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小2|長男の不登校log Vo.2


小学校2年に上がり、早3ヶ月が経過した。
親も子もとてつもなく心身に疲労が溜まる
長期休暇も無事に終え、
心も体も『学校』という方向へ
ベクトルは向いている。

次男が小学校に上がったことが
1番の『相乗』かもしれない。

相変わらず家では一切課題に
向き合わない日の方が大半ではあるけれど、
私は今はそれでもいいとさえ思える。

心ほど、壊れた後の
修復が難しいものはないと思うから。


不登校になってから1年の半分、
学校という場所との繋がりは“家庭訪問。”

壊れた信頼関係が戻るのには、
本当に容易いことじゃない。

恐怖や羞恥心、
自分の内面を言葉で表現できない苦しさ、
自分なりのSOSが“伝わらなかった”喪失感。
いろんなものが心を蝕んでいったんだろうと、
私はいつだって想像することしかできない。

本当の気持ちはいつだって長男の中にある。

それでも、長男がまた学校へ1日でも
通えるようにと、私と長男本人の、
心のペースに合わせながら
関わってくださった先生方には
とても感謝している。

諦めないで関わってくださることほど、
支えになるものはない。



1週間に1回、時間の変動はありながらも
先生たちが来訪してくださり、
45分ほどお話したり、一緒にゲームをしたりと
『信頼関係の再構築』から始まった。

遊びに来ていると誤学習しそうになった時も
あったけど、本人に伝わりやすいように伝え続け、
ペースを見極めながら本人の特性のアプローチや
その時の対処法を一緒に考えてくださったおかげで

『先生と課題をする時間の認識』と
『分かっていく楽しさ』みたいなものを
体感しながら過ごす事ができるようになっていった。


トークンシステムも
日常的に取り入れてはいたものの、
少しずつ負荷をかけながら
“我慢をすること”の練習も少しずつ、
少しずつ行えるようになった。

1年という不登校の月日は、
とてつもなく長いようで、短かった。

学校へ体が向き始めたのは、入学当初から唯一、
心を完全に開いていたサポーターの先生の一言。

「一緒に給食食べたいなぁ。」

とお誘いを根気よく続けてくれたおかげで、
仕方ないなぁ、とぼそっと
呟いたのが運の尽きだった。

自分が好きなメニューがある日を
目的と目標にして、
学校へ足を運ぶようになっていった。

支援級で給食を食べて帰る。から、
また新たな1歩を踏み出して
学校の中での安心・安全な場所と人を
構築することに力を注いだ。


夏休み前にはまた新たな1歩も自ら踏み出していた。

支援級の教室という1つの空間でしか
過ごすことができなかったのが、
プールの時間だけクラスのお友達と同じ時間に
隣のレーンでプールに入ることが
できるようになったり、お友達とすれ違い様に
挨拶を交わせるようになったり、
長男なりに一生懸命頑張り、学校という場所で
他者と関わろうとしている姿に
何度も何度も嬉しくて涙ぐんだ。

そこで初めて
「あぁ、本当は心の奥底で
学校という場所にいくこと、お友達と
関わりたい気持ちが残っていたんだ。」と気づいた。
いや、もしかしたら、できたの繰り返しの自信が、
学校への関心に繋がっていったのかもしれない。

こうやって信頼できる人や環境の整備をして、
できることから小さくTRYできるように
サポートし、心の声にちゃんと耳を傾け続けること
こそが特性を持った子の、何よりの
成長の栄養剤になるんだとこの
体験の中から沢山学んだ。

実際のところ、
長い夏休みが明けて学校へ行ったのは1回。

それも、夏休み期間中にやった
長男専用のプリント集を支援担の先生に
提出してその日はそのまま帰宅、だった。

でも、それでいい。
そこからまた、1歩ずつ前に進めたらそれでいい。
夏休み前と明らかに成長しているところをまた
私は発見できたから。

大好きなサポーターの先生がいる日限定でしか
心も体も学校に向かえなかったはずなのに、
ちゃんと月曜日に制服を着れたこと、
学校へ入れたこと、支援級の教室に入れたことー。

また1歩前進しよう、チャレンジしてみよういう
気持ちがしっかりあること。
ちゃんと、ちゃんと伝わっているから。

少しずつ、ママと前に進んでいこう。

まずは一週間。
1時間だけ学校へ毎日行くことから始めよう。

また2学期の終わりに、
成長した部分をここに記していこうと思う。



終。


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