「好きなことやれ」とかそんなこと全部分かってる。今、私たちが困っていることはそれじゃない。


「好きなことやりなよ」
「自分らしく生きなよ」
「自由に生きていいんだよ」

という言葉が頭の中をぐるぐるしている。

その言葉を投げかけてくる「いい人」たちは、僕たちをどこに向かわせたいのだろうか。
というより、そのような言葉を安易に投げかける人ほど、自分たちが作った世界の中で「自由で」「自分らしい」「好きなこと」をしているように見える。


 

無責任な言葉に翻弄される

 ぼくは正確が315度くらい捻じ曲がっているので、そのような無責任な言葉を投げる人々が得たいのは、その言葉を振るうことによって地位や人間関係資本が欲しいのかな~と思ってしまう。動物が、踊りや美しい羽根で異性にアピールするのと同じなのだと。
その意味では、彼らは実に動物らしく生きているので、とても尊敬できる。僕たち人間は本来動物なので、動物らしい振る舞いの方が同じ動物たちからも信頼されるので、動物的には正しい行動なのだろう。
無責任な言説に翻弄される側からしたら、その言葉で振り回されて精神や時間を削られるんだから責任取ってくれよ、自己責任だとか自分で考える思考力が大事だよね~とか言ってんなよ、くらいは思ってしまうけど。


「好きなことで、生きていく」

というキャッチコピーを携えたYouTubeのCMが流れたのは2014年だった。

以来、無責任な言葉に絆された人を何人も見送ってきた。

有名YouTuber・インスタグラマーを目指す人、SNSマーケティング!と息巻いてTwitterに乗り込んでくる人。どうやらここ数年でライバーを目指す人も増えているらしい。

他にも、大学を中退して起業する、中学生でアメリカを縦断する、新卒でフリーランスになる、高校生でクラウドファンディングをする。

どれもが単体で悪いことではないにしても、「何者か」になりたくてその選択をしてしまうケースは大抵上手くいかない。このような上手くいかないパターンに共通する点は、その界隈にいる人間たちが作った世界での「自由で」「自分らしい」「好きなこと」をやろうとしてしまうからだろう。

 SNSで誰かが叫んでいる正しそうなことを鵜呑みにして自分の貴重な時間を無為にしてしまっても、我々のような道端の石ころの責任を誰かが取ってくれることなどない。
私たちは何かに酔っ払って、幻想を見ていないと安心できないことを自覚できないと、永遠にこの呪縛からは逃れられない。次の正しそうな言説を妄信し、新しい誰かの「自由で」「自分らしい」「好きなこと」をやってしまうのだろう。


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でも、僕たちは前進している

 とはいえ、無責任な言葉に絆される人も一定数いるにしろ「なるべく自分の好きなことや得意なことを仕事にする」「嫌いなものは極力排除する」といった考え方は、今や一般に広く浸透した価値観のように思われる。

 「好きなことで、生きていく」というYouTubeのCMが流れた年と、自由や解放をテーマにした進撃の巨人のアニメSeason1や、アナ雪のLet it Goが同じ2014年に流行したことは無関係ではないだろう。

音楽シーンを目を向けてみれば、2010年の僕らは「アイデンティティがなああぁあい♪」と歌っていたはずなのに、2019年には「Stand out fit in(はみだして なじめ)」と歌っている。いつの間にアイデンティティを得ていたんだ。


 僕たちは明らかに、「自分の好きに生きる」という価値観を常識だと受け入れ始めている。
キャリア教育の文脈でも、そのような考え方を謳うスクールやプロジェクトが増えてきたし、それによって人生が好転したという話も耳にするようになった。

スクールやプロジェクトを受講せずとも、自らの興味関心や得意なこと/嫌いなことを模索している人は多く見受けられる。
また、SDGsが衆目を集めるようになって以来、高校生ぐらいであれば自分の興味関心が明らかになっている人も徐々に増えてきているように感じられる。
ネットやゲームといった一昔前はアングラだったものが大衆化されたこともあり、「みんなと同じでなければならない」という考え方も、いよいよ本当に前時代的な価値観になりつつあるのだろうか。


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今、何に困っているのだったか

「自分の好きに生きる」という価値観は既に一般に受容されている。
また、自らの興味関心や得意なこと/嫌いなことを探求し、自分の好きに生きようと旅をしている人も増えてきている。

 そんな僕たちが抱える難問は「旅の果てにどこに、どうやって腰を落ち着けるか」だ。つまり、得意なこと/嫌いなこと/興味関心はある程度分かってきたが、どこで/どうやって報酬を得るか、ということだ。

 これは流行している漫画に目を向けると自然と納得がいく。
自由や解放をテーマにした『進撃の巨人』が特に流行したのは2014年だったが、現在話題を集めている漫画は『ブルーピリオド』『僕のヒーローアカデミア』『ランウェイで笑って』などだろうか。(鬼滅の刃は異常なほど売れているが、話が逸れるのでスル―で...)
近年話題を集めている3作品はどれも、「自分の好きに生きる」ことは大前提としたうえで、「どのようにそれを実現するか」という点にフォーカスして物語が進行していく。

※余談ではあるが、長い休載期間を経て今年完結した『銀の匙』は、連載期間を鑑みても「自分の好きに生きる」ことと「どのようにそれを実現するか」のどちらもフォーカスした作品だった。

 そして作品の登場人物は、「どのようにそれを実現するか」の過程で僕たちが抱える難問と同じ問題に直面する。

親との関係に不和がある、経済的に苦しい、協力・切磋琢磨する仲間がいない、知識・実力が不足している、才能が無い、若い世代に急速に追い上げられる、「個性」が必要なのに「個性」がない、好きではない方に突出した才能がある、etc.


 僕たちは、自分の抱える悩みを作品の登場人物たちに投影して、自分がそれを克服したかのように錯覚することで、その漫画を楽しんでいる節がある。少なくとも、僕はそういう読み方をすることがある。

別に漫画業界に携わっているわけでもないので分からないのだが、これらの作品が多くの人に読まれている理由は、作品がフォーカスする「自分の好きに生きる」ことを前提として「どうやってそれを実現するか」が、今僕たちが抱える問題と合致しているからなのだと思う。


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僕たちはどう生きるか。

「自分の好きに生きる」ことは既に当たり前で、今僕たちが抱えている問題は「得意なこと/嫌いなこと/興味関心はある程度分かってきたが、どこで/どうやって報酬を得るか」ということなのだろう。
どこで/どうやって報酬を得るか・実現するかを考えたときに、知識や自信・才能・人間関係の不和といったことが道程に靄をかける。


 以前にも書いたが、こういう時にはロールモデルが必要だ
既にロールモデルがいるからこそ、同じ道程を歩む追随者に僕たちはなろうとする。

しかし度々指摘されているように、現代は「ロールモデル不在の時代」と評されるほど不確実な世界であり、ましてや僕たちの道を阻む問題はーこれまで書いてきたようにー近年カルチャーの文脈でテーマとして扱われていることからも、まだ問題として大いに取り上げられるような段階にはない。(漫画や音楽・映画でテーマとなるものは、僕たちがうっすら感じていることを先んじて表現されるケースがある。この問題もそれに当てはまるだろう。)


 なので、とりあえず、同じ問題を抱える人間同士で集まることにした。
こういう問題は先ず可視化してから始まるのだと、恩師に習った記憶があるので、可視化したあとに「さて、どうしたものか」と皆で話し合っていこうという算段でいる。

おおよそ、知識や自信(仲間)・人間関係の不和あたりがボトルネックになっているのだろうと思うので、それぞれが解決している要素や得意とする分野の知識やライフハックをシェアして、乗り越えることは可能かどうか実験しようと思う。

現状は、マイプロジェクトを共有して進める2人1組が2つと、1人で走れるグループが2人の計6人でゆる~く繋がっている。
1ヶ月継続できたので今後は少しずつ、この実験に価値はあるのかどうか、価値があるとすれば人数を増やす意味はあるのか、といった視点から評価・カイゼンできたら面白いかな~などと思案している。

最後の数百字のためだけに、めちゃくちゃ文章書いてしまったけど、最近はそんなことを考えています。
メンバー増やすゾ!って決めたら告知するので、興味ある人は声かけてください。

また進捗について書いたりマス。
文末に考えに至った記事とか参考として載せときますね。
スキとかTwitterフォローしてくれたら、明日のご飯が美味しくなります。

それじゃあまた。


【参考にしたもの(たぶん)】
「次の10年で世界は変わる。大人の仕事は『未来を変える仕組み作り』」, イケウチな人たち

「第1回 若者はなぜ焦るか」, リクルートワークス研究所

「『意識高い系(笑)』は間違ってない。途中なだけ。自分の現在地を知り、レベル上げをする方法を考えてみた。#学習するコミュニティに夢を見て」 , greenz.jp

『2010s』 , 宇野維正 ,  田中宗一郎 , 新潮社

もしサポートなんて頂いた暁には、大学院での勉強に活かそうと思います。