見出し画像

「疑う」ということ

 最近私の友人と教育や政治、はたまた哲学的なことなど、さまざまなことを話すことがあった。その中でも白熱した議論が、教育と政治の関係だ。

 話は少し変わるが、昨今「メディアリテラシーを身につける必要がある」と言われて久しい。ここでそもそもメディアリテラシーとは何かについて考えてみよう。日本大百科全書によるとメディアリテラシーとは「新聞やテレビなどの内容をきちんと読みとりマスメディアの本質や影響について幅広い知識を身につけ、批判的な見方を養い、メディアそのものを創造できる能力のこと」とある。要するに「マスメディアやSNSから流れてくる情報について、鵜呑みにするのではなくまずは疑ってみる」ということがメディアリテラシーなのだ。
 
 だがここで考えてみてほしい。私たちは本当に疑う力を持てているだろうか。と言うのも、現在の日本の教育制度から考えてみると、私たち自身が努力しない限り、つまりただただ受動的に生きているだけでは疑う力は身につかないのではないか。なぜなら、日本の今の小中高の教育は、何かを考えて答えを導くのではなく、何か決まった答えがあって、それを暗記することに特化しているからだ。そのような教育のもとでは生徒一人ひとりが「自分で考える」余地はない。つまり、我々は幼い頃から疑うということについて何ら教えられていないのだ。加えて私たちの中には疑うということについてマイナスなイメージが植え付けられている。その良い例が、発表の時などに疑問に思ったとしてもその場で質問しないなどのことである。確かに、対人関係において懐疑を前提に置くのは間違っているが、本来疑うということは何らマイナスなことではない。それどころか疑うということを出発点にした結果として新しい発見などがあるのだ。
 
 そして先程の話に戻ると、今の教育制度を決定しているのは政治である。つまり、政治と教育はそれぞれ独立したものではなく、セットで考えらければならないのである。

 もう一度考えてみてほしい。例えばYoutubeのショートで流れてくる情報。それは果たして正しいのか。正しいとすればそれは何を根拠に発信されているものなのか。出典などは明記されているか。これらのことを考えることがメディアリテラシーの出発点なのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?