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ヒーラーがお伝えする「みんな間違って認識してしまう自己肯定感」を正しく一瞬で確実に高める方法!

自己肯定感が高い人の特徴として、人目を気にしたりすることがなく、人の感情や行動、態度に左右されることがないためメンタルが安定しており、人間関係を楽しむことができる、そのため、人生に対する満足度が高いと感じていらっしゃるとかと思います。

私自身、以前は非常に自己肯定感が低く、人に好かれたい認めてもらいたいという思いが強く、何をやっても常に満足が出来ていませんでした。足りない私は価値が低いとダメ出しばかりをしては、いつかはいつかはと出来る自分になろうと必死で、自分にも人にも非常に頑固だったのです。

すると、認めてほしいがために人に対する欲求も多くなることで、「なぜ、私のことを誰も分かってくれないのだろう」と不平不満が多かったのです。そんな私ですから常に人間関係は上手く噛み合わず、偽善者だの、良い子ぶるななどのことをよく周りから言われることも多かったのですが、それは、「良く見られたい」というエゴが付き纏っていたためでした。

ですが、自己肯定感は人から得るものではなく、自分自身なのだと高次元から教わり深く理解したことで、一気に意識が変容していく中で、自己肯定感は高まっていったのです。高く見積もることもなければ、低く見積もることも無くなったため、常にフラットで在れるようになったことで、人間関係は良好になり、”偽善者”や”良い子ぶるな”などと、言われることが全く無くなり、そして、何よりも引き寄せる人が変わっていった経緯があります。そこで、お役目を担っているヒーラーとして、有料レベルの内容を実践的に活用していただけるようお伝えしていきたいと思います。

ここで質問です。
あなたは自己肯定感がどのくらいだと感じられていますか?

自分は低いなと思う方もいらっしゃるかもしれませんし、自己肯定感は決して低くないんじゃないかと感じている方もいらっしゃるかもしれません。
今回は、今あなたの自己肯定感がどのような状態であった場合でも、さらに確実に自己肯定感を高めていく自己肯定感の正しい高め方もお伝えします。

幸せな人生を実現する上でも、また周りの人と良好な人間関係を築いていく上でも鍵を握るのが、やはりこの自己肯定感なのですが、多くの人が自己肯定感について誤解をしている方が多く、そのため間違ったやり方で自己肯定感を高めようとしている方が非常に多く勿体無いと感じましたので、今回は正しい自己肯定感についてや、自己肯定感を正しく高める、たった一つの効果的な方法を詳しく分かりやすくお伝えできればと思います。知っているよという方も、今一度、ご自身と照らし合わせながら読み進めていただければと思います。

✔️では早速ですが、間違った自己肯定感の上げ方とは何か?

それは「自己肯定によって自己肯定感を高めよう」とすることです。これは逆効果になることが多いのです。

例えば、こんなことをしていませんでしょうか?自分のいいところを見つけて肯定するや、自分のできているところを見つけて自分を褒めるなど、そのように自己肯定することによって高まるものだ誤解されていませんでしょうか。

自分の良いところを見つけようと頑張ってみるも、「自分のいいところが見つからないんですけど、、、」と、そもそも自己肯定感が低い人にとっては非常に難しい事ですので、気持ち的に追い込まれ自己嫌悪になってしまう人が増えてしまうわけです。

このように多くの方が自己肯定感を高めたいと思いながらも、結果的に逆効果となっているのです。なかなか自己肯定感が上がらないと感じていらっしゃいませんでしょうか。

そもそも自己肯定感は高めようとするものではありません。

自己肯定感を高めようとするから苦しくなるのです。なぜならご自身を否定していることになりますので、頑張れば頑張るほど「自己肯定感が高まらない自分はダメだ」と余計に劣等感を感じてしまうからです。

自己肯定感を上げなくては!となると、今のあなたが足りてないといった事を感じていることから上げようとしまうため、その結果、不足の部分を埋めるため足そうとしてしまい、「自己肯定感がある私」「自己肯定感がない私」の2元論の世界で行ったり来たりする生きる方になってしまうのです。

呼び名も自己肯定感ということから、”自己肯定することによって高まるもの”じゃないかと思ってしまいがちですよね。

✔️そこで自己肯定感を正しく理解していただきたく、自己肯定感とは何か?から話をしてまいります。

自己肯定感というのは、「自分が自分である」という確かな感覚や、あるいは、「自分は自分であっていい」という感覚のことです。

自己肯定感を英語では、セルフエスティームと言いますが、このことを自尊感情と訳したり、自尊心と訳したりすることもあることがあります。自尊心という言葉から分かるように、高めるものではなく、自分の心を尊重することことなのです。

つまり、ありのままの自分を存在レベルで受け入れる感覚となります。

例えば、仕事で大きな成果を出したからといって自己肯定感が高まるわけではありませんし、あるいは学業で勉強で優秀な成績を取ったことですとか、難関大学に合格したなど、そういったことでは自己肯定感は高まらないんですね。

もちろん、それで自信がつくことはありますが、肯定感とは関係ありません。仕事はできるけど、自己肯定感が低い人は、たくさんいらっしゃいます。高学歴で自己肯定感が低い人もたくさんいらっしゃいますよね。

自分のいいところを見つけて自分を褒める、自分はこんなことあるから素晴らしい、自分はこんなこともできるから素晴らしいと、自己肯定しても残念ながら自己肯定感は高まりません。

✔️自己肯定感が高まる正しい方法はたった一つ。

それは、自己受容なのです。自己肯定感が確実に高まっていきます。
もっと明確に言うならば、「自分の心を尊重する自己受容」です。

ありのままの自分を受け入れるとはどういうことか。それは自分が感じていることをそのまま受け入れるということです。自分の感情、自分が今感じていること、それに良い悪いの判断を下すことなく、そっくりそのまま受け入れることなのです。

例えば、自分のことが好きじゃない、自分のことが嫌いな場合、そのような方にとって「自分のいいところを見つけて自分を、褒めなさい、自分の長所を見つけて自分を肯定しなさい」と言われること、それは拷問です。なぜなら、「それができないから自分のことが好きじゃないんだ」と、ますます追い込まれていくわけですよね。

このように自己受容は無理して、自分を肯定したりする必要はなく、「私は私のことが好きじゃないんだな、私はこんな自分が嫌なんだよな」と、ありのまま寄り添うことが、これが自己受容なのです。無理して自分のいいところを取ってつけたように、見つける必要がないのです。

まだ、「なんとなくは分かるのだけど、、、」という方もいらっしゃると思いますので、もう少し詳しくお伝えしていきますね。

例えば、子育てで例えてみましょう。

子供が、ありのままの自分を親から受容されると自己肯定感が育ちます。自分の感情、自分が感じてることを受け入れてもらえると自己肯定感が育つのです。

例えば、悲しくて泣いてる時に悲しいんだね、悲しいよね。と言葉をかけてくれると子供はホッとします。

実際よく、親がやってしまうケースがあります。「いつまでも泣いてないで、ほら元気出しなさい!」と励ますつもりで言ってしまうことがあるかと思います。

ですが、そうすると子供は、自分の悲しいという泣きたいという感情が重要されず、自己肯定感が低くなるのです。ですが子供が怖がってる時に、怖いんだね怖いよねって寄り添ってあげると、子供は自分の感情を受容されたと感じます。つまり自分という存在を受容されたという感覚になるのです。これが心を尊重するというであり、「自分は自分であっていい」と感じられ自尊心が育つのです。

ですが、「大丈夫だよ。怖くないあなた臆病者じゃないでしょ」と言うことありませんでしょうか。もしくは子供の頃、あなた自身も言われたことありませんでしょうか?

そうすると、「子供は自分の怖さを受け入れてもらえなかった、、、自分の中にある怖さを無視されてしまった、、、」と感じ受容されないと感じてしまうものなのです。子供が不安がっている時には、まずは「不安なんだね、不安にもなるよね」と寄り添ってあげることなのです。

そうすると子供は、自分という存在を、受け入れられたと感じ、自分が感じていることに対して、「これでいいんだ」と思えるようになるのです。

自分が今、感じてる不安や怖いと言ったことに対して、感じてることに対して、今悲しくて泣いてること、「それでこれでいいんだ」と思えることが、本来の自己肯定感です。

受け入れられたと感じる、それは自分の感情をそのまま受け入れられた時なのです。

子供で例えましたが、ご自身が子供の時にも同じように「こうやりなさい」と言われてきた方にとっては、この受容がされていない為、自己肯定感が低くなってしまっているのです。そして、この需要をしてあげることは大人になってからも同じことなのです。

心の中にある感情を、そのまま言葉にして返してあげる。

まるで鏡になるように返してあげることで自己愛が健全に育つのです。ですが、この写し返しをしてもらえていない場合、自己愛が傷つきやすくなるのです。

これはネガティブなものをネガティブなまま受け入れる力であり、落ち込んでいる子供に対して、そしてあなたご自身に対しても、無理やり変えて元気にさせようとするのではなく、落ち込んでるまま受容するのです。ネガティブなものをネガティブなまま、つまり今ある状態あるがままに受け入れる。

不安な心に対して「不安なんだね。」痛いよって言ってる子に対しては、
「痛いよね。」ってまず言ってあげる。

「不安にならなくていいんだよ大丈夫だよ」と言うと、不安がダメなことなんだと認識されますので、不安にならないようにしなくてはいけないと思ってしまうのです。その他にも、子供が痛かってる時に、痛いねって寄り添う前に、「痛いの痛いの飛んで行け」とよく聞きますが、「本当は痛いよね」って寄り添ってあげると、”痛みを感じてはいけない”とはならずに済むのです。この場合、十分に寄り添った後に、「痛いの痛いの飛んで行け」と、やってあげるのがいいかもしれないですね。

これは、人が人を受容する時に最も必要な力となりますので、子供に限らず大人の私たちにとっても、とても重要な自己受容となります。

その他に見捨てられたと感じることがあります。子供の頃に、すごく傷付いたこととなった事例です。読み書きが苦手だった少年は、読み書きのテストが非常に悪い点数だったある日、そのことが本当に悔しくて、悲しくて、恥ずかしい思いをして帰宅し、泣きながら、それを母親に見せたところ、「そんなにひどい点数ではないよ、それにあなたは他によくできることがいくらでもあるんだから」という言葉でした。

もちろん優しさからではあったのですが、その言葉に彼は非常にショックを受けてしまったのです。

なぜなら「見捨てられた」と感じてしまったのです。彼が感じた悔しさや、悲しさ、恥ずかしさが、まるでないものかのように扱われてしまったと感じたからなのです。

もちろん、この母親に悪気がないことは分かりますよね。

悔しかったね、悲しいね、恥ずかしい思いしたね、と受容してもらいたかったのですが、自分の中の悔しさ、悲しさ、恥ずかしさを感じている自分がまるで存在しないかのように無視されてしまったように感んじ、ショックを受けてしまったんですね。

誰もこのお母さんを責めることはできないのです。お母さんも知らなかったのですから。励まそうとすることや、元気づけようとすること、なんとかすぐに相手をポジティブに変えようとしようとすることが、相手を否定してしまうことになるだなんて思いもしなかったのですから。

ネガティブなままの相手を受け入れることができないため、なんとかすぐに元気づけようとしてしまうのですね。相手からすると「ネガティブな自分じゃ受け入れてもらえないんだ」と感じるようになってしまうんですね。

ただ、このような場合もあるともいます。例えば、支度を早く済ませたいや、早く泣き止んでほしい気持ちから、彼の気持ちに寄り添ってあげれていないという事です。

ここまでの話を聞いて、お子さんのいらっしゃる方、もしもこのようなことを言ってしまっていたとしても、ご自分を決して責めないでくださいね。ご自身もそうやって育てられてきたのです。今、それに気付けばそれで良いのです。

このように寄り添ってあげると自己肯定感が育ちます。それを自分で自分にしてあげることが自己受容なのです。

悲しんでいる時に、「あー私は今悲しいんだな、そりゃ悲しくなるよな、悲しんでいいんだよ」と、自分に囁きかけ、そして自分で悲しんでる自分に寄り添い、悲しんでる自分の隣に座って、悲しみを一緒に静かに味わうような、そんなイメージです。

ありのままの自分をそっくり認めるとなった時の注意点がもう一つあります。

それは、自分のことを好きじゃない自分を認めなくてはいけない、受け入れなければいけないと言ったように、思ってしまうことです。受け入れる必要はなく、「ただそうであるだけ」と言ったように見つめるだけなのです。

では嫌いなままなのか?と言った疑問も生まれてくるかと思いますが、そうではありません。先ほどからご説明してきたことを徐々に始めていき、自己受容が深まっていくと、最終的に自分のことを自然に好きになっていきます。もっと正確に言うと嫌いな自分のことを気にしなくなっているのです。

ここで質問ですが。

皆さんにとって、あらゆる人間関係の中で、一番重要な人間関係は誰と
の関係でしょうか。

そうです。

あらゆる人間関係の中で、最も重要な人間関係は自分との関係です。自分との関係ができていないと、人との関係も築けるはずがありませんよね。ですが、自分との関係より、人とどうしたら上手くやっていけるかなど、つい自分より人のことばかり考えてしまうのです。その為、人のことが気になり、なかなか自己受容ができないといったことにも陥ってしまう原因です。

さらにここで重要なポイントが、自分との関係を築いていく時に、自分に対して受容的なのか、それとも手厳しいのかによって大きく変わってきます。

もしも、自分に手厳しい場合、何かにつけ、「こんな自分じゃダメだ」とか、「こんな自分は恥ずかしい」とか、「こんな自分は情けない」など思いってしまいますので、自分との関係はあまり良くないかと思います。

昔の私が、まさにこのように、自分に厳しく、人の目が気になって仕方ありませんでした。人からの評価が、とても気になってしまい、人と自分を比較してばかりでしたので、比べて劣等感を感じたり、比べて優越感を感じていたり、この劣等感と優越感の間を行ったり来たりと、安らげない人生になっていました。人の言葉や態度でも傷つきやすかったので、プライドが傷付くことで、プライドが高くなってしまうのです。人間関係でも疲れていました。相手が自分の思い通りにならない時、受け入れられず、相手をコントロールしようとしてしまい常に不足感を感じていたのです。

逆に自分に対して受容的であり、どんな時の自分もありのままに受け入れることができているとしたら、自分との関係が素晴らしく良いということになります。

逆に自己肯定感が高まってくると自分も大切に相手も大切にできるようになり、自尊心が高まるとともに相手のあり方を尊重したり、相手と自分の違いを尊重したりできるようになります。

ここで、自分との関係がいかに重要なのかについて、例を挙げてお話ししたいと思います。

例えば、3人の娘さんを持つ母親が、三女だけには厳しくなってしまうと悩んでいたとします。長女次女は比較的、のびのび育てることができているが、なぜか三女については過敏になってしまいやすく、三女に対してはつい言い過ぎてしまう。

その結果、三女はとても自信のない子になってしまい、どうしたらいいかと思い悩んでいたところ、実はその三女だけ性格が母親にそっくりだったため、キツくなってしまっていたのです。

長女、次女は外交的な性格だけれども三女は母親に似て、非常に内向的な性格だってため、実は厳しくなっていたのは、ご自身が内向的な自分を受け入れてなかったためであり、「内向的な自分はダメだと、自分はもっと外交的にならなきゃいけない」と、自分のことを受容できてなかったんですね。

なので自分そっくりの三女を受け入れることができなかったわけです。このように自己受容は他人に対する感情も比例しているのです。

✔️ここで自己肯定感の低い人が必ずと言っていいほど、人の評価ばかりを気にしてしまうようになってしまった理由を、人間の3つの特徴からご説明したいと思います。

行動、所有、在るの3つです。
行動というのは行為であり、「していること」です。

例えば、子供がいい子にしている、わがままを言っている。
勉強を頑張っている、勉強を頑張っていない。
自分は今仕事を頑張っている、仕事を頑張っていないのも、そのどちらも行動となります。自分の行為のことになります。

所有というのは、「手に入れたもの、あるいは元々持っている」もの。

例えば、仕事で出した実績や勉強の成績、あるいは、その結果、手に入れたポジションや地位、テストの点数など。影響力やスキルや技術技能など、これも所有です。もともと持っている才能のことも持ち合わせたものです

在るとは、自分の「存在そのもの」のことです。

何をしていようがしていまいが、何を持っていようが持っていまいが、今自分が存在しているそのもののこと命。

先ほど自己受容、それは、ありのままの自分を受け入れるということだってお伝えしました。ありのままの自分を受け入れるとはどういうことか。それは、自分の「在る」である存在を受け入れるということなのです。

行動、所有に対して褒めることは、自己肯定感を養うのには逆効果なのです。例えば、子供に対して、頑張ってるね勉強頑張ってて偉いねとかね、いい子にできて偉いね、そのように「していること」を褒めることや、「テストで100点取ったんだすごいね」「かけっこで一等賞だったねすごいね」など、100点とか一等賞は所有ですよね。

一見、これは何も問題が内容に思われると思いますが、このように行動や所有を褒めれば褒めるほど、子供の自己肯定感は薄くなっていくのです。

なぜなら結果的に、人の評価ばかりを気にするようになってしまうからなのです。評価されることによって褒められるわけです。行動や所有を評価されることによって、人は褒められるわけです。ですので、そうやって褒められれば褒められるほど行動思考、所有思考になっていき、人の評価を気にするようになるのです。

そして、褒められる自分でないと価値がない。と思うようになり、まさに自己肯定感は下がっていくってことになるのです。

例えば、親が子供に対して、この行動や所有で褒めていると、子供は最終的に不安になっていくのです。行動や所有で評価すると、「いい子にしてるから素晴らしいね」「100点取ったから、かけっこで1等車を取ったから、すごいね」。このように行動や所有で褒めるのは、条件付きになるのです。

そうすると、存在そのものが不安になってくるのです。

それは、常に条件をクリアしていかなきゃいけないんじゃないか、常に褒められるような自分じゃないといけないんじゃないかと、不安になるのです。結果、行動、所有ばかりに焦点が当たってしまい、ありのままがなくなっていってしまうのです。

冒頭からお伝えてしてきたように、自分のいいところを見つけて褒める、出来ることを褒めることは、このような理由から自己肯定感がむしろ下がってしまうものなのです。焦点を当てれば出るほど、「在る」が空っぽになっていくため、「在る」が不安になっていくのです。行動や所有において、自分のいいところを見つけて、自分を褒めても、自分の「在る」である、「あるがまま」がちっとも安心できないのです。

自己受容ができるようになればなるほど、他者需要もできるようになるので人間関係が楽になります。何よりも身近な人とお互いがハッピーな人間関係を築いていけるようになります。

自己受容が深まっていくと、自分にとって身近な人を尊敬できるようにもなりますので、これまで尊敬できないと思っていた人に対しても、見方が変わることもあります。例えば、結婚してる人の場合、あなたのパートナーを尊敬するようになることもあるのです。

ただ、「私はダメな人間だけど、夫は素晴らしい人」「私はダメだけど、妻のことは尊敬してます」と言うのは、健康的ではありません。これは自己肯定感が低いがゆえになります。自分を低く見ているから相手が素晴らしく見てしまう。自分のことを大事にできる人は、本当の意味でパートナーを心から尊敬し、パートナーもあなたを尊敬します。

まとめ

自分のできているところや、いいところや、長所などを見つけてそれを肯定しようとたり、そこを自分で褒めたり、そういったことをしても、一時的に気持ちが上向いたり、一時的な自信がつくことはありますが、正しい自己肯定感というのは、そういった一時的な自信とは全く違うものなのです。その場合、自信が上がったり下がったりしますので、安定しないのです。

それに対して、自己肯定感は、あるレベルまで到達した自己肯定感というのは、落ち込むことはあっても、自己肯定感は落ちませんし、変動しないものとなります。なぜなら、失敗や、上手くいかないといったことなども、自分の価値とは、何も関係がないと思えるようになりますので、下がることがないのです。

間違った解釈に基づいて、自分を肯定しようとして自己肯定感を高めようと言ったことや、自分のいいところを見つけよう、自分を褒めようとしないことです。

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