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ヴァナ・ディールの思い出 続く世界の旅の終わりに

2003年、夏。

その年は記録的な冷夏で、やけに涼しかったことを今でもよく覚えている。中学3年生だった僕はその日、中学校の最後の部活の大会で負けた。3年生だったから、引退して高校受験の勉強に向かうことが決まった日だった。正直部活ばかりやっていたから、その日から学校が終わったら帰っていいと言われても何をして良いかわからず、手持ち無沙汰で母親に怒られながら毎日テレビばかり見ていた。そんなある日ふと目に映ったのが、ファイナルファンタジー11のCMである。

思い出した。

ゲームはあまりやらない方だったけれど、FFは好きだった。邪道と言われるかもしれないが、僕のデビューはFF10であり、2年くらい前だったか、初めてFFに触れてとてもワクワクしたことを覚えている。FF10に続いて、FF9、FF8、FF7と遡っていった。ちなみにFF8は難しくてついにクリアできなかった。ストーリーもよく覚えていないし、今ではきっと実家のどこかで埃をかぶっている。今思い返しても、FF8は難易度高すぎだろと声を大にして言いたい。

話が逸れた。その当時では斬新なことに、PS2のFF10のパッケージには、付属のDVDがついていた。トレーラーの中身は、声優のインタビューだったり、よくわからない無駄にオサレなMVだったりが収録されていたと記憶しているが、その内の1コンテンツとして含まれていたのが、FF11 Play OnlineのPVである。何気なく見始めた映像だったけれど、「オンラインで出会った仲間と冒険」し「日常生活のどこかですれ違うこと」を見せる演出に、当時中二病全開だった僕は心の何かをごっそり持っていかれたことを、そのCMを見て思い出していた。

やってみるか。

今考えると、なかなかに結構な決心だった。当時はそれこそMMORPGの勃興期で、ウルティマオンラインやエバークエストから始まり、日本でもようやくオンラインゲームが商用ゲーム機にのりはじめた時代。そう言えば、クラスの隣の席の友人が最近、ラグナロクオンラインだかにハマっているとか言っていたような気がしないでもない。なにそれ?と僕は鼻で笑っていた。周りでもオンラインゲームをやっているヤツなんかそいつ以外いなくて、先生たちも誰も知らない。そんな時代だった。

ファイナルファンタジーの正式ナンバリングでのMMORPGとなれば、興味を持たないはずがない。死んだ魚の目をした少年の瞳に、再び新たな光が灯った。

そうと決まれば早速準備に取り掛かる。が、そもそもFF11をやるにはどうしたら良いんだ?北関東の片田舎に住んでいた僕の家には、光どころかADSLすら引かれていなかった。もちろんインターネットの通信速度は56kbps。まずは通信環境の整備から?なんだそれ!ゲームを始めるための初動じゃないだろ!満面の笑みでワクワクしながら、僕はキレていた。

自慢ではないがうちの両親はド級の機械音痴だ。まじでやばいレベルでどうしようもないので、もはや自分でなんとかするしかなかった。NTTに電話した。プロバイダも自分で見つけた。回線工事まで僕が発注した。気づいたら家の電話回線は今ではもはや絶滅した「ISDN」になっていた。さすがの両親もビックリである。ちなみに金がかかりすぎて後でがっつり怒られた。でも、不思議と達成感があった。

そうまでしてようやくたどり着いたFF11、ヴァナ・ディールの世界。ここに降り立った瞬間の感動は、今でもよく覚えている。何もかもが新鮮で、文字通り、心の琴線なのか何なのかよくわからない、僕の心の中の何かが確かに震えていた。今、画面に映っている目の前のキャラクターが、この世界の何処かにいる生きた人間であること。船に乗り隣の街に行くまで現実世界の時間で20分かかること。レベルを1つ上げるのに1時間かかること。というかギルが全然たまらず装備さえもままならないこと。死んでしまえばこれまで貯めた経験値がなくなる、死への恐怖、絶望感。これまでプレイしてきたどのゲームとも全く異なる、ふわふわとした不思議な感覚を、僕はその全身で感じていた。

今でも時々、ふと考える瞬間がある。当時、FF11があそこまで人々を惹きつけてやまなかったのは、どういう魅力があったからだったのだろう。それこそ、ラグナロクオンラインやリネージュ2みたいに、当時盛り上がっていたオンラインゲームは他にもいくつかあったと思う。それでも僕らは「FF11」と「それ以外のオンラインゲーム」に、何か決定的な違いを感じていた。僕らがFF11に惹きつけられたのは、「FFのナンバリングタイトルだから」だったのだろうか。たぶん、それはきっと違う。根拠はないけれど、確かに違ったのだと思う。はじめに興味を持つきっかけはそうかもしれないけれど、でも、あの魅力は「FFだから」では決してなかったように思う。何かしらの不便さのような「妙なリアリティ」が、僕らを惹きつけていたのかもしれない。

そんなヴァナ・ディールの世界に、当時の僕は没頭した。文字通り無我夢中で、寝なくても本当に平気だった。両親は学力を心配して僕を塾に入れた。勉強は嫌いじゃなかったから、全く苦じゃなかった。普通に学校に行って、塾もサボらず、そのあと夜からゲームして、気づいたら寝落ちしていた。おそらく中学生の健康的な発育にとっては極めて良くなかったとは思うけれど、精神衛生上は極めて良好だった。結果、いつも寝不足だったけど学校の成績は上がっていった。両親はマジで不思議がっていたけれど、とりあえず自由にさせてくれた。

ヴァナ・ディールに降り立ってしばらくも経たないうちに、リンクシェル(他のMMORPGでは「ギルド」と呼ぶことが多いかもしれない)に誘ってもらった。当時は、MSN(今はなきhotmailアカウントである(今もあったらごめんなさい))にコミュニティがいくつかあって、ヴァナ・ディールの同じサーバーでプレイする人たちのコミュニティを探して入れてもらった。運が良かったのか、そこはとても良いコミュニティだった。初心者の僕を快く迎え入れてくれて、本当に何でも話せる仲間になってくれた。固定パーティもできた。何度も約束をして、ヴァナ・ディールで待ち合わせをして、共に冒険をした。

ヴァナ・ディールでの毎日が楽しかった。ウィンダスで始まり、ブブリムでボギーを追いかけ、ジュノにたどり着き、闇の王にはみんなで何度も挑んでは返り討ちにあった。黒魔道士だった僕の最強装備をとるために、夜遅くまで付き合ってくれた仲間たち。初めてトゥー・リアの景色を見たときには、その美しさに言葉さえも失った。それはただの画面上のグラフィックかもしれないけれど、そこにたどり着くために超えてきた様々な冒険は、確かに本物の感覚だったから。色んな人に出会えて、色んな人と仲間になり、色んな景色を見て、色んな経験をして、そして日々くだらない雑談にふけった。

ある日、メンバーの1人から好きな人がいると個別の/tellで相談を受けた。え、それ僕のことかなと一瞬ドキッとしたけれど当然そんなことがあるハズもなく、その相手はイケメン(本当かどうかはわからない)で有名なMさんだった。その日からMさんへの告白プロジェクトが始まった。これを知っているのはコミュニティ内でも2〜3名だけの極秘プロジェクトであった。その子とMさんをお近づきにするために、ドッキリというか今思うとくだらないんだけど、結構頑張ってイベントを企画し、見事告白に成功。ヴァナ・ディールでの結婚式もあげた。中学生ながらに僕はすげーなと思っていた。ゲームがリアルを超えていく。1つ1つのエピソードを挙げればそれこそキリがない。

ただただ、楽しかった。このまま時が永遠に続けばいいと思った。

そんな世界においても、必ず訪れる瞬間がある。それが別れの時だった。家庭の事情、環境の変化、新たなる決意。ヴァナ・ディールを去る理由は、それこそ人によって様々だったけれど、メンバーのみんなは、その度に笑顔でその人たちを見送っていった。去りゆく人たちも、笑顔だったように思う。僕のキャラクターも笑顔で/Byeのモーションを送り続ける。ただ、その画面の前では、僕はずっと泣いていた。

ヴァナ・ディールの世界は変わらず続いていく。けれど、そこで過ごしていた仲間たちはいつかいなくなってしまう。それは残酷なくらい、この世界ととてもよく似ていた。

そうして気づけば、いつしか僕が参加するコミュニティのメンバーはほとんど入れ替わり、立ち上げ当初のメンバーはもう誰も残っていなかった。ある日リーダーがポツリと言った。「そろそろコミュニティを解散しようと思う。」誰が悪いわけでもなかったけれど、僕もそれが良いのかなと思っていた。やはり笑顔で別れて、それぞれみんな、別のコミュニティへと旅立っていった。気づけば外の世界は3月になり、高校受験が終わっていた。季節は春で、すっかり暖かくなった。自分も家から少し離れた高校に通うことになり、新たな生活が始まって忙しくなった。忙しくしたかったのかもしれない。ヴァナ・ディールからは遠ざかり、そして気づけば、僕もやめようと決意していた。最後の日に挨拶をしたい人たちは、もう誰も残っていなかった。最後にヴァナ・ディールからログアウトして、PS2の電源を落としたあの日、4月の心地よい風が、桜の上を切なく吹き抜けていた。これまでみんなが笑顔で別れた理由がなんとなくわかった気がした。


先週、柄にもなく夜遅くまで仕事をしていた。金曜日だったので、少し遅い時間だったけれど、最寄駅でいつものBarに立ち寄った。いつもの常連たちがいて、みんな変わらず楽しそうに酒を飲んでいる。「おう、お疲れ。」常連の一人が声をかけてくれた。「今日は疲れましたよ…」なんて言いながら挨拶をしていると、マスターがいつものラフロイグをロックでいれてくれた。師走も近づく寒さの中では、ウィスキーが身に沁みた。

しばらくして、「実は…」マスターが気まずそうに言った。聞けば、そろそろ店を閉めるという。新卒で就職してこの街に越して以来、仕事で嫌なことがあった時も雨の日も雪の日も8年間ずっと通い続けたBarがなくなると聞いて、ショック以外のなにものでもないハズなのに、僕は不思議と寂しさの前に、15年前にヴァナ・ディールで感じた別れの感覚を思い出していた。ああ、僕もそろそろこの街を出る時かもしれない。店内では、ビリー・ジョエルのピアノマンが、ただただ静かに流れていた。

1つのコミュニティには、いつか必ず終わりがくる。それはリアルの世界に限った話ではなく、当然ゲームの世界だけの話でもなく、SNSも例外ではない。よく考えれば、mixiもいつの間にか辞めていたし、Facebookも長らく見ていない。ニコニコ動画を通じて出会った友人たちも、今はどこで何をしているかわからない。流行り廃りといってしまえばそれまでだけれども、youtubeやtwitterだって、きっといつかなくなるのだろう。そういう意味では、このnoteだって、いつまで残っているかわからない。あの時夢中になって何かを必死に書き続けていた大学生時代のBlogだって、ついこの間消してしまった。いつだって後悔と思い出だけが、残る。

続く世界の中にいて、いつか必ず消えていなくなる僕らは、懸命に思い出を重ねていく。一瞬の感動や寂しさやあらゆる感情が、思い出に宿る。

FF11の思い出は、とてもじゃないけれど、僕の拙い文章では言葉にできない類のものなのだと思う。それはかけがえのない中学生の時の思い出そのものであり、だからこそきっと思い出補正でもあり、もはや今となっては決してその本当の姿を捉えることができないからだ。

例えばだけど、きっと中学生の時の同級生には、田舎に帰って、卒業アルバムをひっくり返して、地元を探し続ければ多分どうにかたどり着くことができる。リアルで出会った人たちには、何かしらきっと、その人に続く道がある。けれど、あの時ヴァナ・ディールで出会ったみんなとは、本当にもう、二度と会えない。どこで何をしているかもわからない。探し方さえもない。

ヴァナ・ディールを冒険していた時に味わった、あの不思議な感覚。それはきっと前述の通り、世にいう思い出補正と言われるものかもしれなくて、もしそうだとすると、その感覚にも、もう二度と出会えることはないのかもしれない。あの時の仲間たちにも、そしてあの感覚にも、できればもう一度出会いたくて、でもおそらく、もう二度と出会えなくて。

今でも僕は、心のどこかであの不思議な感覚を探し続けている。


このnoteを書くにあたって、最後まで、キャラクター名とか、サーバー名とか、固有名詞を入れようか悩んだけれど、結局書かないことにしました。このnoteを、当時の仲間たちが見つけてくれて、あるいは、別のオンラインゲームで全く違う冒険をしていた別の方が見つけてくれて、同じような思いを共有できたら嬉しく思います。

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