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デレラの読書録:金原ひとみ『クラウドガール』


『クラウドガール』
金原ひとみ,2017年,朝日新聞出版

欲望と理性の姉妹の物語。

妹の杏は欲望に従って生きている。

一方、姉の理有は理性に従っている。

欲望と、それを一つ上から眺める理性。

その二項対立で始まるこの物語。

その結末は、当然、理性の崩壊に至る。

「理性がついに崩壊する」と言うよりも、むしろ「すでに崩壊していることが浮き彫りになる」と言った方が良いかもしれない。


欲望というのは常に現実的だ。

どういうことか。

欲望は現実に快楽を与えてくれるものしか信じない。

信じない、さらに言えば、快楽のないものは無価値であるということ。

その意味で、欲望は刹那的であり、かつ打算的である。

現実の刹那的な快楽を、出来るだけ獲得する。

それが欲望の行動原理である。


では、理性はどうか。

理性は常に拠り所を必要とする。

なぜか。

理性は、物事の良し悪しを、「拠り所」あるいは「根拠」に従って判断するからだ。

ようは、ルール(=根拠)に従うということ。

姉・理有の拠り所は、両親であった。

小説家の母と、政治学の研究者である父。

しかし、その二人はすでに失われていた。

理性の拠り所は、病死あるいは自殺(?)によって、空白となっていた。

理性の化身である理有は、この拠り所の空白を嘘で埋める。

生前に海外に住んでいた父とスカイプでビデオ通話する。

しかし父はすでに他界している。

したがって、理有は暗い画面に向かって話しかけていた。

また母の死の記憶を上書きする。

自殺であったはずの母の死因は、病死に上書きされる。

理性はまるで清廉潔白であるようでいて、実は常に幻想を見ているのかもしれない。

理性は、クラウド上にあるデータをダウンロードして、都合よく記憶をアップデートするようにして、現実を改変していく。

私たちは巨大なデータベースと共に生きていて、もはやそこから決定的な嘘も、決定的な真実も捉えることはできない。(中略)私たちにできるのはどの情報を採用するかという選択だけだ。

(p.213-214)

繰り返すが、理性は拠り所を必要とする。

そして拠り所は、変えることができる。

拠り所が移り変わるたびに、理性はアップデートされる。

その意味で理性は、実は崩壊している。

アップデートのたびに一貫性が失われる。


わたしたちは何を拠り所にしているだろうか。

それは移り変わるものだろうか。

いや、すでに移り変わっているかもしれない。

そして、その移り変わりは、ある意味理性の崩壊だけれども、崩壊は常に起きているのであって、わたしたちはそれを受け入れざるを得ない。

欲望は現実的であり、理性は幻想的である。

金原ひとみの描く現実感覚と幻想感覚は、人間の脆さと儚さと狂気を抉り出す。

そう感じた。

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