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ソマン⑧~生まれ変わる~

大雨に降られずコロドンパに着いたものの、長居せずに帰ろうということで、それぞれが瞑想や祈りを終えた後、帰路についた。

期待していた水流は小さな水溜りになっていて、昼食用に持ってきたマギー(インスタントラーメン)を調理することができなかったことも、帰宅の理由である。

山の上でも、ゆっくりおおらかに飛んでいる黒い大鳥を見た。
この鳥は、下山まで時々様子を見に来てくれた。

来る時には寄り道せずにまっすぐ来たので、
帰りはスルーしてきたポイントで時々止まる。
必ずしも祠や洞窟があるわけではなく、道に現れる1本の木にいわれがあったり、
谷の反対側の山並みの向こうがチベットだったり、
近くにそびえてはいるが登るのが難しい、険しい山の聖地だったりした。

アマチュンはメメ(おじいさん)とよく話して、物語を沢山聴いていた。
それでも細かい所はよく分からないという。
マナリにある僧院から派遣されてきているナコ僧院に勤めるお坊さんなら、きっとよく知っているだろうと言っていた。
ナコのラマ、ソマンリンポチェも、マナリの僧院に暮らしているそうだ。

コロドンパから出発する時にも、黒い鳥が見送ってくれた。

来た道を戻る。
先ず見晴らしの良い斜面から、向こうの山のてっぺんにある白い細長い建物を見ろと言われた。
あれはインド軍の施設である。
夜はいつも明かりが灯る。明かりが消えることはない。
何故なら、あそこはインドと中国(チベット自治区)の国境だから。
明かりが消えたら、すぐに中国側から何かしてくるだろう。
山の向こうに、山の斜面に沿って道が見えるけど、あれは中国側の道だ。
天気が良いと、もっと向こうに緑色の畑が見える。

開かれた斜面には、チベットの祈祷旗が沢山張られている。
そのうちの幾つかは古くなって落ちる。
それを拾いながら、アマチュンは言う。

この祈祷旗にはお加持力がある。聖地に張られていた旗だから。
持って帰って、焼いた灰を畑に撒くと、作物の実りが良くなる。
病気や虫の害がおこらない。

似た話は、チベットの僧院に在籍していたお坊さんから聞いたことがある。
「ガンデン寺(チベット・ラサ市郊外にある大僧院)のお堂のゴミを参拝者が持って帰って、畑に撒くと、虫がわかないと言ってた。」と筆者が言うと、「それと同じ」とアマチュンは頷いた。

高度が下がると、少し大きめの木が見られるようになる。
道の途中に、葉のない木にカタ(縁結びの白い布)や色とりどりの紐が布が縛り付けられた木があった。
アマチュンは説明する。

「この木はダキニ(空行母)の溶け込んだ木で、昔は深青色の葉が茂ってた。
その青い葉は彼女の髪の毛だと言われていた。
皆が取ってしまったので、今は葉っぱがないけど。

この木に願いをかければ、それは必ず叶うといわれてる。
その時に、自分の持っているものをダキニに捧げるの。カタでも良いし、服の一部でも良い。マフラーの端をほどいてそれを結び付けても良い。
自分の髪の毛でも良いよ。」

ここで外国人は何をお願いしようかと考え、
筆者の場合は願いを一つに絞り、木に額をつけてお祈りし、付けていたショールの端から赤い毛糸をほどいて、髪を1本抜いて木に括り付け、再度念を入れて祈願をした。
友人も似たようなことをしていた。

盛り上がっている外国人2人を残して、ローカルの彼女達はさっさと道を進んでいる。

デンチョク・ヤブユムの険しい双山を見上げ、
この山を下りる時にズボンの後ろを破いてしまい、未だ修繕できていないことも、アマチュンは話してくれた。

険しい山肌の一部には、何故か真っ黒になって下に向かって流れている部分がある。
メメが「あれはダキニの経血だ」と言っていたと、
アマチュンは言った。

途中、幾つか大岩があって、その下にストゥーパや祈る場所が作られていた。
ツァツァと呼ばれる、小さな型取りの仏塔や尊像が大量に納められた一角もあった。

ソマンのシュクパ(柏?)は、薫香の煙供養に重用されるという。
アマチュンは大きなシュクパを見つけて、道のない斜面を登っていく。
何だかステキなものがありそうに感じて筆者も斜面をよじ登り、シュクパを摘む手伝いをした。
「家族と親戚と隣近所と知人友人全てがコロドンパのシュクパを喜ぶので、持って帰って配る」ということで、
アマチュンはショールで抱えられるだけ、濃い紫色の実のついたシュクパの葉を摘んで、背中に背負って斜面を下りた。
「欲張りだよね。」と、ちょっと笑って言いながら。
筆者も、少しだけ自分と友人の分を摘んで持って帰ってきた。

それでも、山の民は木を裸にするようなことはしない。
シュクパの木は、まだまだ豊かに葉を茂らせていた。

背負ったシュクパの包みがあまりにも大き過ぎて、アマチュンが背負ってきた小さなリュックはみどりちゃんが背負うことになった。

だんだんソマンに近付いてくる。
メメが「筆者はここまでだろう」と予想を立てた、ターラー母尊の洞窟まで帰ってきた。
ありがたい洞窟なので、お参りして行こう。

昔、ターラー母尊がこの近辺に留まっていた。
ある時彼女を見つけた人間が後をつけてみると、この洞窟に入り、中の岩に溶け込んだ。
ターラーは人に見られたことを悟ったのか、それ以来現れることは無くなったという。

中は自然な洞窟の地面を整えただけで、電気が引かれているわけでもない。
明かりは入り口から入る自然光と、灯明を灯せばその明かりだけである。
中くらいのターラー尊像がガラスの箱の中に祀られていて、その上にカタがかけられている。
その後ろは光が入らないので真っ暗であるが、
スマホのライトで照らしても良いというので、照らしてみる。
見える人には、岩肌にターラー母尊の姿が見えるという。

残念ながら、筆者にはターラー尊のお姿は見えなかった。

真っ暗な洞窟の奥は、壁面に重なる自然岩が不思議な構造を成している。
手前にある大岩の後ろは空洞になっていて、右側の狭い岩の間から体をねじってその空間を通り、左側から出てくれば、悪業が全て清められるという。
くぐり方も決まっていて、蛇のように狭い岩のすきまから入り、身体をねじりながら肩を地面につけ、腹を上にして後ろ側を通過し、左側から少しずつ、寝たまま身体をずらしながら出てくる。

我々はライトを持っていたので視界は確保できたが、そうでなければ暗黒の中で生まれ変わるような体験になる。

これは、母の子宮から赤ん坊が生まれる道筋に似ている。

友人は非常に感の良い人で、1回で言われた通りに暗い道をスルスルと抜け出てきた。
くつろいで、あおむけになったまま、このまま寝られるとまで言っていた。

不器用で慌て者の筆者は、説明を聞かずに先ず違う場所から侵入し、身体をかがめたまま空洞を通過し、1回目はNG。

カルマが浄化されるという説明を聞いてから、入り口も怪しく、何とか横になって空洞を通過したものの、肩が地面に着かずにNG。

できなかったのが残念で、練習すればできるようになるかと思いもう1度挑戦し、3度目にしてやっと悪業を浄化する通過方法で再び生まれることができた。
地味な努力の結果である。

その後、友人はしばらく瞑想をしていた。
その時、捧げられた灯明の上方に下がっていたカタが、ふわっと一瞬浮いた。

ターラー洞窟を過ぎれば、ソマンはもうすぐである。
その後、大きな鳥が翼を広げた、左翼のような岩の形を持つ、ソマンの護法尊が祀られた大岩の下の祠に参った。
大鳥の頭は、遥か下の方、メメが住むソマンの寺の斜め下にある。
右の翼は、もちろん反対側に大きく伸びている。

更にソマンに近付くと、また大きな一枚岩の上に、ダキニの沐浴場があるという。
白い、少しザラザラした質感の、山肌の傾斜に沿った平らな大岩だった。
いきなり筆者が登りだしたので、ただ事でないと感じた友人も岩を登り始め、アマチュンも放っておけずについてくる形になったが、
後で岩の先にある地面の上り道を指差して、
「道を間違えた」と言っていた。

岩の上の方はやや平坦になっていて、端のくぼみに水が溜まっていた。
羽毛もちらちら浮いている。
枯葉が重なって汚れているように感じたので、葉っぱをのけて水が見えるようにすると、
見えてきた水は冷たくて、澄んでいた。

ここも、メメが「ダキニの沐浴場だ」と教えてくれたのだという。

空を飛ぶ女性修行者が沐浴する水溜り。

信仰心も感じるけれど、
もしかしたら、メメの亡くなられた奥さんが、ここに体を洗いに来たのかもしれないと、ふと思った。

道中で、ひとりソマンを守るメメの物語を、
アマチュンは話してくれていた。

つづく。


DECHEN
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