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「ジャスミンの香る部屋づくり」第4話(全9回)

第4話

家全体のインテリアを考えるとき、私はまず寝室から始めます。朝目が覚めて最初に目にするお部屋なので、住む人の行動が1日の時間軸の中で想像できます。加えて寝室はもっともパーソナルな場所なので、その人のことだけを考えればいい。「寝る」「着替えをする」「読書をする」など、そこでの行為を限定しやすいのも(トイレや浴室は別にして)他の部屋にはない特徴です。

先生に伺うと、朝は起きてすぐに着替えをしてからお部屋を出るそうです。長い間働かれていた経験から、身支度を手早く済ませる習慣が抜けないのだそう。さすが先生、メインが在宅ワークであることをいいことに、いつまでもパジャマでふらふらとしている私とはもちろん違います。

ただ今の収納は、押入れの扉を襖から折り戸に変えただけのもので、洋服をかけるには少し使いにくそうです。小物を入れる場所もないので使いづらいとおっしゃっていました。

「それならばスカーフや下着を入れられるようなアンティークのチェストを置くのはいかがでしょうか?お部屋にアンティークがひとつあると新しくなったお部屋でもすぐに雰囲気が出ますし、上にものが置けるので写真たてやお花など飾る場所ができます!」

私はアンティークの家具を少しだけ加えるのが好きで、今までの仕事でもひとつかふたつ、アクセントとしてご提案してきました。中でもチェストは装飾が楽しめる大好きなアイテムです。古い家具できちんとメンテナンスされているものは、引き出しもとても丁寧に作られていて、開け閉めをする感覚だけでも現代の家具にはない特別感があります。

今の家具はレール金物が進化していて、開けた時に奥まで見渡せ、実にスムーズに開けることができます。それに対してアンティークの引き出しはつくりの精度が命。呼吸する木の微妙なサイズ変化にもきちんと対応し、よく見ると角に埃がたまらないようアール(丸み)を持たせて作ったものもあります。職人さんの技術が大切にされ、使う人への想いが実現されている、そんな気持ちのやり取りを引き出しを開け閉めすることで感じられます。

「それはいいわね!それならばこれを飾れるかしら?」
いそいそと寝室に消えた先生が持ってきてくれたのは、大きめの額でした。
「以前イギリスに行った時に買ったアンティークの額なんだけど、大きくてベッドサイドには置けないし、とはいえ脚がついているので壁にもかけられなくてしまってあったの」

見ると年月を経て茶色に変色した真鍮のフレームに、赤いアネモネが描かれた水彩画です。かなり古いものらしく、マットも茶色く変色しています。

「思い出の品だから飾りたいんだけど、とにかくうちには飾る場所がなくて。寝室に置いて、着替えのたびに目に入ったら嬉しいわ。」

「もちろん置けます!横にランプなんかを置いたらとっても素敵ですよ。」

インテリアは決めることが多いので、どこから始めていいのかわからない、という方が多くおられます。でも暮らしの中での自分の行動を見直すことから始めれば、意外にすんなりと改善点が見つかることが多いんです。どんな時にイライラしてるのか、毎日のものの出し入れを楽しいものに変えるにはどうしたらいいか。ルーティン化されている毎朝の着替えが、ちょっと特別なチェストの一番上の引き出しを開けてスカーフを選ぶ、という行為を加えるだけでワクワクしてきます。選んだ後にちょっと視線を上に向けると、思い出深いアネモネの絵が目に入る。

先生がそんな朝を想像してくれているのがわかりました。あとはこのチェストの背景にどんなものがあればいいのか、それだけで寝室は出来上がりです。

その場で先生から額をお借りして、アネモネの赤をカラーサンプルで測りました。濃い赤紫の雄しべを赤い萼(がく)が囲みます。鮮やかな赤に少し黒味を足した深い赤。他にも赤紫や白のアネモネもまとめられ、丸くぽってりとした花瓶に活けられています。人の記憶は不確かで、あるいは私の経験不足ゆえなのか、単純に色名で記憶していると、全く別の色だったということがよくあります。実物を持ち帰れない時には(たとえ使いそうになくても)カラーサンプルで確認する、自分を信用しきれない私の習慣です。

壁の色を選ぶにあたっては、アネモネの赤があることを気に留めておきたいと思いました。もちろん数年後に気が変わり、別の絵をかけることも十分あると思いますし、お部屋とはそういうものです。でも今この瞬間、アネモネの絵を足がかりにお部屋を作るというのは、とても大切なことだと思います。何から始めていいのか、何に自分はこだわっているのかわからない状態で、まずはベッドサイドに置かれたアンティークチェストと、その上にあるアネモネの絵を想像できて、心が動かされた。その経験があれば先に進んでいけます。お部屋の想像の始まりになるのです。

Farrow & Ballはイギリスの塗料メーカーで、歴史的建造物の修繕にも使われる品質の高い塗料です。先生の寝室を落ち着いた空間にするために、壁にはビニルではなくペイントを選びました。色味は落ち着いたナチュラルトーンで、でも少しだけ先生の女性らしさを感じさせるような、あるいはアネモネの赤を拾ってくれるような、赤みをほんの少し加えたいと考えていました。

そんなイメージにぴったりだったのが「Elephant's Breath・ゾウの呼吸」。巨大なグレーの身体に、ほんの少しだけのぞく可愛い舌を連想させます。この色なら先生の眠りを誘ってくれる落ち着いた静けさも、そこにちょっとだけ加えたい先生の女性らしさも受け止めてくれる!と考えたのでした。

ご説明のときにはわかりやすいように、塗装のサンプル、カーテンの生地、アネモネの絵の写真、チェストの木の色などを貼ったものにパースを合わせて、一枚のボードにまとめました。あっさりとしたグレーを背景に、アネモネやアンティークチェストの木に含まれる赤みが呼応しています。静謐さの中に少し血が通ったような雰囲気が伝わるボードに仕上がり、「明るすぎないかしら?」と心配されていた先生にも安心していただけました。

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