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第1回  『春』

割引あり

長き冬去りて、春来る…


暖かくなってきて、体調がだいぶ良くなってきた。


今年1月、「うつ状態」と診断され、仕事を休職した。
その頃は、ひどかった。
飯は食えない。風呂にも入れない。


何より、人付き合いがとにかく苦痛だった。
ちょっとしたLINEを返すのにも、1日かかる始末だった。
あげく、通知音が怖くなって、スマホをずっとお休みモードに設定していた。

しかし最近、人付き合いができるようになってきた。
むしろ人付き合いが楽しく、自分から人を誘うようになってきた。


そうして人と楽しそうに話をしていると、
中には「躁状態なんじゃないだろうか」と心配してくれる人もいる。


その心配は、半分は合っている。


体調が良くなり始めてすぐの頃は、とにかくじっとしていられなかった。
その頃は手がずっと震えていたし、ケアレスミスが今まででは考えられぬほど多くなっていた。

主治医の先生に相談したところ、やはり「躁状態の疑いがある」ということで、「屯服薬」なる薬を処方してもらった。


だが一方でその心配は、半分は完全に的外れである。


うつ状態による休職を挟んで、私はある部分で180度正反対の人間になっている。

落葉

私は3月末に生まれた。

予定日から20日も早く生まれたそうで、体は小さかったそうだ。


だから幼稚園に入った時、周りはみんな自分よりはるかに大きかった。


幼稚園の頃の私は、とにかく物わかりが悪かった。

5歳になるまで、文字も書けなかったそうだ。

今でもはっきり、覚えている。

当時、泥だんこを作るのが流行っていた。

皆がいかにピカピカで真球に近いどろだんごを作れるか競っている時、
私はそもそも泥だんごがどうやってできるかすら理解できなかった。

文字通り、1から10まで理解できなかった。
「泥をこねる」ということすら、理解できなかった。


そんなだから、当然いじめられた。


先生にもいじめられた。


うちの幼稚園にはスタンプラリーのような手帳があり、
登園した日付のところにシールを貼るという習慣があったのだが、
幼い私はそれも全く理解できていなかった。

1ヵ月分全くシールを貼っておらず、
その後先生に促されてシールを貼ったのだが、
登園日でない土曜日曜にまでシールを貼ってしまった。

そうしたら先生が、私の手帳を高く掲げて、クラス全員に聞こえるように、
「この子は土曜日曜も幼稚園に来るらしい」といった。

私はクラスの笑いものになった。


その後、暗い倉庫で、先生に睨まれながら、1ヵ月分のシールを登園した日にだけ貼っていった。

泣きながら。


当時は、「3月生まれは不利」という、今では広く知られた認識は、存在していなかった。


余談だが、後年その先生に私と全く同じ誕生日の子どもが生まれたらしい。

そして、私の母と偶然会った際、私にしたことを謝罪したそうだ。


まあ要するに、私が初めて触れた「社会」というものは、敵だらけだったのである。

厳冬

そんなわけで私は、人付き合いをしない人間になった。

「しない」というのは大げさかもしれない。
誰かと遊びに行くことくらいは、たまにはしていた。

だが、自分から誰かを誘って何かをした事は、頑張って思い出してみても片手で数えるほどしかない。
母にも頑張って思い出してみてもらったが、1回だった。


心の底では、自分に友人など1人もいないと思っていた。
もし人それぞれの人生をドラマに例えるなら、
私は誰の人生においても端役に過ぎないと思っていた。

大学時代、結婚を考えていた彼女と別れた時は、誰に対しても「笑い話」としてしか話せなかった。
本当は泣きたかったのだが、泣けたのは母の前だけであった。


その態度は当然、大学を卒業し就職しても変わらない。

同僚とは、人事評価を奪い合う「敵」だと思っていた。

上司は、私の食い扶持を人質にとった「敵」だと思っていた。

高校、大学からの知り合いも、互いの栄達、要は年収を競い合う「敵」だと思っていた。


そういうわけで、私は約30年の人生を孤軍奮闘してきたのである。

そしてこの1月、奮闘虚しく病に倒れた。

雪解け

うつ状態の症状に苦しむ1月末、会社の同僚の結婚式に招待されていた。


正直、行きたくはなかった。


これが初めての冠婚葬祭で、体が動かず給料ももらえない中で礼服の用意をしなければならなかったのもあるが、
それよりも参列者たちの反応が怖かった。

端的にいえば、「面倒くさがられる」と思ったのだ。


それまで私は両親を含めて誰にも、うつ状態で休職したことを告白していなかった。

だが、参列者には同じ部署の同僚がいるので、当然休職の事は知られている。

もし私が逆の立場だったら、休職者本人には休職の話題は振らず、
それ以外の面々で「あいつ休職したらしいぞ」と陰口を言うだろうと考えた。


だから、行きたくなかった。

だが、ここを逃すといよいよ社会復帰の機会がなくなってしまうと思い、這うようにして結婚式に行った。


式場に着いたら、同じ部署の同僚が、開口一番「なに休職してんだよ」といってきた。

あまりこういう表現は好きではないが、
「なに休職してんだよ(笑)」という方がニュアンスが近い。


この時、陽が差した。


そこから皆、私の体調について、遠慮なく色々と質問をしてきた。
そして心配してくれた。

参列者の中には、だいたい月に1回一緒にサウナに行くものがいたのだが、
彼は「自然を楽しめば気分も晴れるだろうから、次は山に登るのはどうだろうか」と提案してくれた。


どうやら私が敵だらけだと思っていた社会は、味方だらけだったようだ。


それから私は人を頼るようになった。

自分から人を遊びに誘うようになった。

飯屋でも、美容院でも、遠慮なく細かく注文をつけるようになった。


また、人に優しくなった。

細かい話はまた後で書くが、人生で初めて自分がしたことで人に嬉し涙を流してもらった。

長き冬去りて、春来る…


わたしは今、生まれて初めて経験するその陽気に、ただただ心躍るばかりである。


以上

ツッコミ

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
以下、有料部分となります。

今回の有料部分は、ツッコミです。

最初に書いておくべきことでしたが、この文章の形式は「フリップ芸」となっております

ここまでの記載がフリップで、それに対して以下で私がツッコミます。

一発でバシッと決めますので、安心してご購入ください。
(引用とか次回予告とかで文字数は多くなってますが、ツッコミ自体は30字くらいです)


それでは改めまして、僭越ながらツッコませていただきます。

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149字

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