宿っていると私は考える。

つまり、言霊が宿った言葉は、言霊の存在を認知し合っている人の間でしか通じないのだと私は思う。また、その言霊の存在を受け入れるか拒否するかは、受け取る側の人の選択に委ねられると思っている。


不可解な点

だがしかし、やはり何かがおかしいのである。例えば言霊を信じている人が自身に向かって、「私は総理大臣になる」と言ったところで、一秒前の言葉を発する前の時から物理的には何も変わらないのである。そして、彼が総理大臣になるという確約もないのだ。それではどうやって、言霊の口に出した言葉を実現させる力を引き出しているのか。

物理的には変化はないと言ったが、言った人の内面的に見たらどうだろうか。きっとその人は、その言葉を口に出しただけなのに、なぜか一秒前より何かその言葉が自分に近いもののように感じ、一秒前のその人よりも未来を何となく明るく考えられるはずだと私は思う。また他人からの言霊を受け取った場合は、きっとその言葉は少なくとも、どのような形であれ受け取った側に影響を与えるはずである。


発動条件

では、どのようにして「現実に実現する力」が発動するのか。それは、その言霊を受け取った側が、その言葉を完全に信じることで発動すると私は思っている。
例えば、完全に信頼できる先生から「あなたは志望校に合格できるよ」と言われた時、きっと嬉しい気持ちになり、あぁ私ならできるかもしれない、と一瞬でも思うはずである。それがもし、あまり信用できない先生に同じことを言われたらどうだろう。私だったら、この先生は本当に私が合格できると思っている事さえ信じられないと思う。

要するに、言霊とは受け取る側の選択と相互関係の信頼度によって変わってくるのだと考えた。


私なりの活用法

と言った具合に、言霊とは意外と恐ろしいものだと私は感じた。他人と会話するとき、特に親しい友達の間や家族、また自分が信頼している人と話すときは、自分なりに言葉を選んで会話していくしかないのだと思った。一度間違えて言霊を相手が受け取ってしまったときには……

言葉そのものや信じること、疑うことを考えていたら疲れたのでここで一区切りにします。それじゃあ、おやすみ。


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