2021年総裁選に見る、自民党員ですら総理大臣を選べない究極の茶番劇
時代は「誰」を求めるか?
いま世間を賑わせている今年の自民党総裁戦のキャッチコピーである。よくこんなに白々しい言葉を使えたものだ。
〈日本には民主主義がない〉という市民の嘆きをよく聞くが、そもそも間接民主主義や三権分立ですら成立しているとは言えない、はるか手前の政治制度になっていると思う。
小学生の時に社会の授業で、日本は国会議員の投票で総理大臣が選出されるから「立法権」と「行政権」の距離が近いと教えられた。思えばこの時から、日本の選挙制度に対する不信感が生まれた気がする。司法権を含めた三権がそれぞれ抑制し合うことで互いの腐敗を防ぐのが三権分立の意味であって、その内二権が影響を与え合う関係であるならば成立していないではないか。
そして、日本において国籍所有者は直接総理大臣を選ぶことができない。国会議員の投票で選出されるので、現在圧倒的多数の議席を持っている自民党から選出される。隣国・韓国では普通選挙が開始された時からすぐ直接選挙になっているので、国籍所有者が大統領を選ぶことができる。今の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の壊滅的な政治を思うと頭を抱えたくなるが、とはいえ一応は選挙という過程を踏んだ上で生まれたのだと、納得しないまでも理解することはできる。この「理解」できるかどうかというのが、その国に住む市民の政治参加意識を大きく左右すると思う。どうせ自民党員が総理大臣を選ぶなら私たちが声上げる意味なくない?と日本の市民は思ってしまうのだ。
そして、ここが最も重要な点なのだが、現状では自民党員ですら直接総理大臣を選ぶことができないのだ。自民党総裁選の取り決めでは、国会議員1人一票ずつの「議員投票」の367票と、全国集計した党員・党友票をドント方式で比例配分して割り振られる367票を合わせた、計734票の振り分けで行われる。
ここである疑問が生まれないだろうか。なぜ国会議員が総裁選に投票できるのか。自民党の政治家が国会議員という職にありつけているのも、全ては投票し寄付し支持を広げてくれる党員あってのものだ。立場を弁えろと言いたい。にもかかわらず国会議員は1人1票で、それに対して党員党友は100万人強を367票で割られるのだ。雑に計算すると、0.000367票(367票÷100万人)となった。一票の格差なんてもんじゃない。
これに憤慨しない自民党員も、口では「党員のおかげ」と言っておいて実際は自分たちで全て決めている国会議員も、どちらもどうかしている。まず国会議員で選挙の半分が決まっているわけで、党員がそれを覆すジャイアトキリングを起こすのは極めてハードルが高い。
さらに言えば、自民党総裁選では1回目の投票で過半数を取る候補がいなければ、得票数上位2名で「決選投票」が行われる。ここでは国会議員367票の再投票と、1回目の党員党友票で多くの票を得た候補が各都道府県で1票の計47票が割り振られる。この合わせた414票で最終決着となる。党員は再投票することもできず、また上位2人でない候補に入れた票は死に票となる。小選挙区制よろしく総取りシステムにするのもどうかと思うが、1回目の投票と同じく国会議員票と党員党友票を同数にしない正当な理由を説明できる自民党議員は果たしているのだろうか。
こうなるともう党員は手出しできない。カッコ付きの「総裁選の主権者」から、テレビの前の一視聴者に成り下がるしかない。
この総裁選のシステムの歪さは前回2021年に鮮明となっている。ニュースやワイドショーでは河野太郎が有力候補として担ぎ出され、連日見たくもない顔を見させられたものだった。その効果もあってか議員票では岸田文雄はおろかに高市早苗にも負けて3位となった河野太郎が党員票で大きく伸ばし、合計票で岸田に1票差まで迫り、決選投票となった。しかし、ここで一番の茶番がはじまる。
前述の通り総取りシステムである党員党友票では河野39票岸田8票で5倍近く差をつけるも、クソみたいな国会議員で118票差をつけられ、岸田総裁の誕生となった。
この時の自民党員の気持ちはどうだったのだろうか。自分たちの意思では河野太郎を選んでいたのに、結果は国会議員たちの勢力争いや保身で真逆の結果となったのだ。なんたるバカバカしさか。河野太郎自身は自分が議員からの支持が薄いことを理解していただろうから、決選投票となった段階で負けることを覚悟していたのかもしれない。これが、政治家が総理大臣を選ぶ「日本の民主主義(笑)」だ。
これは選挙で野党が勝っても同じことだ。なぜなら立憲民主党の代表戦も自民党と同じようなシステムになっているからだ。いや、むしろもっと酷い。半分が国会議員票、1/4が地方議員、1/4が党員だ。さらには自民党よりも議員数が少ないくせに、代表選に出るには自民党と同じ20人以上の推薦人が必要となっている。このせいで前回の代表選では、若手議員の中谷一馬が推薦人を集められず出馬できなかった。
また、そもそも日本共産党は代表選を行っておらず(論外)、新しい政党のはずのれいわ新選組は恐ろしく複雑な票の配分方法の上で、結局半分が議員票という支持者をナメた設計になっている。
なぜ野党が自民党のクソシステムを真似するのか甚だ理解ができない。いや、ほんとうはわかっている。結局は結果を自分たちでコントロールしたいのだろう。一応は選挙という形を取るが、実態のよくわからない党員たちのせいで変な奴が選ばれるのは回避したい。だから、自分たち議員が望む結果にどうやって誘導するか、逆算して設計しているのだろう。
今回この文章を書いたのは、日本の人々に、いかに民主主義が無いかを理解してもらうためだ。そんなこと私はわかっている!と思っているかもしれないが、違う。あなたの想像以上だ。直接総理大臣を選べないだけでなく、自民党員ですら総理大臣を選べない。支配者が支配者を選ぶ。それがあなたたちの住む国なのだ。根本的に変えなければならない。与党も野党も。直接選挙で大統領を決め、立法権と行政権を引き剥がさなければならない。
やることは多い。だが現状を知らなければ対抗策も戦術も生み出せない。議論したい。あなたの考えを聞かせてほしい。諦めずに変化へ挑戦し続けよう。「ピープルパワー」は決して衰えてはいない。
(追記)
8月19日、維新の吉村が総裁選について、「『新しい自民党』というが、古い自民党内部の勢力争いで自民党の総裁が決まり、総理が決まる」「『首相公選制』を公約に掲げるくらいの人に総理・総裁になってほしい」などとコメントをした。
別に「公選制にすべきだ」と自分の意見を言っているわけでもなく、「そんな人が出てくればいいな」程度なので中途半端な自民党批判だとは思う。どうせ維新も多数派与党になれば公選制導入なんて絶対やらずに議院内閣制を死守すると思うが、ただ言っていることは全くもって正しいと思う。公選制は必要だ。
このくらいの指摘を他の野党ができていないことに致命的な弱さを感じる。リベラルが総裁選の中身について論じている時点で、政治体制の担保されるため自民党にとってはこれだけで勝利であり、議院内閣制という「三権分立」違反の本丸を糾弾しなければならないのだ。ほんとうに、世の中を変える気もなく、丸く収まった野党ばかりで辟易とする。恐ろしくつまらない。
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