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エッセイ:感じる能力を調べるために

感想とはなんでしょうか。

感想ときくと、「それってあなたの感想ですよね?」というあの有名なセリフを思い出される方もいるでしょう。

個人の感想というものは、全員に当てはまるわけでもないし、科学的な根拠も持たないものである、ということを前提に、相手の意見を矮小化するときに使われるテクニックです。

あるいは、夏休みの宿題の読書感想文を思い出される方もいるでしょう。

読みたくもない本を読み、何か感想をひねり出さなければならない。

たしかに読んでいるときには何かを感じているけれど、それを言語化するときに大変な苦労をする「感想文」。

そういう嫌な記憶がよみがえるかもしれません。


しかしわたしは、この「感想」というものを捉えなおしたい。

何かの作品を見たときに感じられる「感想」というもの。

科学的な根拠なんてものは存在せず、ひとによって異なってしまう「感想」というもの。

あるいは、言語化する際に大変な苦労をし、ともすれば「感じたこと」それ自体から離れてしまいかねない「感想」というもの。


感想とは何か。

感想について考えるためには、まずわたしたちは、感じることについて考えなければならないと思います。

感じるということは、どういうことなのか。

言い換えれば、わたしたちの「感じる能力」がどういうものであるかを考えなければならないのです。

つまり、わたしたちの「感じる能力=感想の能力」を調べる必要がある、ということ。

実は、この問いの立て方は、イギリス経験論(人間の知識は経験に由来するという考え方)の祖であるジョン・ロックをマネしたものです。

ロックは、経験論を論じた『人間知性論』において、知一般を可能とする「じぶんたち自身の能力を調べる」ということを言っています。(熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』,p.42)

ですから、わたしはこれから一年間、ロックに倣って「感じる能力」を調べることをしようと思います。

そのために、まずは、ジョン・ロックに連なるイギリス経験論に取り組むつもりです。

突然に経験論と思われるかもしれませんが、わたしには、「感想を抱く」という現象は、経験に大いに関係していると思います。

何よりも、感想というものは、経験したことについて感じたことでありましょう。

したがって今後、経験論についての関連の記事を書くことになると思います。

なにか分かったことがあれば、短い文章にして小まめに書いていく予定ですので、どうぞよろしくお願いします。

今回はここまで、ではまた。

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