
デレラの読書録:金原ひとみ『軽薄』

金原ひとみ,2016年,新潮社
「彼らの関係の中では、そうなるのが自然だったのかもしれません。」
主人公カナは、甥である弘斗との不倫を始める。
それは、物質的な欲望から始まった軽薄な行為だった。
カナは常に軽薄だった。
薄くて、軽い人間だった。
どういうことか。
それは、カナはあらゆる人間関係において重みを失っている、ということだ。
あらゆる人間関係、つまり夫との関係、子どもとの関係、職場での関係、親戚との関係、姉妹との関係においてカナは重みを失っていた。
重み、というのは、ようは、相手に対する興味であり、相手に対する固執であり、相手との究極的な関係である。
実はカナは、かつてはそういう重みをともなった関係を構築していた。
カナがかつて経験した恋愛関係には重みがあった。
それは一見、狂気ですらある。
「相手のためなら死んでもいいとか、相手のためなら人も殺せるとか、そんな風に思うって、狂気だと思う」
つまり、重みとは、最も極端な言い方をすれば、相手に殺されるなら死んでも良いし、逆に裏切りがあれば相手を殺してやる、という関係である。
カナは元カレと別れた末に、元カレはストーカーになり、終いには元カレにナイフで刺されることになる。
しかしそれは、二人が構築した重みのある世界においては自然な出来事だった。
むしろ、死を約束し合った二人が構築した関係性(=重みのある世界)のなかでは、男が女をナイフで刺すことの方が自然どころか誠実な行為ですらある、とカナが思い始めたとき、カナはもう軽薄さに物足りなさを感じ始める。
そしてついに軽薄さすら捨ててしまう。
つまり、カナは「軽薄さ」も「重さ」もどちらも失ったのだ。
不倫相手である甥の弘斗の過去を知ったカナは彼に共感する。
弘斗は浮気をした年上の女性を殴り倒し殴り続け全治二ヶ月の怪我を負わせていた。
カナはその事実を知り、弘斗は軽薄な世界の人間ではないことに特別な連帯感を持つ。
「もしかしたら弘斗もまた、彼らの恋愛において誠実であり続けるために彼女を殺そうとしたのではないだろうか」
軽薄ではない世界、一度は重みを持ち、そして失ってしまった二人だけの関係性によって構築された世界、その世界のルールのなかでは、暴力ですら自然な出来事になり得る。
それはある種の狂気である。
これは読者に突きつけられた問いだ。
暴力すら肯定しかねない価値観に対して、わたしたちは「それは暴力だ」と批判できるだろうか?
わたしは答える。
それは暴力を肯定する危険な価値観である。
しかし、一歩下がって、この問いを反転させてみる。
確かに暴力を肯定する世界観は狂気だが、しかし、愛もまた同じ形式のものではなかろうか。
つまり、愛とは他者から見れば、狂っているとしか言えないことなのではないだろうか。
「これが愛でないのならば、もう何が愛なのかさっぱり分からないと言える」愛によってひとと関わること、ほかのひとにされたら許せないし受け容れられないことも、愛によって構築された関係性においては許し受け容れることができるのではないか。
やはりそれはある種の狂気である。
軽薄さは、狂気を抑圧する。
狂気の抑圧によって、われわれは暴力を避けることができる。
一方で、愛も狂気である。
軽薄さでは愛は構築できない。
暴力の抑圧は、反転して愛の抑圧でもある。
軽薄な世界には、狂気も暴力もなく、同時に愛もない。
その世界に物足りなさを感じるのを、わたしたちは否定できるだろうか?
あるいは、それを容易に手放して良いのだろうか?
そう感じた。