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安心したとき、僕らは温かい涙を流す

生きづら系ライター仲間のアマダユタカさんが、こんな記事を書いた。

彼の文章の言葉の流れは本当に綺麗。でも、綺麗なだけじゃないんだ。本当のことを本当なままに書いている。それが、彼とどこか共通点のあるものを背負いながら生きてきた私にはわかる。

(自分の中の幼い自分を受け容れ慰めるような)この言葉を自分の中で紡いだ瞬間、なぜか涙が止まらなくなった。それは外傷記憶やそれに伴う感情が喚起されたときのような辛く痛いものではなく、明らかな温みを持っていた。

そう、そうなんだよ、それなんだよ。

人って、悲しみや恐怖、不安から解放されたときにも泣けるんだ、しかも、そのときの涙はなぜか温かいんだ。身体の奥にずっと眠っていた氷が、春の太陽に照らされて緩み、融けだすような、それが涙のしずくになって目から滴りおちるような温かさなんだ。

私たちはたぶん、こうして自分の中に眠る深い傷に触れようとするまで、「涙とはすべて冷たくて痛くて辛(から)いものだ」と思っていたから、こういう、「温かくて甘い涙もある」ということが驚きになる。

アマダさんの言葉に打たれたまま、日本を徒歩で走破するチャレンジか何かしている人の番組を上の空で見ていたら、「服が雨を吸って重たくなり、体力を奪う」というナレーションをきっかけにフラッシュバックに襲われた。

小学校1年生ぐらいのころだった。クラスメートのうちで遊んでいたら、急に雷鳴が聞こえてきた。ぐずぐずしているうちに空が真っ暗になって、そのうちのお母さんが慌てて「急いで帰りなさい」と言うので、私は不安のなか帰路についた。

近所といっても、子どもの足で15分か20分かかるような距離だ。出たときにぽつぽつと数粒降ってきていた大粒の雨は、私が道半ばまで進むころにはバケツを何杯もひっくり返したような冷たい豪雨となった。

半分来てしまったところだから、もうこのまま頑張って帰るしかない。傘はもともと持っていなかったような記憶だが、持っていたとしてもまったく役に立たなかっただろう。初夏か晩夏の時期で、私はしっかりしたトレーナーのような生地のスカートを履いていたのだけれど、それが刻々と水を吸って冷たく重くなる。容赦なく顔をしたたり落ちる雨水は溺れてしまいそうなほどで、もう一歩も進めないほどの気持ちになった。

喉が氷を押し込まれたかのようにギュッと締まってしまい、泣くことはおろか、まともな呼吸をすることもできない。絶望的な気持ちでそれでも一歩ずつ進み、家の手前の大きな長い下り坂にさしかかったときに、雨で霞む視界の向こうに人影が見えた気がした。

その影が祖母と伯父の姿だと気づいた瞬間、私はその場に膝から崩れ落ち、声をあげて泣いた。祖母と伯父が駆け寄る。

全身濡れねずみで伯父に抱きかかえられ、「氷みたいに冷たい、このままでいいから早くシャワーを浴びなさい」と言われて、服を着たまま頭から熱いシャワーを浴びた瞬間、再び大きな声をあげて泣いた。身体がみるみる温まっていって、「助かった」と実感した。

いま思い返してみて気づいた。あのときに私を凍らせたものは恐怖と不安であり、私を温もらせたものは、安心と癒やしだったのだ。てっきり今まで、シャワーの温度だとばかり思っていた。

アマダさんは、どこまでも本当のことを書いている。安心したとき、僕らは温かい涙を流すのだ。

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