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「ジャスミンの香る部屋づくり」第2話(全9回)

第2話

10年ぶりに訪れる先生の家、あんなに通ったのに道さえうろ覚えで何度も住所を見返してようやく辿り着くことができました。敷地をぐるりと囲う塀も、記憶していたほどは長くなく、小さな住宅が立ち並ぶ細い道にひっそりと馴染んでいます。

約束をした2時にインターホンを鳴らすと「中までお入りください」と変わらない先生の声。重くて開けにくかったガラス戸を開けると、向こうに立っておられたのは髪が真っ白になった先生でした。

「いらっしゃい、どうぞ」と挨拶もそこそこに、いつもの洋室に通されます。お部屋の中央に置かれた大きなツヤのある木製テーブル、対面で置かれた6脚の椅子のうち1脚だけは先生の椅子なので短辺方向に置かれています。窓台に置かれたお花、すりガラスのシャンデリア、「そうだ、そうだ、こんなだった」と確認するように窓側の真ん中、いつもの席に座りました。

一瞬で女子高生に戻ってしまったような、とはいえ今日はお仕事の話でもあるのでプロとして信頼していただけるようにカッコつけつつ、なんとも忙しい心持ちでした。

大学での生活、就職してからのこと、結婚したり、独立したりと、先生にお伝えしていないこの10年を簡単にはまとめることができずに中途半端なお話が途切れてしまった後、いよいよ本題を伺います。先生のお家の改装計画です。

先生のお家は平屋建ての日本家屋。前述した通り当時人気のあった洋館付き和風住宅として先生のお父様が建てられたそうです。私が英語を教えていただいていた時はお母様と二人暮らしだったそうですが、8年前に亡くなられてからは先生が一人で暮らされています。

作りはしっかりしているものの老朽化が激しく、雨漏りがして壁が大分汚れてしまったこと、昔の作りのお風呂が使いづらく危ないので新しくしたいことなどがあり私に連絡をくださったそうです。

さっそくお家を見せていただくことに。実はいつも授業をしていた洋室より先に入るのは初めてで、胸が高鳴ります。

いつもの応接間をでた前の廊下をくの字に曲がると、そのまま縁側につながっていました。よく晴れた日で、2月とはいえ太陽が降り注ぐお庭を見ながら暖かさを感じます。真っ先に飛び込んできたのは縁側のクッションで気持ち良さそうに眠る猫。「猫を飼ってらしたんですか!」同じく自宅で2匹の猫と暮らす私は、それだけで先生に一歩近づけたような気持ちになりました。「私と同じで、もうおばあちゃんの猫なのよ。20歳なの」とすれば、私が通っていた時にもいた猫ちゃんです。知らなかったなー。

縁側に面して6畳のお座敷と茶の間が続きで配置されてていて、とにかく明るく気持ちのいい空間です。畳にはカーペットが敷かれ、小さめのソファセットとテーブルが置かれています。その脇を通り抜けて廊下側へ、これが噂の中廊下です。お部屋から出ると急にヒヤッとして、目が慣れてないからか真っ暗に感じます。キッチンだけが窓のためかぼんやりと明るく見えました。

中廊下型住宅は日のあたる南側に応接間や二間つづきのお座敷を設置、暗い北側に女中部屋やお風呂、キッチンなどの水回りを設置していました。湿度の高い日本において合理的で、「公と私」を分ける先進的なプランでした。

中廊下を東側に進むと、突き当たりが先生の寝室です。ここだけは新建材の床が貼られていて、壁もビニルクロス。15年ほどまえにリフォームをして窓をアルミサッシに変えたそうです。お座敷と同じく南に面しているので明るいお部屋でしたが、よく見ると北側の角が黒っぽく汚れています。どこからか雨漏りがしているようで、ビニルクロスに黒カビがついているようです。

再び応接間に戻り、改装内容を確認。寝室の内装と、雨漏りの補修、ところどころ床がふわふわしているので必要であればそこも補修、お風呂は寒くて掃除もしにくいのでユニットバスに交換したい、とのことでした。また古い家で地震も心配なので、補強ができないかも教えてほしい、とのことです。

全体の写真も撮り、希望内容も伺った。最後に一番大切なことを聞かなくてはいけません。「今の時点で予測を立てるのは難しいかと思いますが、ご予算はどのぐらいをお考えでしょうか」。

改装工事は、特に屋根や床の補修、水回りを含めるとなるとかなりの金額がかかってきます。もちろん「この工事にはこれぐらい」と目安はお伝えすることができますが、「思っていたのと全然違った!そんなにかかるの?」ということもあるので、何か思っておられることがあれば最初に確認したいと思っていました。それに対する先生のお答えは、実に明快でした。

「おそらく今回の改装が人生で最後になると思うので、変なところで出し渋らずに危ないところはきちんと直したいと思っています。とはいえ、お金が無限にあるわけではないし、あと何年暮らすかわからないこの家に贅沢な改装は必要ありません。最低限のもので、気持ちよく暮らせれば、それが一番いい。」

迷いなく、私の目を見てはっきりと伝えてくださった様子は、改装計画がはじまってもいないのにすでに心は決まっているようでした。同時にものすごいバトンを渡されたようなこわさが沸々と湧いてきます。先生にとっての最低限で、気持ちのいい選択を理解して、私が実現する段取りをつける。そんな大役がこの私に果たせるだろうか。

責任の重さに耐えるように、必要以上に口を結んだ私に、先生はこう付け加えてくれました。

「でもね、せっかくの機会だし、今回の改装をめいっぱい楽しんでみたいという気持ちもあるの。インテリアをやってらっしゃるあなたに相談したのも、そんな理由からです。華美なものはいらないけれど、これから住む部屋が素敵になったら人生をもう少し楽しめるんじゃないかと思っています。だからそうしたものも含めてご提案いただけたらと思っています。」

これにはちょっと泣きそうになりました。正直雨漏りをなおしたり、床の補修をするだけならば工務店に直接頼んだほうがずっとスムーズだし、安いと思います。それでもせっかく声をかけていただけたんだし、恩返しのチャンスをいただいたんだから、ベストな働きをしようと思っていました。

でもそれで私の学んできたことが先生のお役に立てるのか。あえて私が間に入るメリットを先生に感じていただけるのか。どこかでずっと不安に思っていました。でも先生の一言で及び腰だった姿勢が前のめりに!いっぱい提案させてください!インテリアを考える楽しさを今度は私が先生にお伝えしたい!

それから実に1年間、先生の家に通う生活がまた始まりました。

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