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あえて出来事を書かない日記

あけましておめでとうございます。今年最初の投稿です。



最近,私は日記を書かなくなってきた。毎日書くということが私には難しく感じるからだ。久々に日記帳を開いてみたが,見返しても書いていない日が多かった。

その中には,「楽しかった」「寂しかった」とだけ書かれた日のほか,「いろいろ書きたいが,あえて省略する」と書かれた日がいくつもあった。今見ると,この謎めいた書き方が何を意味していたのかまったく検討がつかない。


今も日記は毎日書きたいと思っているが,なぜか気力をうしない書けなくなる。毎日書くべきだが,そもそも苦手なのでどうしようもない。しかし,「あえて省略する」という言葉を書けば,わざわざ細かく書く必要がなくなるのである。


「あえて省略する」という文句は,もともとは無意識に使いはじめた。いろんな感情が複雑に絡み合っていて何を書けばいいかわからないときによく使った。もちろん,「いろいろ書きたい」ということにかわりはない。ただ,細かく書くことが苦手なので,いつしか常套手段となって乱用しはじめたのである。

当然,あとで読み返しても当時の感情しか伝わらず何があったのか明確に読み取れない。

例えば,私がスキーに出かけた日には,「疲れたが楽しかった」としか書かれておらず,"スキー"の一言すら書いていなかった。これはさすがにひどすぎると思う。

いつの間にかネガティブな側面を書いてしまったが,もちろん利点はある。あえて省略することによって,読み返したときの想像に委ねることができるということだ。非常に不安定な書き方かもしれないが,とても有効な書き方だと思う。


あまり私は「あえて省略する」という言葉を意識的に使ったことがない。しかし,実際に有効活用するととても書きやすいことがわかる。

日記の目的は人それぞれだろうが,読み返すことに何の意味があるというのか。私の場合はおそらく当時の気持ちを思い出すために読み返しているのだろうと思う。何となく日記帳を開いて「戻りないなぁ」とか感じたりする。

当時の気持ちを思い出すだけなら,あえて省略する書き方をおすすめしたい。

具体的に言えば,そのとき見たものや聞いたこと,天候や時間帯などを一切書かないという方法である。もちろん,一部だけ書いてはしょっていい。

一部だけを省いても例えば,「美術館へ行った。ある作品の世界に引き込まれた」などと短い文で書くとよい。「ある作品」の特徴などは省いている。
(私なら「美術館へ行ったが,あえて省略する」と書くだろう......)


この書き方は想像力を要するのかもしれないが,逆に想像力を養うことになるのではないか。端的に言えば,日記に書かれた"感情"を読んで"五感"を思い出す際に想像することになる。「"五感"から"感情"」よりも「"感情"から"五感"」のほうが想像力が使われるはずだ。

いろんな意味で"五感"と"感情"は対峙していると言える。

余談だが,"感情"を口に出すと覚えやすいとか,テレビで聞いたことがある。記憶というと"五感"で読み取る力が重視される。しかし,"感情"を交えることによってそれ自体を記憶に残すことができる。そのため,どう感じたかということが"五感"を引き出すきっかけになり得るということである。

正直私は記憶力が乏しい。だからこそ,"感情"をより多く記憶に残すのが良いのかもしれない。というかそもそも記憶力が乏しい私がテレビで聞いたという,ほんのうろ覚えなので,効果があるとはとても疑わしい......



余談のことは多分聞き間違いです。

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