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【大阪人も知らない大阪】大阪市の最果て「西淀川区中島」には何があるのか【続・ニシヨドスタン】

今からはるか昔の江戸時代「江戸の八百八町」だとか「京都の八百八寺」だとか、その都市に多いものの特徴を例えた古い表現がある。かつての大阪は「浪華の八百八橋」と呼ばれ、町人達が自腹を切る事も厭わず自分達の生活や商売のために街のあちこちに橋を架けた事から、そういう呼び名が付いたという。しかし現在の大阪市中心部にあった橋が架かる川の数々も今となってはその大半が埋め立てられていて、地名だけしか残っていない場所も多い。

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