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鼻が折れた

若い頃、職場でイベントの設営をしていたら、勢いよくふりむいた同僚の肘が、真後ろでしゃがんでいた私の鼻を直撃したことがある。

目から火花ってこれか!というくらい痛かった。が、それも一瞬のことで、すぐに鼻血も止まったから、粛々と設営に励んだ。

しばらくしたら先輩が「ハナコの鼻、すげー腫れてる」と声をあげた。ここはいいから医者に診てもらえと、ヤブで有名な社内診療所へと追い立てられた。

このヤブ先生、誤診しかしないと評判の迷医だったが、この日はひと目みるなり「あんたそれ、折れてるよ」と。

近くの外科でレントゲンを撮ってもらったら、たしかに折れていた。ここでは無理と大きな病院宛の紹介状をもらった。

大病院では、若い研修医の先生が診てくれた。

レントゲン画像を指しながら、手術しなくても大丈夫だと思うから、腫れがひくまで様子をみましょうか、と。

そこに40代とおぼしき男の先生が現れた。あなたはもしやヴェルサイユのバラのオスカルですか、と見惚れるほど美しかった。

若先生はレントゲン画像を見せながら、オスカル先生にご自身の見立てを説明した。

オスカル先生は、画像と私の鼻筋をじっと見て、「曲がってるわね。オペしましょ」と。

若先生と看護師さんが一瞬、ピクっとしたが、手術室の空きがある翌週のアタマに3日ほど入院することになった。

なんせ痛みがなかったから、手術と言われてもピンと来なかった。

が、鼻の両穴に金属の棒のようなものを入れて骨を動かすと説明を受けたら、脂汗が出てきた。鼻が折れるより、痛そうやないかと。

オスカル先生が退室するのを見計らい、若先生に聞いてみた。

「その手術、受けないとまずいでしょうか?」

若先生と看護師さんはお互いをチラッとみた。

若先生は、オスカル先生は大変に美意識が高い。(うん、見ただけでわかります) あなたはまだお若いし、女性だから、手術をした方がよいと判断されたのでしょう。(ご配慮いたみいります) ただ自分としてはtoo muchな気もする。(安心しました)でも立場上、そうは言えない(なんと正直な)と、説明してくれた。

「鼻をガッですか」
「そうですね、両穴からこんなのを入れて、ガッです」

沈黙していたら、若先生が「逃げてください」と囁いた。

「はっ?」

看護師さんもうなずいている。
若先生と看護師さんと私。この日、出会ったばかりだったけど妙な連帯感が生まれた瞬間だった。

腫れがひいたら自分で鼻筋をみて、手術をするかしないかを判断し、しないなら木曜日までに連絡する、という段取りになった。

猶予は2日半しかない。いざとなると判断に迷った。真っすぐな感じもするし、曲がっている気もするのだ。

会う人、会う人、マスクを外して私の鼻は曲がってるか?と聞いてみた。みんな、一歩下がって、じーっと観察した後、「いや、まっすぐだよ。ええ〜、やっぱり曲がってるのかな?」と、なんとも頼りない。

そりゃそうだよね。自分でもわからないのに、よそ様がわかるわけがない。そもそも元の鼻がどんなだったかも自信がない。

かくなる上は、世界で一番辛口な二人に聞かねば。会社の非常階段から、コソコソと新人時代の上司と、兄に電話をした。生憎、その日はどちらも都内にいなかった。病院には明日、電話せねばならない。時間がなかった。

兄とはその晩、22時過ぎの横浜駅のホームで「私の鼻、曲がってる?」「いや、曲がってない」「もう一度、よく見て」「真っすぐや」とやった。

翌日は朝一で、会議前の上司を捕まえた。口が悪くて有名なこの人は、私の体重の増減を1㌔単位で見逃さないという謎の特技を持っていた。「おいハナコ、お前、太っただろう」「そんなことないですよ」と言いつつ、確かに体重計に乗ると1~2㌔太っていた。令和の時代に部長がそんなこと言ったらコンプラ通報ものだが、当時はまだ昭和の残り香が漂っていた。この上司も、鼻は曲がっていないと断言してくれた。

かくして、金属棒でガッは、未体験のまま終わった。

あれから干支が二回りした。鏡をみると、私の鼻は少し曲がっている。さすがオスカル先生。でも曲がった鼻も味があって気に入っている。(この思い出もあるしね)





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