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釣り人語源考 ごまめの歯ぎしり

「ごまめ」はおせち料理の一品として、昔から縁起の良いものとされる魚だ。
主に「カタクチイワシ」の小型のものを「ゴマメ」と呼び、炒って水分をよく飛ばしてパリパリになったゴマメを、じっくりと煮詰めた甘辛のタレに入れてからませた料理名も、魚の名から取って「ごまめ」と呼ぶ。
だいたい関東ではごまめだが、関西では「田作り」という。

家庭できちんと工程を踏まえて作ったごまめや田作りはとても美味しい。
カタクチは元々美味いもんね。しかし現代の大量生産のおせちセットに入っている田作りは、とても固くて苦く、ビックリするほどマズい。

「田作り」の名前の由来は、西日本では江戸時代に農作物の肥料として魚が利用されたことによる。
気温が高く冬に積雪の少ない地方では、「コムギ」や「ワタ」などの作物を栽培することが多い。これら乾燥地帯が原産である作物は、大型草食動物や人類が生み出した家畜と共進化していて、非常に窒素肥料を要求する植物だ。
それに対し熱帯が原産地である「コメ」は夏に作って冬は休耕する「一毛作」が基本であって、米作専用である「田圃たんぼ」を使う。
休耕する冬に地力が回復し、春に雪解け水を田に引くことによって雪や山の養分が補給され、水の生物が田んぼに満ち溢れることによって窒素が固定されて、コメが育つというわけだ。
そもそも水浸しの田んぼに肥料をやっても希釈され流れてしまうので無駄だと江戸時代の農業指南書にも書いてある。
しかし休耕せずコメを収穫した後の田んぼに冬に野菜などを作るとなると、地温は低く微生物は増えないので、どうしても即効性の窒素肥料が必要となるのである。

山の養分で育つコメ

換金性が高いコムギやワタ、野菜類の栽培なので、お金で買う「金肥」という名前で呼ばれた魚肥は西日本で多く使用されるようになった。
瀬戸内海で獲れるカタクチイワシ、太平洋や日本海など外洋で獲れるマイワシ、北日本で大量に捕獲されたニシン、これらの魚たちの食用にならなかったものや魚油の搾りかすが肥料用として利用が始まり、やがて産業として漁業の一端を担う事となったのだ。
江戸時代に徐々に始まっていった農業の進化は、大阪江戸の庶民を暖かい「綿入りの服」や「布団」で包み、美味しい「うどん」や「団子」を食べて、地方の農民も漁民もお金が手に入り、みんなが豊かになっていった。
「田作り」とは「庶民の繁栄」を象徴する魚であるのだ。

平原の植物であるコムギ

では「ごまめ」の由来は何だろう。
「細かい群れ」から「こまむれ」と呼んだから…という説があるが、調査してもカタクチイワシの古名や地方名に類似の名前はなく、どうやら違うようだ。
『和漢三才図会』(正徳2年 1712年 寺島良安)の「いはし」の条にある「五万米鰮ごまめいはし」には「田作り、または古止乃波良ことのはらと云う。漁師は海辺の石の上、或いはスノコの上に広げ干す小イワシなり。常に嘉祝のそなえとしてアワビの熨斗のしと並び用いる。」と記されて、「五万米」としてめでたい魚として使われていた事が分かる。

小型カタクチ

しかし更に調査すると、ゴマメの出展となったと思われる『伊呂波字類抄いろはじるいしょう』(鎌倉時代初期)や『倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう下総本しもうさほん』に、「古万米こまめ」が記載され、それは「韶陽魚」の和名であるとされる。
現代でもネットで検索すると、「ゴマメは漢字で”韶陽魚”と書く。」と記述するサイトが存在する。
しかし『倭名類聚抄』を研究した、江戸時代後期の考証学者である狩谷棭斎かりやえきさいは、『倭名類聚抄・下総本』は質が劣った後世の改竄かいざんだとしている。
「ゴマメ」の由来は全くのウソということ…いったいどういうことだろう。

正しく写本されているとされる『倭名類聚抄』の「韶陽魚」を見てみよう。

韶陽魚 崔禹錫食経云韶陽魚[和名古米]味甘小冷貌似鱉無甲口在腹下者也

二十巻本倭名類聚抄

「韶陽魚、和名”こめ” 味は甘く少し身体を冷やす。顔はスッポンに似てるが甲羅は無く、口が腹の下にある。」
「こめ」と呼ぶ魚の記述である。
よく読むとカタクチイワシとは全く違う魚を記述している。
「口が腹の下」ということなので、軟骨魚類か古代魚の類だろう。

また『倭名類聚抄』が引用文献とした『本草和名ほんぞうわみょう』(延喜18年 918年 深根輔仁ふかねのすけひと)には、「『崔禹食經』韶陽魚一名魶」とあって、『崔禹食經』は『説文』という書物の説を採用していて、『説文』には「魶、魚似鼈、無甲有尾、無足、口在腹下」と解説していると、狩谷棭斎は述べている。
『本草和名』の「鱓魚甲」という魚は『本草綱目』を引用して「和名古米一名衣比」とも記述してある。
狩谷棭斎は「鱓魚甲」は「鼉龍だりゅう」であるとする。「ヨウスコウワニ」のことだ。エイとするのは間違っていると指摘している。

狩谷棭斎が推理したように、「韶陽魚」はエイであり古くは「こめ」という名前だった、が正解のようだ。
まったくカタクチイワシとは関係がない!!

では「こめ」の語源は何だろうか。
「さめ」が「沙目」で「細かい粒子を持つ皮」であるのに対し、「こめ」は「小目」で「小さな粒を持つ皮」ということだろう。
サメよりも少し大きな粒状の皮を持つ、エイやサメの一部グループである「カスザメ・コロザメ」「シノノメサカタザメ」を「こめ」と呼んだと思われる。
漢字では「鮐」を「こめ」と読んでいたのではないか。

結局のところ『倭名類聚抄』の「鱏魚」は間違いとなる。

鱏魚 文字集略云鱏[音尋一音淫和名衣比]似鱣而青長鼻骨者也

『倭名類聚抄』

鱏魚はチョウザメの仲間の「シナヘラチョウザメ」だ。

棭斎が「エイのことである」と推察した根拠である「韶陽魚」の出展は、支那の本草書である『證類本草』の引用にある。
引用元は『陳蔵器餘』という書物。

「海鷂魚、似鷂有肉翅、能飛上石頭、一名石蠣、一名邵陽魚、生東海」
「邵陽魚、尾刺人者、有大毒、三刺、中之者死、二刺者困、一刺者可以整、候人溺處釘之、令人陰螫腫痛、抜去即癒、総有肉翅、尾長二尺、刺在尾中、逢物以尾撥之食其肉而去其刺」

『陳蔵器餘』

「海鷂魚は、ハイタカに似て肉のヒレがあり、よく飛びあがり石頭(?)別名石蠣、また邵陽魚。東海に生ず。」
「邵陽魚は尾のトゲで人を刺す。猛毒があり1回刺されても助かるが、2回刺されると気絶して、3回刺されると死ぬ。・・・よくわからん中略・・・総じて肉のヒレが有り、尾の長さ2尺、尾にトゲがある。物に触れると尾を振り回すので、これを食べるときはトゲを取り去るように。」
…「海鷂魚」はトビエイだろう。牡蠣をよく食べるし。
邵陽魚の記述はまさしくエイだ。これは文句なし。棭斎先生スゴイ。

トビエイ

ゴマメの由来を調べると、意外なつながりでエイの仲間の古い名前にたどりついた。
結局ゴマメの由来はよく分からない。
たぶん「こまめ」という名前で、単純に「小まい・魚(め)」というところだろう。
それを「古万米」と当て字して、原本には無いのに「韶陽魚」のところに偽造したのはかなり悪質だと言わざるを得ない。
ごまめの漢字、「鱓」も「韶陽魚」も間違いだった。
ゴマメも悔しがっていることだろう。

(カスザメ・コロザメ・シノノメサカタザメ参考記事)

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