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デレラの読書録:金原ひとみ『マリアージュ・マリアージュ』


『マリアージュ・マリアージュ』
金原ひとみ,2012年,新潮社

結婚、出産、恋愛、不倫、育児。

三十代前後の女性、男性についての短編集。

文学というものは、読むときどきによって、全く異なる読書体験を与えてくれる。

同じ小説であっても、昔と今とでは違う読み味を味わえる。

とは言え、読むのにクリティカルな年代というものがある。

この小説は主人公たちと同じ年齢の三十代前後がクリティカルな年代ではなかろうか。

(単にわたしが偶然その年代であり、強く共感しながら読んだから、という可能性は十分にあるが、それを差し引いても、その年代には独特の響きがあるだろう。)

さて、金原ひとみさんは、主に女性を主人公にした小説を書く(特に私小説を書く)作家であるが、ときどき実験的に主人公を男性にすることがある(たとえば短編集『星へ落ちる』)。

あえて性区別的に言えば、女性作家が男性を主人公に恋愛や育児を描くのは、やはり「実験」的な側面が強いだろう。

この短編集のなかの「仮装」という短編は、妻に家出され初めて育児を一人でする男が主人公である。

簡単に要約すれば、主人公の男性の持つ育児についての価値観が変化する物語だ。

育児は男性のすることではない

→育児は出来ないことはないが、個人の自由を失う

→個人の自由は失うが、子どもの「子どもであること」を見て感動を味わうことができる

こういう変遷がある。

育児なんて自分にはできないと感じていた男性が、小慣れてきて、子どもの喜ぶ姿をもっと見たいと感じ始める。

要注意なのは、金原さんは「子ども=素晴らしい」、「育児=素晴らしい」というような単純で神秘的な図式で、子どもや育児を捉えてはいないということだ。

子どもも育児も、加えれば結婚も不倫も恋愛も、当然良い側面もあれば、悪い側面もある。

その上で、男性主人公の育児の価値観の転換を試みている。

こういう心の動きがあり得るのではないか、ある種の「足かせ」、いわゆる「一般的な価値観や思い込み」を解除できるのではないか、という実験である。

そういう意味では、金原さんは、リアルな描写をすることで定評のある作家だが、わたしにはむしろバーチャルな物語を描いているように思われる。

そして、わたしは、三十代の生物学的には男性で、結婚していて、最近子どもが生まれた。

まさにクリティカルな読者である。

金原さんの描く作品の実体験的で私小説的なリアルな側面と、実験的なバーチャルな側面を同時に味わうことができた。

偶然この時期にこの短編集を読めて良かったと思う。


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