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「ジャスミンの香る部屋づくり」第3話(全9回)

第3話

先生の英語の発音は見事なものでした。授業ではいつも英語の長文を読まされるのですが、発音を間違えたり、単語のつながりがおかしいとその場で先生が正しい発音で読みなおしてくれました。それがカッコよくて、全部先生が読んでくれたらいいなー、なんていつも考えていました。

横浜の女子校はいくつかありましたが、大抵は明治時代にアメリカから日本に渡ってきた宣教師の女性が創設したもののようです。私の学校もそうで、ネイティブの先生がいて、英語教育にも力を入れていました。

先生の英語は低い声でキッパリと、全体としてはゆっくりとした調子で話されるので、どちらかというとイギリス英語のような落ち着いた響きを持っていました。当時女性が語学留学するなんてことはなかったと思うので、日本で身につけられたであろう美しい英語を聞くことで、英語への愛情を感じていました。

今回改装を考えるにあたって、そんな先生が日々どんな風に過ごされているのかがとても気になりました。なにせ毎週土曜日のほんの1時間半程度、いつもの応接間でお会いしていただけです。大半はテキストを読んでいるので、雑談もほとんどしたことがありません。先生の普段の暮らしや大切な時間を知らないと、必要最低限の改修もわからないのです。

今回は屋根や耐震補強など構造的な確認も必要だったので、知り合いの建築家にも協力してもらうことにしました。まずは現状把握と、図面におこすための採寸を行うところからスタートです。

採寸当日は二人で3時間ほどかけて家のあらゆる場所を測定しました。シンプルな平面なのでそれほど時間はかからないと思ったものの、やはりゼロから図面を立ち上げるのは結構大変。目に見えるところは全て計りました。

そんな採寸をしながら、先生が持っている本、壁にかけられた絵、椅子にかけられた膝掛けなどをチラチラと観察。普段はどこで食事をとっておられるのか、収納は足りているのか、暮らしにくいところ、困っておられるところはないかも伺いながら改装計画を詰めて行きました。

先生のお家は平屋で、屋根には昔ながらの瓦が葺いてあります。2階建とは違いそれほどの重みがかかっていないこと、木造の架構として考えても一番大きな部屋でも6畳で、それほど構造的に無理をしている場所はないことから、外回り(屋根や外壁)に関しては補修程度にとどめることになりました。

一方で床は一部沈んでいる場所があったり、段差があったりすることから、バリアフリー化も兼ねて一度全ての床を剥がして柱の基礎も確認し直すことに。湿気のある日本では柱の足元が傷んでいることが多いので、足元さえ確認できれば安心に繋がります。それを機に全てを同じフローリングで張り替える計画にしました。年齢を重ねると畳の立ち座りはキツくなりますし、必要なら床暖房も入れることができます。

水回りに関しては北側に一列にまとめられているのでとても使いやすい配置。特に場所の変更をする必要はなさそうですが、トイレは今後車椅子などにも対応できるように広めに作り直すことにしました。トイレとお風呂の間には坪庭があり、そこは風通しも考えてそのまま残すことに。明快なプランは改修もしやすく、まさにサスティナブルなものです。

図面をかいていて気がついたのは、壁が少ないということ。お座敷の西側は押入れと床間、廊下側は引き戸、南側もお茶の間と繋がっているので引き戸、南は縁側です。続き間は何かあれば襖を外して一室の大空間になりますが、通常は6畳の広さなので家具を置くには少し窮屈な配置になってしまいます。応接間や寝室の壁にはお花の水彩画やどこかの国のお土産、お人形などが所狭しと飾られていたのに、長く過ごす場所の続き間には何も飾られていませんでした。

柱と梁でフレームを組む日本の家とは異なり、ヨーロッパなどは石造りで箱のように家を作っているので壁がたくさんあります。だからこそ絵や壁紙など、壁を飾って楽しむ文化が育ちました。日本にも床間を飾る文化はありますが、どちらかというと一点をオブジェのように飾るので多くのものは置けません。

せっかくなら先生がお好きなものを自由に飾ったり、置いたりできる場所を作ってあげたいな、と考えていました。壁があることでその前に家具を置いても様になる。壁を取り払った一室空間もいいものですが、実は壁ってとても大切なんです。

もう一つ気になったのは日本家屋ゆえの寒さ。陽がよく入る南と違って、廊下に一歩出ると急に暗く、寒くなります。特に採寸を行った2月は、北側にいると足の先が痛くなるほどでした。先生の年齢を考えると、部屋の気温差をできるだけ抑えられるよう断熱や暖房をしっかりと考える必要がありそうです。

無事に現況の図面が完成し、金額が大きく変わりそうな補修内容の道筋も見えてきました。下準備はこれで完了。いよいよこの家での先生の暮らしを想像しながら肉付けしていきます。

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