「原稿」は「本」ではない 〜「ゴーストライター」と「ブックライター」Part 2

 SNSでは、しばしばウェブ記事などをシェアして「とても良い原稿だった」などと評する人がいる。だが、その人が読んだのは「原稿」ではない。「記事」である。

 日本国語大辞典には、〈げん−こう【原稿】 印刷したり演説や講演など口頭で発表したりするもののもとになる文章。また、その文章を書いたもの。印刷のための書画、写真などを含むこともある。草稿。〉とある。だから、書き手以外で原稿を読むことができるのは、編集者や印刷所の人などごくかぎられた関係者だけだ。

 実際、漫画を読んで「面白い原稿だった」などと言う者はいない。ところが、なぜか文章となると(出版業界人でさえ)公開された完成品を「原稿」と言いたがるのは不思議なことである。「文章」の高尚な言い方だとでも思っているのだろうか。

 ともあれ、そういう意味でも「ブックライター」という職業名はおかしいと私は思う。編集協力者としてのライターが書いているのは、あくまでも「原稿」だ。

 その原稿は編集者が手を入れた上で著者に渡され、著者が加筆修正したもの(これを「著者校」という)が印刷所に入稿される(近頃はプロの書き手でも編集者に原稿を送ることを「入稿」と言ったりするが本来は印刷所に原稿を入れることである)。

 その後、ゲラを著者と編集者がやりとりしながら修正していき、印刷・製本されてようやく「本」になるのだから、最初にライターがつくったのは「原稿の原稿」と言ってもよかろう。まさに「草稿」であり、一冊の本をつくる工程全体の中では、いわば「叩き台」みたいなものだ。

 したがって、前回(https://note.com/deeeeepr/n/n8e9d0632ef6f)も書いたとおり、その「本」を書いたのは著者であって、「原稿」を作成した編集協力者が「ブックライター」を名乗るのは(不遜とまでは言わないものの)勘違いも甚だしいと思う。それでも名乗りたい者は好きにすればよいが、私は「ブックライター」なんて自称しません。自著に関してはたしかに「ブックをライティングしている」が、それは従来どおり「著者」と言えばよいのである。

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