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障害児育児と心の枯渇


ここ最近、心身疲労からから体調が思わしくなく
そのくせにタスクとスケジュールが
溢れかえっていてすっかりしっかり、
心が枯渇中な私。

仕事関連や療育関連で、日常的に
交通機関を使うことが増えたことも
枯渇の原因の1つ。

長男とはニコイチ生活をして丸1年が
経とうとしています。

もちろん不便の一言に限るけど
心と体も回復期を迎えていて
小さくとも1歩ずつ前進している息子の
姿に涙無しでは語れないぐらい
壮絶な1年でした。

4月から環境がガラリと変わり
電車とバスを乗り継いで
療育に向かうのは週に1回。

私の仕事関係で不定期に利用しています。
同じ時間・同じ場所からバスに乗り
同じ電車に乗って移動するものだから
お決まりの【こだわり】がよいしょよいしょで
発動されるようになってしまっていて
困り果てているのです。

バス、電車の座席はママの横で並んで座りたい。
座られないと、「最初から〜!(やりなおし)」と
癇癪スイッチがonになる。

その日は電車で起こりました。
たまたま空いていた座席に瞬時に座り
『ママ、ここ』と手招きしている間に
サラリーマンの方が座りました。

その瞬間に『うわーん』となる長男。

一緒に隣で並んで座れない時もあるー。
それは仕方ないことだと
理解していかなきゃいけない。
頭では何となく分かっていても
どうしてか分からない。

それは諦めずに少しづつでも
社会のルールとして積み重ねて体感で
覚えていかないといけないもの。
そして莫大な時間がかかるということが
この『障害』の核心でもあります。
出来ていたことが出来なくなることもある。
点と点が繋がらなければパニックになる。
処理機能が未発達だから癇癪が起こる。

それらは外からは決して見えないものです。

プチ癇癪を起こして喚き始めた息子を
見兼ねて赤い十字架のマークに気づいて下さった
お兄さんが、すっと座席を譲ってくださり、
申し訳なさで頭がいっぱいに
なりながらもすごく、すごく嬉しかった。
大きな配慮と寄り添いを感じたからー。

それと同時に反対側から聞こえる『チッ』
と言う音と共に体制を変えるその姿に、

社会のルールを理解できなくて申し訳ない気持ちと
理解されない世界への歯がゆさと苦しみとの
せめぎあいに、自分の心が枯れていくを
ただ見て見ぬふりするしかありませんでした。

言ったって仕方ない。
どうせ理解されない世界だーー。

社会に出れば出るほど
外の世界に触れれば触れるほど
その想いに駆られて立ち上がれなくなる。

『謝ること』が日常化され、
謝ることで子供を否定しているような
罪悪感に駆られ、親としての自信を失っていく。

それに負けじと食らいつきたくて
私は私のやりたいことを細々とでも
続けていきたい。

それでも、心の枯渇は防げません。

日々向き合い、専門の人たちから貰ったものを
生活に本人にインプットさせながら
自分たちの関わり方、声掛け、支援方法も
インプット・アウトプットの繰り返し。

成長を体感して涙したのもつかの間、
また新たな壁が立ちはだかる。
個々に支援が違うからこそ、こと細かく
関わり方には神経を張り巡らせる。

それが365日となると枯渇するのも
当たり前だよなぁと。

それでも明日はやってきて、
日々移り変わる心に寄り添い続けていき、
対処法を探し出し、点と点が結ぶ瞬間を
待ち焦がれながらも前に進んでいくしかない。

子供は子供の人生だというけれど。

自分自身のコントロールもおぼつかない
知的が成長しにくい、もしかしたら
止まってしまうかもしれない我が子に

『あなたの人生だからあなたが選択しなさい。』

と、託せる日は来るのだろうかと
漠然とした不安に飲み込まれる日も
数え切れないほどあるのです。


公共交通機関の場でもしも、もしも
赤い十字架のマークを見かけたならば。

どうかそっと見守ってあげて欲しい。
どうか笑顔で『大丈夫ですよ。』と
声をかけてあげて欲しい。

それだけで救われるものが沢山あるから。



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