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不惑にして化粧に恍惚を覚ゆ

40歳、不惑の歳になって突然、化粧の楽しみ方がわかった。

「不惑」みたいな、動じない感じではない。「恍惚」だ。メイクの恍惚の中に身を浸して、ダメになってしまいそうだ。

10代は子どもだった。20代からの20年間は、自分の受けた傷から立ち直るのにアップアップしていた。ふと気づいたら鏡の中に、傷から立ち直りたてほやほやの40歳のおばさんがいた。

ゆるむ顎のライン、下がるまぶた、なかなか消えなくなったほうれい線、以前はなかったはずの眉間の薄い縦ジワ、増えてくるシミ。

それ自体は気持ちがいいかといったら嘘になるけど、そうした肉や皮膚の様相は、私がそこそこ生きてきたからこそ刻まれるもので、10代や20代のオンナノコには逆に、逆立ちしたって手に入るものじゃない。それが実は少しだけ嬉しい。まごうかたなき「おばさん」だから出せる上品さ、芯の強さ、知的さ、清潔さがあるはずだ。

雑誌や書籍のメイク情報のどれが自分向きで、どれが自分向きでないのか、以前はただアップアップしていたからわからなかった。けれど今の私は、自分に向けられたものだけに決然と手を伸ばして受け取ることができる。

私はメイクを通して、「若く見えたい」とは思わない。ただ、「若々しく見えたい」。若々しいとは、はつらつとしていることだ。若々しくて、さらに清潔感があったら最高。それが、日常の装いの文脈の中で「美しい」ということだと思う。

ついているかいないんだか心もとない、ごく控えめな色味のベージュのシャドウ。40歳の私の肌にそっと載せたらこんなにも深い陰影を出してくれるなんて、20代の私も、39歳の私も想像さえしなかった。いくつも濃い色を重ねて目の大きさを強調する必要なんてない、さっとひとつだけ陰影をかければいい。マスカラだってアイラインだって、上まぶたにつけたら下まぶたなんてそっけなく放っておいたほうが、かえってピュアで清潔に見える。

いまの私がこれにリップカラーを合わせるなら、ほんの少しだけまろやかな血色感をくれるベージュピンクだ。可愛いコーラルやピンクでも、健康的なオレンジでもなく、モードなレッドやブラウンでもなく。そして質感はグロッシーでもシアーでもなく、セミマットだ。セミマットの質感の持つ、少し憂いのある上品さはなんともいえない。

私は、ベージュのシャドウと、ベージュピンクのセミマットリップのおかげで、どうして世の中では毎年毎年飽きもせずに無数の新しいメイクアップ化粧品が作られるのか、信じられないほどの数のシャドウやリップを買い集める人がいるのかを初めて理解した。その色、その質感にしか表現できない影や光や世界観があるのだ。

しばらくは、いまの自分を最も美しく見せてくれるベージュと毎日を過ごすだろう。でも、ときどきは真っ赤なリップを引いたっていいし、目尻にターコイズのラインを入れたっていい、眉やまぶたにピンクのシャドウでニュアンスを加えてもいいのだ。普段着として溺愛するナチュラルメイクと、純粋にメイクやおしゃれを楽しむためのメイクは違うことも、私は知った。

不惑にして化粧に恍惚を覚ゆ。


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