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トランプを熱狂的に支持する陰謀論者「Qanon」についての考察 ―彼らはなぜトランプを信奉するのか

最近、「Qanon(Qアノン)」という、陰謀論をとなえる人たちのことが(多くは「極右」など批判的な形で)話題にされている。ずっと気になっていて、やっと関連の動画やツイートを見たので、考えたことを少し記しておきたい。

Wikipediaで申し訳ないが、Qanonの基本的な解説については以下を参照してもらいたい。

私が参照したのは、アメリカ合衆国を中心に英語で広がっているQanon関連の情報を日本語で発信しているEriさんという方のこのツリー。特にツリー最上部に置かれている動画をゆっくり見た。

ほかに、Qanonがよくキーワードとして挙げる「児童人身売買」「児童性的虐待」「悪魔崇拝」といった言葉でYouTube検索して出てくるいくつかの動画。

Qanonのコアにいる人たちの主張

ひととおり見てみて、Qanonのコアにいる人たちの主張は比較的シンプルだなと思った。私が汲み取った主張は以下の2つ。

1.善良だと皆が思っているアメリカの政治家やセレブはだいたい犯罪者としての裏の顔があり、児童に対し性的な搾取を行っている。マスコミや公的機関もみんなグル
→「ディープステート」と表現される。日本語で言うと「地下合衆国」といった趣

2.情報化社会がディープステートの尻尾を掴みつつある。近いうちに彼らは逮捕され駆逐され、すべての民衆が、いま見させられている悪夢から目覚めるだろう
→「大覚醒」と表現される。

意外に思ったのが、Qanonの全員が「トランプの熱狂的支持者」なわけではない、ということだ。Qanonのうち、「大覚醒」をかなえる新しい救世主としてトランプを信奉する人たちが、トランプへの熱狂的支持を示すのだ。

Qanonの主張に対して思ったこと

上記のQanonの主張に対して私が思ったのは、「まあ、そういうことも十分ありうるよね」ということだった。

私には親族にサイコパス(と思われる人)がいて、その者の悪意にさらされて育った。だから「表面的には非常に善良に見え、有能で、富や権力を得る人が実は人としての良心を欠く冷酷無道な犯罪者である」というストーリーには、「あるある」と思ってしまう。

私はカトリックの信徒だが、カトリックの聖職者たちが子どもたちにどれだけひどい性加害を、どれだけたくさん行ってきたのかよく知っている。教会組織がそれらの性犯罪を隠蔽しようとしたり、調査から逃げ回ったりしてきた経緯も知っている。

その意味で、カトリック教会という組織にはとことん失望しているし、あまりのことに脱会しようかと思うほどだ(実際に同じ理由で、欧米ではカトリックから改宗する人が増えているらしい)。そういった理由でも、「権力者には裏の顔がある」という話には「実際にあるだろうね」という感想しかない。

情報化社会が「彼ら」の尻尾を掴みはじめた、という話にも、単純にそうだろうねと感じる。

ただ、これは今は単に「そうかもしれない」という話であって、すでに実際にアメリカの政治家の多くがどんどん逮捕されている、という話ではない。今の時点では、「信じるか信じないか」の態度しかとれないのだ。私が実際にディープステートからの被害を訴える人と深く接し、その人の主張が事実だと証明・確信される現場に立ち会ったことのあるような人間であるなら別だが。

ここで私がどうしたかと言えば、「もしこの話が本当だったならいずれ必ず『大覚醒』のときは来るのだから、それを黙々と待とうではないか」と決めただけだった(あと、この記事を書いている)。

Qanonの陰謀論は「利用・消費されている」

Eriさんのツリーを見ていて気になったのが、Qanonの陰謀論の「消費されっぷり」だ。もともとのQanonのコアにいる人たちとは主張も思惑も微妙に異なった人たちが、Qanonの陰謀論を利用しているように思える。

たとえば、自分は特別だと思いたい人たちが、「あーら私以外の人たちはまだ覚醒してないのね、プークスクス」と、他者にマウントをとる目的でQanonの主張を利用する。

たとえば、反ワクチン主義の人たちが、「ディープステートが新型コロナを利用して多くの人にワクチンを接種して、そのワクチンに民衆監視目的の何かを紛れ込ませるつもりだ」とか、「ワクチン作成に中絶された胎児の体組織が使われている」という噂をかぶせてくる。

ニューエイジの潮流にある、アセンション(意識の次元の上昇)とかを重視するスピリチュアル系の人たちが、「大覚醒」のイメージに乗っかる。

(自分のような)福音派の金持ちな白人男性トランプにアメリカを支配してほしい人たちが、「彼は本当は今までにないような人道的な人なんだ」と内外に喧伝するために、Qanonの陰謀論を根拠とする。

小さな声を世の中に届かせようとする活動は、往々にしてこのように、少しズレた思惑を持った人たちに利用・消費され、本当の当事者を置いてきぼりにする

こちらは英語記事だが、実際の性的人身売買のサバイバーが、「Qanonは実際の性的人身売買被害者の意見を抑圧している」と語っている。実際と異なった情報を大量に拡散するQanonに対し、当事者として「事実と違う」と訂正しようとしたところ、攻撃を受けたという。

もともとの主張はシンプルで平和的なものであったとしても、ネット社会で拡散しつづけたとき、どうも元の目的から乖離し、当事者を無視した非生産的で攻撃的なやりとりに終止してしまう。そしてその状況に絶望した、良心的な人は沈黙するようになる。結果、声が大きくてアンバランスな主張ばかりがネット上に目立つようになる…… 私はこうした現象を、日本のフェミニズムや、障害者・経済的困窮者支援の文脈でも目撃してきた。

Qanonは、どこまでも「アメリカ的」

思ったのは、Qanon、特にそのうちの熱狂的トランプ支持者はどこまでも「アメリカ的」だということだ。

ここに着目する人は多くはないのだが、アメリカ合衆国は非常に宗教的に特殊な国だ。あれほどガチガチなプロテスタント立国で生まれた国は世界においてほかにない。資本主義下にある我々は、宗教的に非常に特殊な国であるアメリカ合衆国のリードするグローバリズムに巻き込まれつづけているために、この状況がいかに特殊であるかに気づきにくい。

アメリカ合衆国は、熱心なプロテスタント宣教師たちにとって、信仰の結果として与えられるはずの「約束の地」として始まった。そしてその歴史は現在までたかだか250年ほどの短いものだ。(特に国の上層部に多い福音派の)アメリカ国民にとって、愛国心は彼らの宗教心と強く結びついているところがある。

とてもとてもキリスト教的な彼らは、(私には思えないが、彼らにとって)キリストを思わせる男性であるトランプが「Make America Great Again」とか言うと、もう胸の芯に火がボッと灯るような感じがするのではないか。私たちの約束の地であるこの美しいアメリカはきっと復活する、キリストが一度倒れて復活したのと同じように、この現代のキリストとも言うべき、周囲から要らぬそしりを受けるメシアとしての男、トランプの手によって…… といったような。

私は頑張って聖書を通読したが、特にプロテスタントが重視する旧約聖書は、(特にモーセ五書のあたりは)2000年程度昔のユダヤ人の家父長的民族社会を維持発展させるための「ユダヤ人ならこう振る舞え」というルールの提示とか「大丈夫、我々は神に選ばれた民だから」みたいな鼓舞でできている書物だと感じた。

カトリック信徒である私が言うのもなんだが、キリスト教の根底にあるストーリーって実はこういう、けっこう稚拙で泥臭く保守的なものだ。あれから2000年もの時間が流れたのに、稚拙で泥臭く保守的な宗教的ストーリーを今でも地で信じ、2000年前当時とほぼ同じ感覚で鼓舞されたり戦ったりしている、非常に宗教的な国がアメリカなのだ。このアメリカの単純な宗教性に、Qanonのシンプルな陰謀論がピタッとハマった結果が今だと感じる。

陰謀論の拡散を下支えする、ヒトの心理的しくみ

陰謀論を信じはじめると、すべての「納得できなかったこと」が陰謀に帰結されるように見えてきて、すごくすっきりする。「この世のひどいことはすべて陰謀だ、そしてそのうちそれは暴かれ皆が救われるのだ」と信じたら、脳みその省エネになるし、鼓舞されるし、安心するし、自分だけはこの世の真実を知っているのだと感じられて自己価値も上がったように感じる。陰謀論は多くの心理的葛藤を解消してくれる。

だから陰謀論に惹かれる人がたくさんいるのではないか。陰謀論はある面で人の心を救う。この意味では、陰謀論は思想というよりも宗教に近い。

※特に私はQanonの陰謀論には、アルマゲドン思想やメシア思想、千年王国思想といったような、ゾロアスター系の異教要素を感じる。そもそもキリスト教自体が、ゾロアスター系の異教要素を多分に取り込みながら発展してきた。原罪とか失楽園の話もゾロアスター系の異教の影響をもとに語られてきたと言われている。キリスト教のうち特に福音派は、このドラマチックな異教要素をより強調しながら勢力を伸ばしてきた。

心理的葛藤を解消するために人の心に備えられている防御体制のことを、防衛機制という。人の脳は高度に発達しすぎていて、長期間続く曖昧な状況とか、理不尽な不幸とかをそのまま受け止めるのには耐えられない。だから省エネのために、一見合理的に見える、こじつけた単純な理屈に飛びついてしまうことがある。

陰謀論にも関係しているであろう防衛機制のひとつに、「公正世界仮説」がある。

公正世界仮説はこのようにできている。「世界は公正にできているはずだ、公正にできていなければいけない。だから、世の中で不公正な出来事が起きたときには、それが世界が不公正なせいで起きたのではなく、不公正な出来事にみまわれた人に責任がある」

たとえば、不幸な事故や病気にみまわれた人に「神の試練なのだ」と言う。
誰かの貧困を自己責任だと主張する。
誰かの病気を心がけのせいだと責める。あるいは食べ物が悪かったからこの健康食を食べれば治るとすすめる。
大きな災害を「神罰だ」とする。あるいは「陰謀だ」とする。

……身の回りでいくらでも例を思いつく。弱者を苦しめる理不尽な自己責任論やカルト宗教は、だいたいこの公正世界仮説によるもののように感じる。

防衛機制とともに生きる

防衛機制は、高度な精神活動ができるようになったヒトが否応なしに持ってしまったバグだ。防衛機制の発動なしに人は生きられない。

だから私は、できるだけ多くの瞬間に、自分の心で起こっていることに自覚的でありたいと思う。カミサマがいつかこのバグを修正してくれる、遠い未来の日までは。

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