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古代ローマ軍から学ぶ出張時の持久力

古代ローマ帝国と聞けば、トップの画像のような鎧を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。実は、これは間違い。実際はこんなもの着ている者はごく少数であった。

紀元前1世紀ごろ、イエスキリストが生まれるか生まれないかという時代のローマ軍は外国の兵隊と比べても、言われるほど良い装備ではなかった。

それにも関わらずカエサルに言わせれば「5万人で100万人を相手に打ち勝った」のだ。個人の装備が優れているわけではなかったのに、どうやったのだろう。

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決め手は組織力と出張力

ローマ軍は出張上手だった。部下をよく出張させてた割りには組織行動は崩れることもなかった。ローマの軍隊と外国の軍隊の違いは兵隊の意識の高さもそうだが、何よりも出張先の待遇の良さであった。

ローマの将軍は軍団の後方で指揮を執ったが、少なくとも前線基地で寝泊まりし、戦場にも赴いた。

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よく言われるこの図のように、ローマの最高指揮官はボスではなくリーダーであった。共に陣営に寝泊まりし、兵士らは国家よりもむしろ将軍に忠誠を誓う者も多く、引退後も将軍のために働いたり、行動する者も少なくなかった。

ただ前線で指揮官が働けばよいだけではなく、兵士には膨大なインセンティブが与えられ、場合によっては大幅な職権も与えられた。ただ賞賛だけでなく、一定期間勤めて引退すればローマの市民権と田畑がもらえる年金のような制度のほか、働きによって金銭や奴隷、文物の臨時報酬や階級をボーナスとして受け取れた。

一方でガリア戦争でローマと戦った部族連合は数こそ多くても烏合の衆となった。原因は何より、兵士として参加することは義務であり、むしろ出ないと刑罰の対象であった。有名なのは、戦争開始のお触れが出たあと、最後に集合地点に現れた男子は処刑されるというもの。早く軍隊を集合させるための措置だが、ローマとの違いが分かるだろうか。ローマはインセンティブなのに対し、部族軍は刑罰なのだ。ローマは加点式、部族軍は減点式と言える。

原点式はミスを少なくするかもしれないが、指導者が管理を放棄する、あるいは多忙や何等かの事情で退くようなことがあれば、兵士はたちまち解散逃亡してしまう。減点が成されないなら逃げるし、逆に踏ん張ったところで恩賞は少ない。留まるメリットはない。

出張の工夫

ローマと部族の違いは出張先にも表れている。部族は集合し、遠征するばかりだが、ローマ側は遠征地に町並みの拠点を建設してから攻撃を始めた。いくら短期間の出張と言っても、立派に拠点を整備するのだ。

また拠点を経済的に快適にするため、ローマ軍の装備は携行性に優れ、消耗品になる矢を使わず、再利用できる投げ槍を主に使用し、矢などの利用はごく限られた兵器にのみ使用した。

拠点の整備は兵隊の休息や意識の向上にも役立つ。現代でも遠征軍の拠点はかなり充実させ、まるで基地のような設備を設置する。安心して眠れる環境というのは、何よりも大事なのは古今東西変わらない。

ビジネスでもそうだ。出張を”日本的な”強行軍旅行にしてしまうと、疲ればかりが溜まって成果はなかなか出ないもの。予定キツキツで営業の数だけ熟しても全体としては成果がそこまで上がらない。拠点を与え、拠点でも十分仕事ができるような傾向性と持続性の優れた”武器”を与えるのが、結果として成果を生む。

部族軍は強行軍をよく行っていた。確かに素早い移動が出来たが、準備不足に陥りがちであった。また相互に連絡を取り合う余裕がなく、遮断されて各個撃破されることもしばしば。ガリア戦争でも部族軍の中でも勇者と言える人は、このような状況でも大きな成果を出した。だが全員が勇者ではないのが軍隊。全体的に見れば大した成果を得られなかったことが多い。

ただ行うのではなく、前線に気を使った運用を

強靭な勇者は強靭な組織に勝てない。勇者が強靭な組織を作るのではなく、指導者が強靭な組織作りを心掛けて初めて兵隊は生きる。少なくともカエサルは「インセンティブ」と「戦地での休ませ方」を知っていた。もちろん厳しい刑罰も、行軍も、無理をさせる行為も少なからずあった。しかし自分がいかに苦境でも、兵隊をやる気にさせる術はどんな時でも忘れることはなかった。

兵隊の動かし方は相手も自分も誰でも知っている。効率的な休ませ方を知っている者は、より強い組織を得られるはずだ。

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